せっかく行ったんだからその経験を活かそうぜ!
オランダ(VOC)との関係(歴史と経済)をちゃんと考えてください!
2024夏はバリ島には行けず、藤野家の「お家事情」もあってイタリア・ブラジルって世界一周をする羽目になったのだが、その旅でも痛感したのがコロンブス以来500年の矛盾と社会の2重構造?いや3重・4重かもしれん。で、その罪はアジア場合はオランダの方がポルトガルよりはるかに重いと思う。ちなみ、アメリカの由来はメディチ家のお友達アメリゴ・ベスプッチ(蜂野郎って意味)なんだけどこれは受験世界史雑学ね。で、インドネシア社会に至っては隅から隅までオランダとその先兵であるVOC:オランダ東インド会社Verenigde Oost-Indische Compagnie=世界史じゃ絶対出てくる奴がそのの責任者だわ。でも、「入試世界史」だと1600年にイギリス東インド会社に続く世界初の株式会社1602年だとか、1619年ジャワ島西部のバンテン王国内の港町ジャカルタ(日本ではジャガタラといった)に拠点を置き、イギリス人を追い払ってバタヴィアと命名した「SPICE:香辛料貿易」とか、1623年にモルッカ諸島でのアンボイナ事件とその結果として、イギリスは東南アジアから撤退しインドの植民地経営に専念、ムガル帝国攻略に向かう転換点とその後の強制栽培制度ぐらいしか出題されない=授業じゃ扱われないからそれで終わり。でも、こいつらが(言葉が悪くなって申し訳ございませんが、アジアから見ればまさに「こいつら」です)実際にアジア(特にインドネシアで)で何をやってきたかを考えるべきではないだろうか。
でも、日本人だって他人事じゃなくて、ほぼ同時期にイギリス人の三浦按針の仲介により、江戸幕府から、プロテスタントが布教を行わないことを条件に平戸に日本支店、すなわちオランダ商館を開設し、これを通じた国際貿易を幕府から許可された。江戸幕府の鎖国方針(この表現も正確性には欠けるが)により、ポルトガル人は長崎から追放され、1641年にオランダ商館が出島に移った。もちろんこの政策決定の背後には授業では触れられないような「れきし」もあるんだけど、、、それ教えると「お前らに日本人だって何やったんだよ」って言われちまう危険性があるので教科書には出てこない=入試には出ない&高校生には少し刺激的すぎるし。 で、イベリア半島では1492年のレコンキスタの達成以後、スペイン、ポルトガルでユダヤ人は改宗が強制され、異端審問などでひどい扱いを受けていた。そこから追放されたユダヤ人は対岸のモロッコやイスタンブールだけじゃなく、アムステルダムなどヨーロッパ各地に散在。ユダヤ人は商人などが多いので、東インド会社もユダヤ人が関係している。いや、関係どころか殆どかもしれない。でもこの「ユダヤ人」も日本の歴史教育のタブーというか、気が付いていないのか敢えて無視してるんか、意識が無いのか、非常に重要なポイントであるにも拘らず教科書には出てこない。で、その後突然のようにシオニズムとアンネになってしまう不思議。 で、1703年から1755年にかけてジャワ島中部においてオランダ東インド会社とマタラム王国との間で3度の軍事衝突が発生。マタラム王国で王位継承危機が起こると、ジャワ中部と東部への影響力を強めるためにオランダ東インド会社が独自の候補者を擁立し介入、継承戦争が終わるとオランダ東インド会社の分割統治政策が始まる訳だ。更に、1740年10月そのバタヴィアのでは華僑虐殺事件(オランダ領東インドの兵士が先住民族の協力者と共に港湾都市バタヴィア(現ジャカルタ)の華僑(中国系インドネシア人)を殺害した。歴史家の推定によれば、少なくとも1万人の華僑が殺害され、生存者はわずか600 - 3000人だと考えられている。(この話は1998年5月暴動:ジャカルタ暴動の伏線でもあるのよ)この辺りの複雑な部分は「日本の世界史」だけやってる人には理解できないだろうけど、「国家」を人間は超えているのです。いや逆だ「国家」とか「国民」とかは「利益と利潤」の前には関係ないんです。大体、アヘン戦争の100年も前に華僑が1万にも殺された=存在したって事も大きな問題。誰が儲けてんの?黒人奴隷問題と同じくこの辺りも教科書には出てこないよね。10。10。10。香ばしい匂いがするでしょ。
で、1795年フランス革命軍がネーデルラント連邦共和国を占領してフランスの衛星国バタヴィア共和国が建国されると、オランダ東インド会社の経営もバタヴィア共和国に移管=イギリスはオランダの海外拠点を次々と占領し、1811年にはバタヴィアを含むジャワ島を支配下に収めた。ジャワ島はその後約5年間、イギリスの統治を受ける。1814年、ナポレオンが没落し、オランダ立憲王国(連合王国)が成立。バタヴィアもオランダに返還され、オランダはバタヴィア:JKTを拠点とするアジア貿易を再開したが、長崎出島では依然として「東インド会社」の商館として取引を続けた。この辺りは日本史に移譲。で、この混乱をきっかけに1825年にジャワ島で勃発したのがジャワ人指導者の名前に由来するディポヌゴロ戦争(Perang Diponegoro)。ジャカルタのヒルトン系列にこの人の名前がついているホテルがある。バタヴィア共和国下のオランダ領東インドへの抵抗運動に発展し、ジャワ全土で20万人の死者を出した戦争はジャワ支配階級による最後の反植民地闘争であり、オランダが経験した最大規模の戦争の一つに挙げられている。スルタン家の王位継承問題を発端だっただけに、ジャワの不平派を一掃したオランダはスルタン家の領土を大幅に割譲させ、王侯領内にオランダ人官吏を長官とする裁判所を設立して司法権の優位性を獲得し、スルタン家の影響力を排除した。さらに中国人が大規模な土地を所有することを禁止し、華僑の影響力も排除した。この辺りは流石ヨーロピアン。冷酷というか計算ずくというか。ここまでは同じアジア人同士の日本人だとできないよね。やったか?
