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枯尾野 II


          七
 静は逡巡したが、無言を貫くわけには、いきそうもなかった。
「同棲していました」
静の答えに、二人は平静を装っていたが、驚いた様子なのは疑いなかった。それがどういう質の驚愕であったか、静は敢えて問わなかった。ただただ、ひとつ会社で何年も働いておきながら、身の回りのことを何も明かさず、同僚にかけらさえ心を開かなかったという、杏子の淋しさが、時をおいて響くばかりであった。
「それが過去形というのは、どうして」
「杏子は、ある日突然失踪しました」
静は、そう言っておきながら、自分の発した失踪という言葉を、受け止められそうにもなかった。
「それは、今どこにいるか分からないということですよね」
「それどころか、生死さえ判然としないのです」
もう質問はなかった。
 佐藤という、杏子の二つ下の後輩が、割合仲良くしていたというので、呼んできてもらった。杏子の上役と入れ替わる形で、静と対面したのは、化粧をしているのかもはっきりしない、地味そのものの女性社員だった。
 三十路を前にして垢抜けぬ雰囲気があるところなど、杏子と通ずるものがあるかもしれないと、静は思った。佐藤がどれだけ、事態を呑み込んでいるかは分からなかったが、回りくどい聞き方はやめて、杏子について、知っていることを全て教えてくれと頼んだ。
 彼女が言うには、親しい間柄といっても、昼食をともにするくらいのものだったと。それも杏子は一人で食事することを好んだので、一緒にお昼を食べたのも、数えるほどしかないと言った。
 杏子が会社を去ると周囲に明らかにした当時、杏子に無理に理由を聞き出すような格好で、それらしい話をされたことがあるらしい。佐藤は、杏子が今の仕事を離れるとは、到底考えられなかったのである。
 聞くところによると、何でも、島根の出雲に同年代の遠戚がいて、長らくその人と交流するうち、田舎暮らしに憧れだしたという訳らしかった。近いうちに移り住んで、農業に勤しめるよう、準備をしている云々。
 杏子の里は、群馬の前橋である。田舎暮らしは、実家近辺でもできそうなものを、どうして縁もない出雲という地名を出したか。出雲という地名は、杏子からついぞ聞いたことがない。出雲に遠戚がいるというのも、恐らく嘘なので、話の内容はその場凌ぎだろう。しかし出雲という二文字が、何だか訳ありげで気にかかった。
 静は最後に、
「枯尾野という場所を知りませんか」と問うた。
「さあ、出雲にそんな所があるのでしょうか」
冴えない人が、冴えない顔をしていた。
 会社に来るとき案内をしてくれた、杏子の”元”同僚に促され、静はその職場を後にした。杏子の机を見せてくれないかと、静はその人に頼んだが、小川さんの私物はひとつもありませんと冷めた回答だった。机が空でも良いからと、無理を承知で、もう一度請うても、既に他の社員が使っているのでと、それきりであった。杏子が会社の文書を棄てた、当て擦りでもあったらしい。
 都会のビルに四角く抉り取られた底抜けの青空は、やはり秋であった。薄絹のような雲が、高いところに被さって、そのうち散り散りになっていったのである。

