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旭山動物園の躍進の背景を考える

連休中に家族で旅行をしてきました。行先のひとつが、北海道旭川市の旭山動物園でした。以前から聞いたことがあり、一度行ってみたいと思っていたものの機会をつくれずにいました。今回ようやく行くことができ、いろいろな気づきがありました。

改めて、旭山動物園がどのような経過をたどったのか、All Aboutの記事「旭山動物園はなぜ成功したのか? 「行動展示」への動物園改革」から、一部抜粋してみます。

旭山動物園は1967年7月、開道百周年に当たる年に札幌市円山動物園、おびひろ動物園に次ぐ北海道で3番目の動物園としてオープン。記念式典ではスウェーデン臨時代理大使、ソ連大使館参事官、アメリカ札幌領事などの各国代表が参列し、地元民のみならず国際的な期待のかかる動物園として順風満帆なスタートを切った。

当時、動物園の物珍しさも手伝って入場者数は順調に推移し、初年度およそ46万人を集めると、毎年40万人前後の入場者数を誇っていた。

園長から飼育係に至るまで少ない人員ながらも旭山動物園は、理想の動物園を実現すべく日々ビジョンに向けて邁進していた。ところが、物珍しさがなくなると入場者数が停滞。園側は理想の動物園を実現して事態を打開したいと熱望していたが、市側が率先して進めたのが園側の意思と反した遊園地の併設だった。

1977年に豆汽車を手始めに、78年にはチェアタワー、そして83年にはツインドラゴンジェットコースターと魅力ある遊具を次々に導入した。特にジェットコースターは北海道初という珍しさもあり、導入当初から人気が爆発。最高で3時間待ちという長い行列が続くことになった。

動物園に遊園地が併設されたことにより、旭山動物園の集客力は大幅にアップ。1983年には60万人近い入場者数を記録した。

ただ、この遊園地効果は長い間続くことはなかった。遊園地の遊具は導入すれば、その年は集客アップの効果を発揮したが、集客効果を維持するためには翌年も新たな遊具を導入しなければいけないという状況だった。

一方で動物園に目を転じれば、施設は老朽化が進み、園側は改装を望むも市議会では市民の生活を最優先させ、動物園のための予算は最低限しか確保されず、来園者にとって魅力的な動物園作りを行うことが出来なくなっていた。

来園者は老朽化した施設の中でいつも眠ってばかりいる動物を目の当たりにし、動物園に対する興味を失い、日に日に足が遠のいていった。魅力を失った旭山動物園の入場者数はみるみる減少を続け、1993年にはピークの60万人から20万人以上減少し40万人へと後退していた。

そして、入場者の減少に決定的な影響を与えたのが寄生虫“エキノコックス”による閉園。この一件以来、人々は動物園を敬遠するようになり、1996年には史上最低の26万人まで落ち込んだ。

エキノコックスの発生は偶発的な要因だったのかもしれませんが、それ以外の出来事には、一貫して次の要因が指摘できるのではないかと考えます。

・何を園の提供価値とするのか、定まっていない
・提供価値を高めるための投資を行っていない

存在意義を根底から揺るがされ存亡の危機を迎えた旭山動物園だが、一つの光明が差し込む。それがレジャー施設の誘致を公約に当選した市長の存在だ。1995年に市長は園長に改装を打診。これまで園を上げて理想の動物園作りを模索していた園側は一丸となって、これまで他の動物園では類を見ない“行動展示”という手法を用いて、動物のありのままの姿を見せることに挑戦する。

動物園改革は1997年、ウサギやヤギなどの小動物に触れ合うことができる『こども牧場』から始まり、『ととりの村』や『もうじゅう館』、『さる山』、『ぺんぎん館』、『オランウータン舎』、『ほっきょくぐま館』と毎年のように続く。

旭山動物園ではこれら予算をかけた園の改修に加え、来園者がより動物に親しんでもらえるよう直接動物の飼育に携わる係員から様々なアイデアを引き出して事業化していく。

まず、飼育係員自らが担当している動物の日常の姿を自分の言葉で伝える「ワンポイントガイド」では、書物で学べる動物の特性を語るのではなく、動物個々の日常的なしぐさやケンカの話題など飼育係の視点からの説明が却って人々の興味をそそった。また、予算の関係で製作できなかった看板の代わりに手書きで園内の最新情報を紹介する「手作り看板」も人間味が溢れていると来園者の好評を得た。

