砂漠に水を撒く 「カタルシスで終わらせてはいけない」
早田ひなの「特攻記念館へ行きたい」発言(騒動?)で思い出したのが標記のことば。故大林宣彦監督が大岡昇平原作の映画『野火』の監督塚本晋也との対談で発したもの。戦争映画への戒めである。念頭には『永遠の0』や、遠くは『男たちの大和』があったろう。
カタルシス。それはヒロイックな場面を観させられて大泣きし、そのあとに訪れる心身が洗い清められたように感ずるアレである。間違えていけないのは、それは限りなく生理現象に近いのであって精神の活動ではない。非戦の誓いや批判精神とは無縁の現象であり、それをもってみずからの認識が高められたと勘違いしてはならない、という戒めである。
とまれ、若い(Z世代?)早田が特攻記念館の存在を知っていたことは尊い。何かというと泣く早田はそこでも泣き、カタルシスを体験するだろう。願わくはそれが最終目的でないことを祈るのみ! 早田を難じているのではない。
あの小泉純一郎でさえ当該記念館を訪問して泣いたのである。虚報に踊らされたブッシュが仕掛けたイラク戦争を世界に先駆けて支持し、気前よく財政支援した男がである。イラクが強国であったなら、日本を敵国とみなして攻撃したであろうし、そのことに日本は文句を言えない立場だった!
卓球少女から一国の首相まで、同じカタルシスを起こさせる背景には刷り込まれた感情のロジックがある。「お国のために戦って斃れた兵士ら(=英霊)のおかげで今の日本(の繁栄)がある」という靖国イデオロギー。早田ひなが「自分がいま卓球ができているのは当然のことではない」と語ったのも、それを受けての変奏である。
しかしそこには巨大な嘘がある。靖国イデオロギーは「死者に口なし」をいいことに、捏造されたモノガタリにすぎない(cf.前稿、吉行淳之介のことば)。その根拠は次稿で書くが、その前に自分自身の体験をひとつ。
現役時代、出張で呉市を訪れたことがある。呉といえば大和ミュージアム。それまでの学習もあったのでフラットな気持ちで見学した。戦艦大和の10分の1模型は26メートルもあってなかなかのものだったが、甲板に置かれた同一縮尺の人物模型を見て、閉所恐怖症気味の自分は「狭い」と感じたのをよく覚えている。
それはさておき、胸を衝かれたのは別室に展示された伊藤第二艦隊司令長官や有賀艦長をはじめ乗組員が出向前夜に書いた遺書であった。要注意は、これらは結果として遺書となったのではない。撃沈必至の出航(!?)だったのだ。その経緯も次稿に書く。
なかに20代半ばの青年が書いた両親あてのそれがあり、「…私の心はいま山のように静かです。」とあった。神風特攻隊員の遺書にも頻出する類似表現であるが、これを真に受けて泣くのがカタルシスである。自分はこれを嘘、嘘が酷だとすれば、両親の気持ちを思いやるギリギリのレトリックであると信ずる。その理由も次稿に書く。
(砂漠に水を撒くとは、この文章がひとり語りであるという以外の意味も意図もない。だれかに論争を挑むというのでもなければ、説得し教化しようというのでもない。散漫だが、先の戦争について学んだことを形にして吐き出しておきたいと、一少女の発言を機に思いついたまでである。所詮、素人の穴だらけの知識に基づく駄文である。細かい事実誤認や齟齬があるかもしれないが、ご海容を願いたい。)