私を救ってくれた人

私を救ってくれた人。

 エッセイやレポ系の漫画などで生きることに悩む筆者が家族友人恋人配偶者に精神的なサポートを受けて救われたなんて話をよく目にする。もちろんドラマや映画などでもだ。


 それは「フィクション」「ノンフィクション」を問わない。色んな人が身近な誰かから大事にされている。


 う、うらやましい…!!!!!!


 私も大事にされたい!!海外のガールズ系ドラマみたいに沈んだ顔をしてるだけでBFFな親友に「まだあの時の事がつらいんだね、私はいつでもそばにいるよ。」みたいな事言ってもらいたい!!思い悩んでる時に「そんなに頑張らなくていいんだよ。すこし休もう。あなたの事が心配なんだ。」とか言われたい!!ムキ――ッ


 しかし実際の所、そんなありがたい存在が自分の人生に都合よく現れるとは限らない。むしろ現れない。だってみんな自分の事で手いっぱいで生きてるんだもの。


「大事にされたい!!」と言い切った私だが、別に友好的な家族や友人がいないわけではない。私がnoteで「大事にされたい!!」なんて書いてるのがバレたら「てめ…ふざけんなし!こちとらこんなに気ぃ使ってやってんだろーが!!」と怒られそうだ。正直すまん。まぁ落ち着きたまえ、私も色々思う所があるのだよ。



 私はある時期とても忙しかった。精神的肉体的にてんてこ舞いな時間がしばらく続いていた。


 今になって思い返すと「あの状態がもう少し続いていたら過労で死んでたな。」と思う。本気でそう思う。


 問題はここからだ。


 私自身が「過労で死んでたと思う。」と言っても誰も信じてくれないのだ。


「過労で死んでたかもしれないのに周りの人が信じてくれないって!?藤野さんの周り冷血漢ばっかりじゃない!サイコパスランド!!」と見ず知らずの私の為に憤ってくれる人もいるかもしれないが、少し待って欲しい。


 確かに私の心身はズタボロだったが、それがまったく表面に出ていなかったのだ。


 そもそも当時の私自身が「ひょっとしてヤバくね?」と1ミリだって思っていなかった。普通に笑ったりもしてたしご飯も食べてた。


 ただ、座ってるのに眩暈がしたり、耳がすっかすかの耳管開放症になったり、寝つきが悪く夜中2時まで眠れなくて寝ている間に異常な発汗や寒気に襲われ、カーテン越しの光がまぶしすぎてカーテンを2重にしたり、不整脈も出ていた。耳鳴りや手のしびれがデフォルト過ぎて気にならない程だった。何も手につかずPCの画面を数時間じっと見続ける事も多かった。やべーじゃん。死ぬじゃん。


 でも表面上は全然どうという事はない、いつもの私なのだ。ただの一度も「ちょっとダイジョーブ?少し休みなさいよ~。」とは言われなかった。


 過労死はゆっくりじっくり、真綿で首を絞めるがごとく静かに近づいてきて、自分でも気づけない周りも気づかない事が多いのかもしれない。とても怖い。



 そんなこんなで所かわって意図せずして大変だった時期に急に終焉が来て、私は完全に燃え尽きていた。真っ白な灰と化した。


 無気力状態に陥り毎日ただただyoutubeを見ていた。あんなに大好きだったゲームもしんどくてできなくなっていた。


 ここで私を救ってくれる人が物語のフラグ的に現れてしかるべきだが、そんな人は現れない。急に空から降ってくるような物でもないし。



 仕方ないので私は自分で立ち上がる事にした。このままじゃイカンと思ったからだ。


 これは回復の兆しだったのかもしれない。そもそも私はあまり自分を精神的に追い詰める方ではなかったので回復できたのかもしれない。自分を責める気質の人、しかも周りも責めてくる人がスタンバってるような状態ではこうはならなかったのかもしれない。かもしれない、かもしれない。


 とにもかくにも無気力状態を脱するためウォーキングを始めた。結論から言うとこれは上手くいかなかった。体力がなさ過ぎて歩いてるうちにうんざりしてくるのだ。筋肉がないから体も冷える。疲労感だけがつのり、1秒でも早く家に帰りたいという気持ちが強かった。ひとまずウォーキングはやめた。


 食事の改善も図った。体に良いとされるグラノーラやらオートミールやらチアシードやらも食べた。しかし特に意味はなかった。付け焼刃で効くようなものではない。


 健康診断の結果にウィーキングも健康フードの影響も出ていなく前年よりかなり悪くなっていたのだ。ただグラノーラやオートミールはたぶん健康に良いことに違いはないだろうし自分的にも美味しかったのでまた食べようと思う。


 ウォーキングも健康フードも良い結果は出なかったが、次に絵やら漫画を描き始めた。1年ぐらい何もやっていなかった、出来なかった。せっかく始めたTwitterも完全に放置してしまっていた。しかしフォローを切らずにいてくれた人たちもいた。なんとまぁ、ありがたい。確認してみたが2018年2月から10月まで消息不明になっていたようだ。おやおやまあまあ。



 とにかくネット上での活動を再開し、しばらく後に勢いにのってnoteにアカウントも作った。


 ああ、しかし、ちょっとゴタゴタした出来事があって1か月ほどで燃え尽きていまった…。note運営さんが私の投稿をおススメ記事にしてくれていたりしたのに、もったいない事をしたものだ。でも無い袖は振れない。


 そこから無気力になったり普通になったりを行ったり来たり。うだうだ、うだうだ数か月、10月くらいにインクトーバーチャレンジをしつつ筋トレを始めたがこれが良かった!


 インクトーバーで毎日なんらかの絵を描いてネットに上げなければならない引くに引けない状況と、ついでに始めた筋トレがまさかの効果を上げた。かなり調子が上向いた。


 筋肉がついたからかウォーキングを再開した所、とても楽に歩けることに気付いた。前は気持ち的にゾンビにでもなった感じだったが人間になれた!早く人間になりた…なった!


 すこし調子が悪いなと思うときも休憩するのではなく筋トレをする事にした。筋肉が…この私に筋肉が…!!!最近しょっちゅう筋肉を触っている。特に背中の筋肉がお気に入りだ!良いんだか悪いんだかよくわからないクセができてしまった。きっと私だけではないハズ。


 比較的元気になった私だが、だけどこれも一時的な事なのかもしれない。また人知れず深い穴の底に引きずりこまれるかもしれない。


 しかし私は一時的とはいえ自分を救った。救おうと決めて実行した。


 えらいぞ私。よくやった。


 もしかしたら周りの環境とか自分でも気づかないものが私を支えてくれているのかもしれないが、そんな事はひとまず置いておいて全部自分の手柄にする。だって私はこれからも自分を救わなければならない。手柄は多いに越した事はない。自分をほめる手札になるのだから。


 今日立ち上がった、自分えらい。今日何かした、自分えらい。で良いのだ。褒めて伸ばそう。責めた所でいい結果は出ない。



 私を救ってくれた人、それは「自分自身」。


 救ってくれて、ありがとう。


 いいえ、どういたしまして。これからも救うよ。

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