そして、今や夏の風物詩となった夜の動物の生態が垣間見れる「夜の動物園」や冬の風物詩である「ペンギンの散歩」など動物の生態に合わせたイベントも、普段見ることのできない動物の一面を垣間見ることができると熱心なファン作りに一役買った。

旭山動物園は存亡の危機に立たされながらも、動物園に携わる者の動物園にかける情熱、動物を生き生きと見せる方法への追求、行政や市民の全面的なバックアップにより入場者数はV字回復を遂げることになる。

2004年には『あざらし館』のオープンがマスメディアで大々的に取り上げられると年間入場者数は初の100万人を突破。そして開園40周年を迎えた2007年度には307万人に達し、日本一の入場者数を誇る上野動物園の350万人に肉薄するところまで成長を遂げた。

コロナ禍前の2019年度で約140万人とピークからは減っているものの、人口約33万人の旭川市です。上野動物園は来場者数400万人を超えますが、東京都は人口約1400万人の都市です。旭山動物園は旭川市外から多くの来場者をひきつけているのが特徴と言えそうです。加えて、旭川市が冬季には来場が見込みにくい気候という要素も踏まえると、140万人は依然としてたいへんな記録だと言えます。

今回初めて旭山動物園に行きましたが、「行動展示」の醍醐味が随所に感じられました。ガイドを聞きながら、オランウータンやアザラシ、ペンギンなどを見ました。オランウータンのところでは、ガイドの方の解説を聞きつつ、えさを食べながら行ったり来たりする様子を20分間ほど見ました。「こんなにオランウータンのことをじっくり考えながら間近に見たことが、これまでの人生であっただろうか」という感じでした。

何より、ガイドの方の熱心な説明に聞き入りました。私なりの解釈ですが、「動物の生態に親しんでほしい。地球環境問題が動物に及ぼしている影響を知ってほしい」という想いが一貫して感じられました。

上記で挙げた要因について、97年以降は次のように変わってきたと言えるのかもしれません。

・行動展示により「動物のありのままの姿を見せる」ことを、園の提供価値とする
・遊園地のアトラクションなどではなく、行動展示につながる設備やイベント、ガイドの訓練などに集中投資する

加えて、2点考えてみたいと思います。ひとつは、「内部に今ある経営資源を中心に考える」という視点です。

「客寄せパンダ」という言葉がありますが、一般的な動物園で人気の高いパンダやコアラなどのスター的な存在となる動物が、旭山動物園にはいません。(私の認識不足かもしれませんが)ここにしかいないという動物は見当たらず、どこの動物園にもいそうな動物ばかりでしたが、その動物たちの魅力を最大限引き出そうとする見せ方やガイドの方の語りかけによる体験は、ここにしかないものと感じられました

制約がある中でも自分たちがもっていて使える経営資源やノウハウを活用し、強みにまで高める。そのような取り組みが表れているのと考えます。

もうひとつは、目指すビジョンの明確化と共鳴です。

同記事では次のように紹介しています。

最も重要なポイントして挙げられるのが、どんな状況に追い込まれてもトップがぶれずに事業の理想を描き続けたことだ。トップの理想の動物園を追い求める姿勢が従業員にまで伝わり、組織一丸となってビジョンを実現するために日々準備を怠らなかった。

旭山動物園では廃園の危機に立たされていた状況においても内部で「そもそも動物園はどのようなものであるべきか」というテーマで議論を重ね、常に動物園としてあるべき姿を追求し、組織に属するもの全てがビジョンを共有していた。このような議論を通して、理想の動物園像がみんなでシェアされ、組織に属するもの一人一人が自分の役割を認識して仕事に情熱を持って働くことができたのだ。

やはり、評判を呼び躍進する商品・サービスは、偶然ではなくそうなる理由がある。そのことを、現地で見ることで認識した次第です。

市による運営や動物園という形態で、事業領域や前提がそのままは自社に当てはまらない点も多いと思いますが、そのうえで、多くの企業にとって参考にするべきことが多い取り組みだと思います。

<まとめ>
自組織の提供価値を明確にし、そこに集中投資する。

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