コーヒー豆で描いた笑顔
その昔、私は一時期とある場所で事務の仕事をしていた。
事務とは言っても内容はほとんど雑用で、掃除をしたり、足りなくなった備品の補充をしたり…。そんな感じ。
そこはキチンと分煙されている職場で、タバコを吸う人用の休憩室があり、その休憩室にはドーンとおおきな分煙装置も実装されていた。
休憩室の掃除も、もちろん私の仕事。掃除機をかけたり(和室だった)タバコの吸い殻を捨てたり。
いつからの習慣だったのか知らないが、私の前任の人が、使用済みのコーヒーの豆の粉を乾燥させてから灰皿に盛って火消しに使っていたので、私もそれにならっていた。
コーヒーのいい香りがする上に、なんだかちょっとオシャレな感じが気に入ったので、多少の手間がかかっても特に苦にはなっていなかった。面倒くさがりが極まった私でも続けることができていた。
直径20センチほどの大き目なガラスの灰皿にコーヒー豆の粉を盛りつづける日々。いつからか私はそのコーヒー豆の粉に絵を描くようになっていた。
もちろん複雑な物は、さらさらした粉の性質上できない。いつも簡単な笑顔や花の絵を指先でつついて描いていた。ほんの10秒くらいのアートだ。
翌日、その灰皿を回収に行くと、灰皿の上にはこんもりとタバコの吸い殻が溜まっている。私の描いた絵など当然まったく痕跡が残っていない。
砂で描いた曼荼羅の超劣化版のようなものだ。う~ん、諸行無常。
そんな、どうって事のない日々を過ごしていた、ある日。私は灰皿コーヒー粉に絵を描かなかった日があった。今となっては忙しかったのか、たんにうっかりしたのか、面倒くささが爆発したのか覚えていない。
私が休憩室の掃除をしようと部屋に入ると、いつもの喫煙組がタバコをくゆらせていた。掃除機は人がいない隙を狙ってするので、灰皿だけをちゃちゃっと交換する事にする。
給湯室で前日に洗って乾かしていた灰皿に、コーヒー豆の粉を盛ったものを机の上にドンと置き、吸い殻が溜まった方をささっと回収する。
すると近くにいた喫煙組の人がそれを見て声をかけてきた。
「あれ?今日は絵が描いてないんだね(´ー`)y-~~ 」
私は咄嗟にフヘヘとはにかんだが、内心は少し驚いてた。
それまで一度も灰皿アートについて言及された事がなかったので、誰も気に留めていないと思っていたのだ。
他の喫煙組の人達の顔をチラリと見渡せば、みな一様にまったりとした穏やかな笑顔を浮かべている。まるで孫を見るような目だ。ニコチンの影響かもしれないが。
しかし、それで私は気が付いた。
こんなどうという事のない小さな遊び心が誰かの目を少しだけ楽しませる事ができるのだという事を。
つまりアート、芸術というのはそういう物なのだ。
一目で誰かの人生を変える位の力強さがある時もあるし、日々の小さな心の潤いを積み重ねていく事もできる。
砂の曼荼羅の超劣化版、諸行無常じゃなかったんだ!