枯尾野 Ⅲ
九
霧がかる夜明けを発って、静は出雲に向かった。何時に出発しなければならないという決まりもないのに、薄暗い早朝を選んだのは、人目を憚るべきだと考えたからである。それが、全てを消し去って何処かへと去った杏子に対するひとつの礼儀だと、静には切にそう思われた。
行きっぱなしで半日はかかる、鉄路の旅である。車窓は何も写さない。ただ、線路脇の照明のため、規則正しく白い光が投げかけられて、その度に静の顔が、ふわりふわりと闇夜に浮かんだ。
列車は揺れた。静はまどろみもしなかった。杏子のことが、いつまでも思い返された。
あれは珍しく大雪が降り、二週間は残雪があった冬のある一日であった。大学に入って一年が経とうかという静は、なかなか走らない電車と凍った道に足を取られて、授業が半ばまで進んだ大教室に、慌てて駆け込む羽目になった。西洋美術史を専門にしている教授の講義であった。
横浜から通っている静より、遅れてくる学生はなかった。席は大方埋まっていて、静は普段座りもしない、最前列の机に陣取った。それも三人掛けの真ん中が空いていたのを、頼んで、腰を落ち着けたのである。窮屈な背中に、無関心な目線が集まるのを、静は感じるともなく察した。
静は右隣りから細い声がするのに、気付いた。
「今、ドガの入浴の説明をしています」それだけ、耳打ちされた。
そこには、素顔の人がいた。着ていた服に色はなく、髪は流れるままに無造作であった。その人は、止めどない講師の声を追いながら、うつむき加減に配られた資料を、今は読んでいた。
自らを飾るすべを未だ知らぬのだ。静はすぐに分かった。体の前に置かれた安げな筆入れは、手垢に薄汚れていて、それが都会で求められるような代物でないことは、明白だった。
思い返すに、それが杏子と初めて会ったときではなかったかと、静は確信していた。杏子にそう話してみたこともあったのだが、そのときはただ首を傾げるばかりであった。
杏子は、大学の図書館で姿を認めたのが事の始まりだと、常々話していた。それから構内で、ちょくちょく静を見かけたので、同じ文学部の一年生同士であることに、気が付いたという。いつも二三人の友人と行動していて、楽しげな人だと、それだけ感じていたらしい。
初めて言葉を交わしたのは、昼時の蕎麦屋だった。これは、杏子も覚えていた。
大学の近くに、古くからやっている蕎麦屋があって、飯時はいつも混み合った。静は、友達と学食に行くのが通例だったが、そのとき無性にその店の天丼が食べたくなって、我を張り、一人でその暖簾をくぐった。
相席ですみませんという店員の言葉に従った席の真向かいに、杏子はいた。
杏子は冬だのに、ざるを食べていた。静は料理が来るまでの間、目線を上に、何を見るでもなく、誰かの大声に耳を傾け、その見ず知らずの熱海旅行に思いを馳せていた。しかし、段々杏子のざるが気にかかりだし、むくむくとあやしい気持ちが大きくなっていった。
静は、目当ての品が目の前に届けられたとき、それが問いかけなのか独り言なのか分からぬ、朧げな口ぶりで、
「寒いのに、ざるを食べるのですか」と差し向かう人に言った。
「あなたこそ、蕎麦屋に来て、天丼だけ頼むのですか」
杏子はさらりとそう返して、微かに笑った。
杏子は蕎麦湯が好きなのである。ざるには蕎麦湯がついてくるから、冷えた体で暖かくもない麺を啜っていたのだ。静はこのことに随分時間が経ってから、気が付いた。
それ以後、そこで顔を合わせることが度々だった。杏子の昼は専ら蕎麦らしかった。静はその店に通いはじめ、今までの友人とはやや疎遠に、杏子との距離は縮まっていった。
十
杏子の故里を、静は訪れたことがある。
川が流れる開けた土地に、一面の田畑と多少の人屋。遠くには赤城山と、それに連なる峰々が望めた。
荒んだ印象だけが、静に残った。家々の瓦を押し破るような風が、山の頂から始終吹いていたのである。
杏子の母は、地元の子供むけにピアノを教えていた。父は、家業の土建屋を継いだ、四代目であった。父の両親も、ひとつ家に住んでいた。
杏子は独り子である。母親が三十七歳のときの子であった。父は四十五だった。結婚から、十三年が経っていた。
