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「ポケモンの没プロット」とはなんだったのか

 ここまで連続で「ポケモンの没プロット」が生み出された理由を書いてきた。

 ここでネット百科事典やYouTube動画のように、「ポケモンの没プロット」について詳しく紹介するべきだろうが、もういろんなところで紹介されきっているので、あえて解説しないことにする。

 だが、どのようにポケモンのアニメが始まったのかをふまえてこれらの経緯を見ていくと、「ポケモンの没プロット」というのは、何かとてつもない秘密が隠れたすごいものというよりは、万が一ポケモンのアニメが最終回を迎えたときの、一アイデアに過ぎないということを、改めて理解できた。

 首藤氏が考えたプロットをバカにしているわけではないが、想定したとおり、アニメが一年半か三年ほどで最終回を迎えることになり、このプロット会議に提出されても、瞬く間に没を食らって別のものを書くこととなるか、大まかな内容は同じにしても、もう少しマイルドな感じになっていたと僕は考えている。
 二回連続で夢オチを仕掛けているように見える構成は、ポケモンという作品全体のテイストとしてあまりに邪道すぎる気がするのだ。

 しかし、そんなプロットが会議の場に出されることが全くないほど、ポケモンは世界中で大ヒットし、今も愛されている。
 首藤氏は金銀編の頃にシリーズコンストラクションを降板し、「シナリオえーだば創作術」の最終回を執筆した4ヶ月後、2010年10月29日に亡くなられたが、没プロットを含め、作品は亡くなってもなお残り続けるとは、こういうことをなのだろう。

 昔懐かしい思い出としてなのか、かけがえのない心の支えとしてなのかは人それぞれだろうが、そんな作品を生み出せるよう、精進していきたいものだ。

 そんなところで、「ポケモンの没プロット」の話は、いったん区切りをつけておきたい。
 他にいろいろとやりながらにはなるが、できる限りは調べていく所存なので、お楽しみに。

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