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「教師は芸人である」
教授が微笑みながらそう言うと、教室がざわついた。
「そういうわけで、皆さんには来週の講義でお笑い芸人になってもらいます」
なにを言ってるんだこの人…?当時大学3年生だった僕は首を捻った。
「教養・学びのあるネタを考えてきて、前で発表してもらいます。漫才でもコントでも、ピンでもコンビでも形式は問いません」
いつの間に芸人養成学校に転送されたんだ?僕は「教育の方法と技術」の講義を受けていたはずなんだが。と思っているうちに「それではまた来週」と講義は終わった。
「俺、来週休むわ。意味わかんねーよ」
教室から出ていく途中どこからともなくそんな声が聞こえてきた。
ごもっともだ。そう思った。しかし、僕は既にこの講義を2回サボっていた。
「この講義は出席が評価に直結しますからね」
初回講義の教授の言葉が頭をよぎる。
とても残酷だが、僕には1週間後に芸人になる道しか残されていなかった。
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「どうするよ、一緒にやる?」
同じ十字架を課された友達にそう聞かれた。コンビを組むのも悪くない。1人で特攻するよりは不安もないし、最悪の事態に陥っても2人で傷を舐め合える。
ただ、”芸人になれ”って言われて中途半端なことはできない。本気でやるとして2人でやるのはリスクが高い。意気を合わせるのが難しいし、片方のセリフが飛ぶだけでグダグダになる。完成度を求めるなら1週間という練習期間ははあまりにも短すぎる。
「いや、ソロで行こう」
それから数日間、英文学講読の間もラーメンを食べる時もバイト中もずっとネタが頭の中をぐるぐる彷徨っていた。
そして週末になって、ようやくネタの原型が思いついた。
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「少なくね?」
教室に入ってすぐに、僕は友達にそう言った。
人がいないのだ。そんなに欠席者が多い講義ではないのに普段の6割くらいしかいなかった。
これまで真面目に出席してきた人たちがここぞとばかりに欠席権を切ってきたのだ。(限界なのに欠席して、あとで苦しい思いをしていた人たちもいたけれど)
「皆さん、準備はいいですか?」
教授の笑顔は悪魔的に見えた。コンニャロー、と心の中で悪態をついた。
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驚いた。なにに驚いたかってみんな結構手が込んでいるのだ。それ相応の”覚悟”があるものだけが今日、この講義に出席しているのだと実感した。
社会科教員を目指していたある女子は当時はやっていたブルゾンちえみになぞらえて
「〇〇の香辛料の輸出量、知ってるー?(♫〜〜〜〜)…15億!」
ってのをwithB役を引き連れてやってた。
同じ英語科教員志望の男友達は
「エイゴです。大母音推移は1400年代初頭に起きたとです」
と懐かしのヒロシのパロディーをしていた。
この文面だけ読んでてもそんなに面白さは伝わってこないかもしれないけれど、その場で他の人のネタを見ている時は本当に面白かった。本当に。
「よかったですね〜!じゃあ次の人」
僕が呼ばれた。場はかなり温まっていたけれど、それでも少し緊張した。
僕が考えてきたネタは「宇宙海賊ゴー⭐︎ジャス」のパロディだった。
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静まり帰った大教室で、一人二役でコントをしたあの時を今でも覚えている。
「ショートコント。『好きなタイプ』」
「なあなあ、お前どんな女性がタイプなんだよ?」
「俺?そうだなあ、ジャージを着たOLが好きかな」
「ええ?ジャージのOL?」
「そう、ジャージのOL、ジャージオーエル…ジョージオーウェル!!それっ!!」
その場で足踏みをしながらファイルからイギリスの作家、ジョージ・オーウェルの顔写真を出した。
めっちゃウケた。
「なにが面白いのかわからない」と思う人もいるかもしれないけれど、事実めっちゃウケたのだ。
(恥ずかしいけれど一応解説すると、本家が「まだ助かる→マダガスカル」と国名をネタにするように、僕は海外文学の作家をネタにしたのだ)
予想外の反応に高揚した僕は勢いのままヘミングウェイとフィッツジェラルドのネタも完遂した。
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信じられないことに、僕は最優秀賞を貰った。
他にも完成度が高い面白い人はたくさんいたけど、インパクトだけは僕のが頭ひとつ抜けていたみたいだった。
嬉しいような恥ずかしいような申し訳ないような気分だった。
票を一番集めて色々と思うことはあったが、票とは関係なく感じていることがあった。
「超たのしい」
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なんで教授が「教師は芸人である」なんて言ったのか。
そこが一番大事なはずなんだけれど、困ったことに全く覚えていない。
ゆえに自分はこの言葉を勝手にこう解釈している。
「教師が授業を楽しまなきゃ、生徒が授業を楽しめるはずがない」
実際に教員になってからも常にこれを意識していた。
自分が楽しく授業をする。そしたら生徒もついてくる。
そして楽しく授業をするためには自分を解放しないといけないと。
隙があればネタを仕込んだりもした。
新出語が流行りの歌に入ってれば歌ってみせたり、一人で寸劇をしてみせたり、パワポにネタを仕込んだり。とにかく授業の要点を抑えつつ、楽しくやることを意識した。
しかし授業準備に手が回らないくらい慌ただしい時もあった。
準備万端じゃない授業は少し不安な語り口になる。自分でもわかる。
すると、やはり生徒も授業の世界に入ってこない。
自分が、教師が楽しくなさそうだからだ。
「教師は芸人である」
教員として生きる間はずっと胸に刻んでいようと思う。
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