杏子の母は、積年の焦燥と妄想とのため、杏子に厳しく接した。それは躾と言うべくもなかった。母親という形式を満たす為の、一種の儀式であった。特にピアノに関して、辛くあたった。母が受け持っていた生徒より出来が悪いことなど、許されるはずもないと考えていたのである。
一度母は、ソルフェージュさえ満足に弾けぬ幼い我が子に激情し、譜面台に置いてあった万年筆で、杏子の手を刺したことがあった。
不協和音が鳴った。青色のインクと混ざり合った鮮やかな血は、たらたら流れ続けて一条の流れを鍵盤につくり、その狭間狭間に染み込んでいった。杏子は病院に担ぎ込まれた。
却って母の方が、泣き叫んでいた。父に殴られたところで、話にもならなかった。それから十日過ぎようとも、母は何も口にしたがらなかった。
杏子のピアノは、それで終わった。左の甲には大人になっても、深い、窪んだ傷が残っていた。
母は二人目の子という一縷の望みをまだ捨てていなかった。初子の誕生以来、四年、出来うる限りのことをして、確かに予兆は覚えたが、調べて分かったのは、むしろ病が身に巣食っていることであった。
乳癌であった。子を孕んでいたのは事実だったが、そのとき既に流産していた。
母は自分の乳房に変化があったことに、気がついていた。しかし、それを無いものとしてまで、子を欲しがった。
母は、死の間際まで病人らしくなかった。ピアノも教え続けていた。
家族は、あたかも全てが嘘であったかのように振る舞っていた。
だが、ある日突然、風呂場で喀血したのを皮切りに、堅太りの体はみるみるうちに痩せ、最後は病院のベッドで沈み込むようにして死んだのだった。生前、食道に癌が転移していることは、分からなかった。杏子が小学校に上がる直前のことであった。
母の死は、杏子に少なからぬ安堵を与えた。葬式で涙ひとつ流さない杏子を見た参列者は、気丈で大人しい子だと褒めた。父もそう思っていた。
父は、杏子に甘かった。けれど、あまり関わりを持とうともしなかった。誕生日や季節折々の行事はとかく豪勢にしたがったが、入れ込んでいた趣味の磯釣りばかりの人であった。
「杏子は自分の好きなとおりに生きていいんだよ」
まだ幼稚園に通っていた杏子に、父はそう言って聞かせたことがある。その言葉の裏側に何が潜んでいたか、幼子が分かる由もなかった。
杏子が大学を卒業して働き出した年の、ある金曜の夜、父はひと月ぶりの、待ちかねた磯釣りに出かけた。その先で、嵐の尾を引いた荒波に呑まれて、二度と帰ってこなかった。
遠出が常だったので、なかなか帰宅しないのを家族は、別段不思議に思わなかったが、四日が過ぎた火曜日の昼、家に警察から電話がきて、事情が知らされたのだった。夜が明けてから、岩場に残されたクーラーボックスが見つかったのである。
そこに名前を書いていたのが、手がかりになった。父が運転して、海辺に駐めた車の車検証をつたって、警察は家族にたどり着いたのである。
亡骸のない通夜であった。葬儀は、華華しい祭壇が不釣り合いであった。
静は、弔いから帰ってきた杏子の姿をよく覚えている。杏子は、ないものがないだけで、お葬式ってあんなにおかしくなるのねと言って、あっけらかんと笑っていた。
十一
杏子の父が死んだときには、二人はもう一緒に暮らしはじめていた。流れるものが、流れついた感慨が、静にはあった。
大学在学中のほとんどの期間において、静と杏子の関係は、何とも言えないものだった。それぞれの中で、それぞれの位置を定められなかった。
仲は確かに深まっていた。蕎麦屋の間柄から、学校の課題の答えを融通し合うようになり、休みの日にも会いだすまで進展した。
杏子は映画に詳しかった。名作も近近に封切りされた作品も、大抵は観ていたが、モノクロの時代劇をとりわけ好んだ。
一度、硬派な作ばかり流す映画館に一緒に行って、そういうものを見たことがある。静は本やら音楽に、関心を持ったことがなかった。
終盤三十分、延々と大人数の斬り合いが続いた。様式にはまったものでは、なさそうだった。ぬかるんだ足場の戦いで、あたりに戸板が舞い、壺が割れ、人は手傷を負い、馬も斃れた。杏子は、
「美しいって、こういうことに違いないね」と、ひとり、呑み込むようにそう言った。