          八
 新月の夜に、左絵里は来た。虫の鳴き声が澄む、肌寒い日であった。
 左絵里は、青木社長の使いで来たのだと、問わず語りに訳を明かして、静の返事を待つでもなく家に上がり込んだ。
 静はそのとき、休職の扱いになっていた。青木さんの温情に他ならなかった。
 左絵里は、確かに休職願やら、税金の書類が入った茶封筒を持ってきた。いついつまでに郵送するようという手書きのメモも、ご丁寧に同封してあった。
 その日はすぐに帰っていった。
 静は、薄暗い部屋で、細かい記載欄に字を埋めながら、ときどき左絵里のメモを見た。そのメモには、静の似顔絵が添えてあった。それは実物に寄せたというよりかは、漫画のように、目鼻が繊細かつ簡略に書かれていて、つまりは美化されていた。
 静はもらったその日のうちに、書類を書き終え、郵送の手筈を整えたが、左絵里のくれたメモは、捨てるでもなく手元に置いた。自分が絵になるのは経験のないことだったし、何となく見飽きがしなかった。
 ベッドの脇に左絵里のメモを貼り付け、つれづれに任せて、それを眺めた。そうして今更ながら、左絵里が会社の後輩で、美大出の入社三年目であったことを、静は思い出した。
 静は丁度、出雲行の支度をし始めていた頃合いであった。横浜の生まれである静は、出雲どころか名古屋より西に、あまり馴染みがなかった。名古屋は、社用で幾度か訪れたことがある。しかし、観光できるわけもないので、やはりよく知らない。高校の修学旅行で、広島に行ったこともあるはずだが、今は霞んだ思い出となってしまった。
 とにかく松江に向かうことにした。とりあえず行くことを第一として、諸々準備をしているのだが、この一人旅は行くべき目的地も分からず、従って予定も立たず、ずるずると日にちだけが過ぎて行った。そういうときに、左絵里の再訪があったのである。
 その日、左絵里はしたたかに酔っていた。左絵里の身持ちが派手なのは、普段の服装からしても、それとなく察することができた。華美というわけではないが、質の良さそうなブラウスを、よく着ていたのである。
 足取りがおぼつかないのを、更けた時間に帰らすことも不可能だった。左絵里は玄関の扉を叩いて、騒々しかった。そのまま放っておこうかと、ふとそういう考えが頭をよぎったが、次第に音が弱まっていき、どうも寝かかっているらしかった。結局、扉の前でへたり込んでいた、なよなよとした体を支えて、家の中に入れ、リビングのソファに横たわらせた。
「水でも飲む?」
「いや、結構です」
左絵里の声は、かすれている。
「どうして」
「頭が痛いの。あまり問い詰めないで」
左絵里は寝返りをうって、ソファの背もたれに顔を埋めた。
「今日は相手が悪かったんです。青木社長のお友達は、みんな私をいじめて…」
うわ言みたいなことを口にする。気づけば、左絵里はすすり泣いていた。
「大丈夫?」
左絵里は答えない。
 静はスタンドライトを消した。もとから暗い部屋のせいか、漆黒というより、落ち着きどころを得た明るさになった。
「田中さんも、田中さんです。急に会社に来なくなって、編集部のみんながどれだけ困ったか、知らないでしょう」
静に矛先が向き、語調もだんだん激してきた。
「一番苦労されたのは、青木社長です。会社が大変なときに、片腕のあなたがいなくなるのだから。青木さん、傍目から見ても、お痩せになっていました」
左絵里の背中は、かすかに震えていたのだが、それが合わさって大きな波となり、むしろその挙動に優美の感を覚えた。左絵里は頭をもたげた。目尻で静を捉えようとしているらしい。肩にまとめた長い髪が落ちて、さあっと音をたてた。
「青木さんには、申し訳なかったと思っています」
静は声に波なく、そう言った。
「私に話しかけないで」
左絵里の悲鳴が、部屋の影を揺らした。
 静は寝室に戻り、夏用のタオルケットを二枚持ち出して、左絵里の傍らに歩み寄った。左絵里は身体をくねらせていた。静はそれが何なのか、よく見えなかった。
 どさりという響きが、沈んだ家の隅々にまで渡り切った。それは左絵里の服が、床に落ちたのであった。左絵里は肌のあらかたを、空気にさらしているのである。静は、窓から月の光が差し込みもしないのに、そのきめの細かい、淡くくすんだ人肌が、コバルトブルーに煌めいているのではないかと、幻を見る心地になった。

          九
 霧がかる夜明けを発って、静は出雲に向かった。何時に出発しなければならないという決まりもないのに、薄暗い早朝を選んだのは、人目を憚るべきだと考えたからである。それが、全てを消し去って何処かへと去った杏子に対するひとつの礼儀だと、静には切にそう思われた。
 行きっぱなしで半日はかかる、鉄路の旅である。車窓は何も写さない。ただ、線路脇の照明のため、規則正しく白い光が投げかけられて、その度に静の顔が、ふわりふわりと闇夜に浮かんだ。
 列車は揺れた。静はまどろみもしなかった。杏子のことが、いつまでも思い返された。
 あれは珍しく大雪が降り、二週間は残雪があった冬のある一日であった。大学に入って一年が経とうかという静は、なかなか走らない電車と凍った道に足を取られて、授業が半ばまで進んだ大教室に、慌てて駆け込む羽目になった。西洋美術史を専門にしている教授の講義であった。
 横浜から通っている静より、遅れてくる学生はなかった。席は大方埋まっていて、静は普段座りもしない、最前列の机に陣取った。それも三人掛けの真ん中が空いていたのを、頼んで、腰を落ち着けたのである。窮屈な背中に、無関心な目線が集まるのを、静は感じるともなく察した。
 静は右隣りから細い声がするのに、気付いた。
「今、モネの睡蓮の説明をしています」それだけ、耳打ちされた。
 そこには、素顔の人がいた。着ていた服に色はなく、髪は流れるままに無造作であった。その人は、止めどない講師の声を追いながら、うつむき加減に配られた資料を、今は読んでいた。
 自らを飾るすべを未だ知らぬのだ。静はすぐに分かった。体の前に置かれた安げな筆入れは、手垢に薄汚れていて、それが都会で求められるような代物でないことは、明白だった。
 思い返すに、それが杏子と初めて会ったときではなかったかと、静は確信していた。杏子にそう話してみたこともあったのだが、そのときはただ首を傾げるばかりであった。
 杏子は、大学の図書館で姿を認めたのが事の始まりだと、常々話していた。それから構内で、ちょくちょく静を見かけたので、同じ文学部の一年生同士であることに、気が付いたという。いつも二三人の友人と行動していて、楽しげな人だと、それだけ感じていたらしい。
 初めて言葉を交わしたのは、昼時の蕎麦屋だった。これは、杏子も覚えていた。
 大学の近くに、古くからやっている蕎麦屋があって、飯時はいつも混み合った。静は、友達と学食に行くのが通例だったが、そのとき無性にその店の天丼が食べたくなって、我を張り、一人でその暖簾をくぐった。
 相席ですみませんという店員の言葉に従った席の真向かいに、杏子はいた。
 杏子は冬だのに、ざるを食べていた。静は料理が来るまでの間、目線を上に、何を見るでもなく、誰かの大声に耳を傾け、その見ず知らずの熱海旅行に思いを馳せていた。しかし、段々杏子のざるが気にかかりだし、むくむくとあやしい気持ちが大きくなっていった。
 静は、目当ての品が目の前に届けられたとき、それが問いかけなのか独り言なのか分からぬ、朧げな口ぶりで、
「寒いのに、ざるを食べるんですか」と差し向かう人に言った。
「あなたこそ、蕎麦屋に来て、天丼だけ頼むのですか」
杏子はさらりとそう返して、微かに笑った。
 杏子は蕎麦湯が好きなのである。ざるには蕎麦湯がついてくるから、冷えた体で暖かくもない麺を啜っていたのだ。静はこのことに随分時間が経ってから、気が付いた。
 それ以後、そこで顔を合わせること度々だった。杏子の昼は専ら蕎麦らしかった。静はその店に通いはじめ、今までの友人とはやや疎遠に、杏子との距離は縮まっていった。