これによりスルタン家・華僑の勢力は衰退し、東インド総督ヨハネス・ファン・デン・ボッシュが導入した強制栽培制度により、農民は作物の20%を税として納めるか、または1年の内60日間は強制労働に従事することを強制された。
これによりオランダは莫大な利益を得て財政を立て直し、オランダ領東インドは重要な利益供給源となった。一方的に定めた賃金で現地人に輸出農産物の栽培と製品化を課し、収益は政府の歳入に充てられた栽培制度です。17世紀末にオランダの支配下に入った西部ジャワ島では綿糸、藍、SPICE:コショウなどの貿易商品の規定量の供出を命じて規定価格で買い付ける制度を導入し、18世紀初頭に同地でコーヒーの木の栽培に成功すると、現地JAVAの人間にコーヒーの栽培を奨励した。最初はコーヒーを高価で買い上げるが、生産量が増加すると購入価格を引き下げ、生産量を調整するためにコーヒーの木の伐採と植え付けを命令した。コーヒー貿易によってVOC社は莫大な利益を得たものの現地人(民衆・労働者)の負担は大きく、作業に従事した人(人とは思ってないかもしれない)に支払われるはずの報酬は会社の社員とジャワの首長(地方の権力者:日本だ1830年8月にジャワ全土にサトウキビ栽培に適した地域に栽培制度を施行した。栽培制度は主にジャワ島で実施された。サトウキビのほかにコーヒー、藍が栽培制度の対象となり、ほかにコショウ、チョウジ、ニクズク、肉桂、コチニール、茶、タバコも作られた。1840年までにコーヒーの栽培制度がジャワの18の州全て、サトウキビ栽培が13の州、藍が11の州に導入。ジャワ島以外の地域ではスマトラ島のミナンカバウ高地やスラウェシ島のミナハサ半島で実施され、主にコーヒーが栽培された。だからコヒーは単に苦いだけじゃなくて、苦しみの歴史でもある。
1840年から1850年にかけては栽培制度が盛んな時期であり、ジャワの全農民の半数前後が商品作物の栽培に従事し、耕地の4-6%が使用された。栽培から商品の引き渡しまでの工程は植民地政府と契約を結んだヨーロッパの私企業が担った。輸出される作物の倉庫への搬入までの労務が現地の住民に課せられ、サトウキビ、アイなどの加工品として出荷される作物は政府直営工場や政府と契約した民間の工場で加工された。と豪族とか庄屋)の懐に入ったからどっちもどっちだ!けど、、、、これぞまさしく欧米がお得意の分割統治政策の典型。まあ、明治期以降の日本も同じようなもんだろうけど。
18世紀末にオランダ東インド会社が解散した後、自由主義思想の影響を受けて強制供出制度の廃止を主張する意見と、オランダ政府の利益を優先して制度の存続を主張する意見が対立する。
ここで出てくるのが1811年から1816年にかけてジャワを統治したのがイギリスのトーマス・ラッフルズ。ラフレシアの学名の由来でもある人物。
1818年スマトラにあったイギリス東インド会社の植民地ベンクレーンに副総督として赴任。マレー半島南端の島シンガポールの地政学上の重要性に着目し、ジョホール王国の内紛に乗じて獲得し開港。1820年に自由貿易港を宣言、1823年までシンガポールに留まり、植民地の建設にたずさわった。また、ジャワ統治時代に鎖国中の日本と接触を図るが失敗。1824年にはイギリスに帰国し、1826年ロンドンで死去。でもこの結果、強制供出制度を廃止し、地租制度に移行。どっちがいいのかわからないけどね。
更にオランダ軍はジャワの兵力を西ジャワ州・ミナンカバウに動員し、1838年に平定した。これを最後にオランダ領東インドでは大規模な反乱は起こらず、1945年のインドネシア独立宣言までオランダの植民地支配を受けることになった。いや、その前にムルディカとサンパイ・ジュンパ・ラギ
日本との関係
占領期と26050817
戦後賠償と根本 七保子(ねもと なおこ)
スハルトとアジア通貨危機
メガワティと民主化
テロ事件と楽園(リゾート)の課題
グリーンスクールとビーチクリーン
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?