ブーニンのピアノ・リサイタルを聴いて
私は、仕事も、ピアノも、文章も、恥ずかしいと感じています。
下手だから。
裏を返すと、自分はもっとできるはずと盲信しているのかもしれない・・・
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ピアノのレッスンは月3回ペース。
今の課題はメロディーの区切りを意識して弾くことです。
自分なりに工夫し、区切りのタイミングで鍵盤から手を離して浮かせてみたりしました。
でも、何度か試してみても、思うように指が動かないし次へ移れない。
今まで、指と鍵盤をべったりくっつけたまま何十回も練習してきたので、指が鍵盤の上を這うように移動する動作が身について、
ちょっと指を鍵盤から離すと、その途端、指が迷子になり、次をどう弾くのか戸惑って途切れてしまうのです。
やれやれ。
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11月10日サントリーホール、ブーニンのピアノ・リサイタルへ行きました。
開演時間となり、ブーニンがステージ上のファツィオリ(ピアノ)へ向かう姿は、
杖をつき、左足を少し引きずり不安定な動作でピアノの左側に杖を置きドスンとイスに座ります。
ブーニンは1985年19歳でショパンコンクール優勝後、日本でも大ブームとなり第一線で活躍していたところ、約10年前、病気に怪我が重なり演奏活動から離れ、最近ようやく復帰したばかり。
プログラムの前半は、ショパンとプーランクの小品。後半は、シューマンの色とりどりの小品。アンコールがプーランクのノクターン8、ショパンのマズルカ、バッハの主よ人の望みの喜びよ。
たぶん、かつては弾いていたであろう大曲はなく、超高速も、ど迫力もありません。しかも、後半の曲はブーニンが9歳の頃に弾いていた曲とのことです。
それでもいい音、円熟味のある大人の演奏ということでしょう。前半・後半・アンコール、たった1人で満員のサントリーホールを虜にしてしまうのだから。
いや、それにしてもブーニンは鍵盤から手が離れるときも滑らかな動作ですね。
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ブーニンは元のように弾けなくなったことを、恥ずかしいと感じているでしょうか?
プログラム・ノートによると、とにかく「演奏ができる幸運に感謝」しているそうです。
つまり「恥」というのは個人、育った環境、社会構造によってずいぶん違うみたいで。(一般的には、日本では目立つこと失敗することが恥、米国では挑戦しないことが恥、みたいに)
どうして、このようなことを考えているかといいますと、最近、読んだ本で中国の古い地図「国恥地図」という存在を知ったからです。
1930年頃に中国で作られた小学校の教科書用の地図で、中国が喪失したとされる領土が示されています。(諸説あり)
恥ずかしながら、知りませんでした。
読んでいただき、ありがとうございます。