読解力高いのに労働生産性低い
6月3日の日経新聞で、「人的資本を生かすには(上) 女性活躍へ政策的障害 除去」という記事が掲載されました。記事は、「新しい資本主義実現会議」で提言された、人への投資に関する方向性に言及しながら、女性の就業や活躍の妨げとなっている要因の考察、社会や企業の取り組み課題を示唆する内容でしたが、その中で興味深い示唆がありました。
同記事の一部を抜粋してみます。
PIAACによる「読解力の習熟度調査」を調べてみたところ、読解力の平均スコアが次のような結果となっていました(いくつかの国を抜粋)。近年の調査実績は見当たらず、最新版でも2013年のため、その後9年間で変わっている可能性はあります。そのうえで、大きな傾向は見てとれると思います。
イタリア250.48、スペイン251.79、フランス262.14、オーストリア269.45、アメリカ269.81、ドイツ269.81、イギリス272.46、韓国272.56、OECD平均272.79、カナダ273.49、ベルギー275.48、エストニア275.88、ノルウェー278.43、オーストラリア280.40、オランダ284.01、フィンランド287.55、日本296.24
意外にも、調査結果の出ている国のうち、最も高いのは日本となっていました。そして、この読解力スコアを横軸にとり、労働時間当たりGDPを縦軸にとると、右肩上がりの直線となります。読解力が高いと労働生産性が上がるということです。ほぼすべての国がこの直線付近に位置するのですが、韓国と日本のみ例外的に直線のはるか下方に位置するイメージです。つまりは、読解力の高さが労働生産性に結び付いていないということです。
このことによる示唆を、2点考えてみます。ひとつは、日本で行われてきた学校教育は本当にまずいのか、ということです。
学校教育に関して私は素人ですが、例えば、知識習得偏重で社会での実用との結び付けが弱く、見直しが必要であることが指摘されている、などは認識しています。確かにそうだと思う一方で、行動して成果を上げるには、適切なインプットがないと成り立ちません。
小麦粉以外の原材料が投入されたり、小麦粉の投入量が不十分だったりすると、いくら機械を回して生産ラインを動かしたり手でこねて手作りしたりしても、期待するパンは出来上がりません。おかしな固形物が出来上がります。
読解力の高さが、社会活動・事業活動で求められる思考・行動に必要なインプットであることは、疑いようがないと思います。読解力あってのコミュニケーションであり、チームマネジメントです。難しい読み物は読まなくてもよい、インプットの量は減らしてアウトプット(例:討論やプレゼンテーション)にもっと比重を移せばよいという意見が果たして妥当なのか、上記各国の読解力・労働生産性との関係を見ると疑問が出てきます。日本の教育の良い点(あるいは良かった点)があるなら、的確に評価すべきだと思います。
それでは次に、他国では一般化できそうな「高読解力=高労働生産性」の法則を外して、なぜ日本は「高読解力ながら低労働生産性」になってしまっているか、が2つ目の点です。多くの他国で当てはまる法則を外すということは、多くの他国にあって日本社会や日本企業にないもの、あるいはその逆、を考えると、それを生み出す要因に行きつくかもしれません。
冒頭の記事では、103万円の壁や106万円の壁と呼ばれる税制、社会保険制度の影響も含めた、女性の能力の過少利用を問題提起していました。日本では女性は男性と同程度の読解力を持ちつつも、男性の半分程度しか仕事で使っていないという点は、日本固有の要素でこのテーマに影響を与える要因の候補になるかもしれません。
企業と労働者の双方に対する保護が手厚いことも要因として考えられます。OECDの報告書等でも、日本では中小企業向けの手厚い支援があり、生き残れないはずの企業までも存続させることで、日本の成長力や競争力の足かせになっているという指摘もなされています。一方の労働者側も、企業に自由な解雇権がないことで、各企業の仕事にマッチしていない労働者の雇用維持のバックアップとなっています(ただし、欧州の一部では労働組合が強く日本以上に労働者保護が強いとも言われていて、日本だけとは限りませんが)。
これらの結果、もっと適材適所の人材配置になりえる可能性が発揮できていないという面も想定できます。このことが「高読解力を十分に使う機会がないことでの低労働生産性」につながっているかもしれません。
あるいは、OECDの中でも圧倒的に低いと評価されている、官民双方における労働者に対する人材投資額です。前回コラムでテーマにした研修について、「研修が現場でのパフォーマンスにどれだけ役立つか疑問」という声を聞くことがありますが、その研修に対する投資額も他国より圧倒的に少ないのが日本の現状です。さらには、「育てた人材が引き抜きにあう」という懸念が妥当かどうか疑わしいのは、冒頭の記事も示唆しています。
そして、低賃金であることです。他国の賃金は年々上がっていく一方で、日本は賃金がなかなか上がりません。賃金が上がればお金につられて仕事のやる気が高まるというわけでもありませんが、上がっていかないことでやる気がそがれることは十分想定されます。
他には例えば、やはり他国より低いと指摘される研究開発費投資や、分野によっては規制が他国より行動制約となっている可能性なども挙げられるかもしれません。
これらの合わせ技により、成長産業・事業への人の再配置、学び直し、持ちうる潜在力の十分な発揮などが進んでいないと考えることが、できるのではないでしょうか。
だからと言って、すべてをひっくり返すのがよいとも限らないと思います。中小企業保護や解雇権の制約などが、プラスの影響をもたらしている面もあるはずだからです。経営危機を省みないレベルでの投資もすべきではありません。
そのうえで、「一般的な水準や他社の基準がこうだから」「これまでのやり方を踏襲して」といった物差しだけで自社の方針を決めるべきではないでしょう。例えば、可能な予算を組み人件費を他社に先駆けて上げていくのがよいかもしれませんし、個人のキャリアと会社の事業戦略を今まで以上に両立させる新しい仕組みを取り入れてもよいかもしれません。
「これが人材の能力発揮を妨げているのでは」「これが今まで以上に人材の可能性を引き出せるのでは」といった目線で、取り組み施策を考えるべきだと思います。
<まとめ>
他国と比べても、十分に初期能力や潜在力を持ち合わせた従業員が入社しているのかもしれない。