          十
 杏子の故里を、静は訪れたことがある。
 開けた土地に、一面の田畑と多少の人屋。遠くには赤城山と、それに連なる峰々が望めた。
 荒んだ印象だけが、静に残った。家々の瓦を押し破るような風が、山の頂から始終吹いていたのである。
 杏子は独り子である。母親が三十七歳のときの子であった。父は四十五だった。両親の結婚から、十三年が経っていた。
 母は、ピアノを
 杏子の母は、積年の焦燥と妄想とのため、杏子に厳しく接した。それは躾というより、母親の形式を満たす為の、一種の儀式であった。特にピアノに関して、辛くあたった。母が受け持っていた生徒より出来が悪いことは、許されるべくもないと考えていたのである。
 一度母は、ソルフェージュさえ満足に弾けぬ我が子に激情し、手元にあった万年筆で、杏子の手を刺したことがあった。血はたらたらとインクと混ざり合った赤黒く流れ続け、事態を目撃した生徒が、杏子の家に駆け込んだため、大騒ぎになった。杏子は病院に担ぎ込まれた。父は母を殴ったが、むしろ母が大泣きして、話にならなかった。杏子の右の掌には、後々まで傷が残っていた。
 父は、甘かったが、あまり関わりを持とうとしなかった。誕生日や四時の行事はとかく豪勢にしたがったが、杏子に擬似餌を自作する姿以外、さしたる印象を残さなかった。
「杏子は自分の好きなとおりに生きていいんだよ」
まだ幼稚園に通っていた杏子に、そう言って聞かせたことがある。その父の言葉の裏側に何が潜んでいたか、幼子が分かる由もなかった。
 母は二人目の子という一縷の望みをまだ捨てていなかった。四年、出来うる限りのことをして、予兆は覚えたが、調べて分かったのは、むしろ病が身に巣食っていることであった。子を孕んでいたのは事実だったが、そのとき既に流産していた。 
 母は自分の乳房に変化があったことに、気がついていた。しかし、それを無いものとしてまで、子を欲しがった。
 患って後、はじめの二年は経過が良好だった。その間家族は、あたかも全てが嘘であったかのように振る舞っていた。母も仕事を続けていた。だが、ある日突然風呂場で喀血したのを皮切りに、堅太りの体であった母はみるみるうちに痩せ、最後は病院のベッドで沈み込むように死んだのだった。
 母の死は、杏子に少なからぬ安堵を与えた。葬式で涙ひとつ流さない杏子を見た参列者は、気丈で大人しい子だと褒めた。父もそう思っていた。

 父は金曜の夜、いつものように磯釣りに出かけた。その先で、嵐の尾を引いた荒波に呑まれて、二度と帰ってこなかった。
 遠出もしょっちゅうだったので、なかなか帰宅しないのを家族は別段不思議に思わなかったが、火曜日の午、家に警察から電話がきて、事情が知らされたのだった。夜が明けてから、岩場に残されたクーラーボックスが見つかったのである。
 そこに名前を書いていたのが、手がかりになった。父が運転して、海辺に駐めた車の車検証をつたって、警察は家族にたどり着いたのである。
 亡骸のない通夜であった。葬式は、華々しい祭壇が不釣り合いであった
 静は、弔いから帰ってきた杏子の姿をよく覚えている。杏子は、ないものがないだけで、お葬式ってあんなにおかしくなるのねと、あっけらかんと笑っていた。

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