静にとって、杏子は未知のような人だった。杏子の触れる文物は、見るにつけ聞くにつけ、全て、静に閃光が放たれるような驚きを与えた。杏子と過ごせば、目を見張る毎日が現れる。そのことを思えば思うほど、静の感覚は研ぎ澄まされていった。
大きな池のある、林のような広い公園。近くのとんかつ屋で早い夕食をとった後、そこをふたりで歩いた。
年の瀬に水面の庭は、人々に忘れ去られていた。ゆるゆる曲がる弧の道に沿いながら、何故だかどちらも声を発さなかった。
木々の根本にたゆとう淡い影らが、互いに結び、まとわりあい、いずれつやのない闇となった。
静の右手に、杏子の指が触れた。静はそれを遠ざけた。暫くして、静がまた杏子を感じたとき、それは重なり合い、包まれた。
静は、はっとした。本当に冷たい手が、自分を握っているのである。そうして、自分の愚鈍さと無邪気さを呪った。それは既に恋であったのだ。
静はその手を握り返し、早足で二三歩進んだ後、急に立ち止まって、杏子に向き合い、そのまま口づけた。
十二
杏子は、静との関係に一定の形を得てから、変わった。自分が片田舎から出てきたことを今更噛み締めるように、華やかな都にはしゃいだ。
まず、杏子は香水を集めだした。それも、一つを買って、それをまだ半分も使い切らないうちに、また新たなものを求めた。どれも有名な店の品ばかりであった。そのうち、服もきらびやかになった。
杏子の金の使い方は乱雑であった。それを静は意外に思った。加減というものを知らないのである。ただ静は、杏子が目に見えて艶やかになるのを、嬉しく思っていた。人があるべき様に、自らを変えていったのだと。自分に感化されたのは明らかだと、そういう気持ちもあった。
静が少し、杏子の変化に触れてやるだけで、杏子のお洒落に弾みがついた。自分の小柄なことを悩んで、太って見えるだとか、服が着こなせないとか言い出し、変えようのないことまで、どうにかしようと考えだしたのは、さすがに行き過ぎだと思ったが、そういうところもいじらしかった。
高級な服屋が立ち並ぶ坂道を、杏子に連れられて歩いた。着飾った人がひしめいていた。
二人が押し流されるようにして、店から店を冷やかしていたとき、杏子は路上で突然立ち止まった。人々は堰き止められた。
「どうしたの」
静が聞いた。杏子は涙ぐんでいるのである。
「私って、全然可愛くないのね。どれだけ頑張っても、私は私にしかならないの」
「そんなことないよ。杏子は変わったんだよ。綺麗になった」
「本当に?」笑みを浮かべていることは、杏子が尚悲しみの体裁を取っていても、分かった。
「うん、本当。だから、大丈夫」
杏子は、きちんと褒められることを、待ち続けていたのである。静はそれを、手にとるように理解した。だから、まるであやすようにして、それに応えた。
静は、それから杏子へ言葉を紡いでいった。
杏子は化粧が上手くなっていた。当たり前の成り行きであった。しかし、静はそれを発見したとき、言い知れぬ身震いに襲われた。
杏子は、もはや静の思いもよらない、手の込んだやり方をしていた。細かい手つきで複雑な過程を経て、目鼻立ちは大きく、濃くなり、そうして杏子は今風に埋もれた。
傍に長くいる者ほど、変化が緩徐で気付きにくいのだと、静は案外に思った。顔だけは何も変わっていないと、思い込んでいたのである。
静はその後、杏子が着飾ったり、化粧したりするのを、あまり褒めなくなった。杏子も次第に楽なやり方をし、終には何もしなくなった。
静は出会ったころのままに杏子がいてくれるのを、密かに喜んだ。落ち着きどころを得た、快さだった。そうして、十年近い歳月が流れていったのである。
列車は今さっき、備中高梁を過ぎたところであった。そう告げた車掌の声を、直接聞いたわけではないが、耳にその名残りがあった。
日の高い車窓は、真緑であった。線路は緑の山を穿ち、緑の川に沿って伸びていた。
ときどき渓流の岩に、白鷺が佇んでいるのも見た。その白は、周りの色を反転させるほどの力を有していた。この風景が、幾年もそのままの姿なのは、間違いなかった。
杏子に自分が振り回されている。静はそう考えていた。だが、事実は真逆を指し示しているのではないか。或いは、その両方かもしれない。
もうすぐ杏子と出会った季節が来ると、静は避けられないものへの焦りを感じた。