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宿泊数というKPIを考える
9月2日の日経新聞で、「インバウンド、宿泊数を注視せよ」というタイトルの記事が掲載されました。今後の日本経済にとって有望な構成要素として育てていきたいインバウンド消費について、宿泊数という観点から考察している内容です。
同記事の一部を抜粋してみます。
2024年のインバウンド(訪日外国人)客数は大幅に増え、これまでの最高記録である19年の3188万人を更新する勢いだ。もっとも、今後、注目されるのは人数(数量)ではなく消費額(質)の側面になるだろう。日本は増え続けるインバウンド需要に対応するための労働力がもはや十分ではない。需要があっても供給に制約がある中、数量ではなく質を追求するという政府の戦略は正しいが、質をどう評価するかは難しい。
訪日客1人当たりに多くのお金を使わせることで人手不足の悪影響が顕在化せずに済んでいる実情はあるが、結局、円安のたまものという側面も大きいからだ。量より質と言えば聞こえは良いものの、質が消費額単価だとすると、それは円安により達成される評価軸である。少なくとも過去2年は自国通貨価値と引き換えにインバウンドの消費額単価が押し上げられたという側面は否めない。
その点、消費額単価よりも、宿泊数が増えることの方が日本の魅力を知ってもらい、多くの時間を割いてもらえるようになったという意味で質といえるだろう。訪日外国人の旅行消費額の構成比(24年4~6月期)を見ると、最も多いのが宿泊費(33%)だった。宿泊数自体が増えれば、必然的に消費額単価もまとまった幅で増えていくことが期待されよう。
ただ、政府の25年目標である地方部2泊を達成できるかは微妙な情勢だ。滞在日数を延ばしてもらうためには訪問地域を増やしてもらうしかないが、交通網の整備などが課題となる。人手不足が深刻化する地方において急増するインバウンド需要をさばくだけの交通網を用意するのは簡単ではない。
高級リゾートホテルを複数誘致すれば、日本国内の宿泊施設の収容能力は拡張されるが、本当に客室は埋まるのか。円安でかさ上げされた消費額単価を判断材料として高級リゾートホテルという着想を得たとしても、その成否は保証されていない。そもそも宿泊・飲食サービス業自体が空前の人手不足という供給制約の問題もある。
だが、様々な課題を抱えていたとしても、「日本の魅力を認める人が増えた」という状況を判断するにあたっては、宿泊数の指標も注視していく必要がある。
KPI(「Key Performance Indicator」=「重要業績評価指標」)という概念があります。最終的な目標(KGI=「Key Goal Indicator」)達成のために、必要なプロセスが機能しているかを見るための指標です。何を追うべきKPIと定義するかは、組織や会社によります。言い換えると、KPIの定義が、マネジメントで腕の見せ所のひとつだということです。
インバウンド消費を例に挙げると、KGI=インバウンド消費額総量の増加だと考えることができます。消費額総量は、1人当たり平均消費金額×訪日者数で決まります。1人当たり平均消費金額や訪日者数は、さらに分解することができます。
例えば、訪日者数=初来日者数+訪日リピーター数と分解することができます。初来日者数増加も訪日リピーター数増加も、どちらもKPIになりえます。
同記事の示唆は、1人当たり平均消費金額をさらに、(1日あたり平均消費金額/人)×(宿泊日数/人)に分解し、後者を増やすための施策を定義し集中的に取り組もうというものだと認識します。
KPIは、今の自分や自組織に適したものを、必要最小限に絞ることも大切です。
すべてのプロセスをKPIし、すべてを追えるなら、そうするのがよいかもしれません。しかし、一度に多くのKPIを追えるほど十分なヒト・モノ・カネ・時間が持てる状況は、多くないはずです。
「今意識することはとにかくこれ」と最優先のKPIを絞りこみ、「その実現のためにできることはこれ」と絞った取り組み目標を実行するほうがうまくいくことも多いでしょう。あまりたくさんのKPI=課題を設定しすぎないようにする、課題をシンプルに絞ることも重要です。
適当な例ですが、例えば同記事のテーマについて、「宿泊日数/人」を増やすことを最優先のKPIと定義したとします。そして、「地方部2泊」をその実現のためのサブKPIとし、ヒト・モノ・カネ・時間をそこに投入する、と決めてしまえば、取り組み施策は明確になりやすくなります。
そして、不適切なKPIを設定してしまうと、組織・個人のパフォーマンスと士気(=納得感)を下げてしまうという点にも注意が必要です。
以前、次のようなお話をある企業様で聞いたことがあります。工場での生産性を重視している製造業です。
・1人当たりの付加価値額(生産性)を指標化し工場のKPIとしている。具体的には、(売上高-売上原価)/従業員数。
・売上高なども重視しているが、それ以上に上記KPIを最も重視して評価。
・工場内にいくつかの製造ラインがある。1人当たり付加価値額の指標は、工場全体に加え、ラインごとでも算出する。営業が新規案件をとってきたらいずれかのラインが製造を請け負い、人が足らない場合は別のラインから応援を出す。
・営業から、新規案件の試作品や少量注文などの依頼があると、各ラインのリーダーが露骨に嫌がる。
・残業癖(生産活動は所定労働時間内では終わらないものという意識が常態化)がついていて、なかなかとれない。
これは、工場長や各ラインリーダーとしては、ある意味当然の反応だと言えます。
評価される指標が、(売上高-売上原価)/従業員数となっていれば、少量の注文は工数がかかる一方で分子にプラスの影響がほとんどありません。新規案件には立ち上げの時間がかかり、その分が従来製品の製造キャパを圧迫すると、KPIの値が下がってしまいます。
分子の計算が売上高-売上原価の構造になっていて、それで評価の多くが決まるのであれば、新規案件や少量注文には後ろ向きになってしまうでしょう。
さらに、分母も問題ありです。ライン内の人だけでは手が回らず別ラインから応援を呼んだ場合、応援者の人数をつけかえるまではしていないそうです。だとすると、応援を出す側としては、残ったメンバーで自分たちのラインを回すことになり、自分たちの活動がひっ迫する結果となるため、応援に出したがらなくなります。
分母が従業員数になっているのは、残業癖にも影響を与えてそうです。リーダーの立場としては、新しい従業員を一人増やすより、今いる人で残業して回すことで、分母を増やさずに済みます。
同社様では、「新しいことに挑戦する」「少量多品種など他社が手の届かないところで価値を届ける」などを方針として掲げています。しかし、上記のお話からは、適切なKPI設定に至っていないということが言えると思います。
同社様では、経営層とリーダーが話し合い、より適切なKPIを再定義することになりました。
・生産性は大事だが、新規案件担当数など他にも大事にしたい指標を定義する。
・評価は、それらを組み合わせて複合的な視点で行う。
・1人当たりの付加価値額の分母は、総労働時間数などに変更する。
KPIの絞りこみも大切ながら、組織が目指すことに沿った指標になっているかの検証が、やはり欠かせません。
<まとめ>
目的に沿った適切なKPIを絞り込む。