師資相承を考える
月間致知7月号に「師資相承」(ししそうしょう、または、ししそうじょう)というタイトルの記事が掲載されました。広辞苑によると、師資相承とは師から弟子へと道を次代に伝えていくことで、分野を問わないそうです。
同記事の一部を抜粋してみます。
人間を形成する要素として師匠運がもっとも大事であるということ。そして、尊敬する人がいなくなった時その人の進歩は止まり、尊敬する対象が年とともにはっきりするようであるべき。個人的には、とても印象に残った言葉です。
そのうえで、それは「運」というわけです。
ならば、恵まれた人は師匠に出会って人間として大成でき、恵まれていない人はそうならない、自分ではどうしようもないもの、ということなのかというと、そうではないと考えます。
「内に求める心なくんば~」からも、ここで言う「運」とは、「宿命」と「運命」でいうところの、「運命」で切り開いていくことのほうを指しているのではないかと、考えるためです。
宿命:命が宿る
運命:命を運ぶ
何に命が宿っているのかは、生まれた時に決まっていて、直接変えようがない。一方で、その宿っている命をどのように運ぶかは、いくらでも変えようがあるという意味合いです。命を運ぶにあたっては宿命のせいにしない、「こうなりたい」と思ったら自分の中に宿っている命を運んで実現すればよい、ということです。
つまりは、人格を形成する、自分にとってのよき師匠は、ただ待っていれば現れるというものではない。自分の人生の使命を模索しながら、目の前に開けた道を信じて大事にし、わき目を振らず進んでいくうちに、道の途中で必然的に出会うことのできる人物だというのが、記事中の識者による示唆なのだろうと思います。
キャリア開発の分野と照らし合わせると、「計画的偶発性理論」のことが頭に浮かびます。
これは、人のキャリアの8割は、「偶発」的な出来事、つまりは偶然が決めるとされているものです。よい偶然に出合うために、あまり先のことばかり考えないで、今をしっかり生きよう、行動しよう、そうすればあたかも計画されていたかのようによい偶然に出会い、キャリアが動き出していくというものです。
そして、よい偶然を呼び込みやすい行動特性として5つ、好奇心、持続性、柔軟性、楽観性、冒険心が大切だとされています。これらを発揮し続けると、結果として計画されたように、偶発的に師に出会うことができる、と言っているように思います。
私も、自分にとって師匠と呼ぶべきだろうと思う人との出会いがありますが、例えばそのうち1人は、引き合わせてくれたのが共通の知人で、今振り返ってみるとたいへん偶発的なものです。偶然ではあるものの、同知人との付き合いを大切にしてきたことで、発生した偶然なのだろうと感じます。
そのうえで、「滴骨血(てきこつけつ)」「瀉瓶(しゃびょう)」のごとく、その人物の一挙手一投足まで目を凝らして耳をそばだてて学び、受け取れるものをすべて受け取るような向き合い方をしているかというと、できていないのではないかという振り返りをした次第です。
同記事の侍者のようなレベルで実践するのは環境的にも無理がありますが、、少なくとももっと偶然の出会いに感謝し、自分なりに「師資相承」に取り組んでいると言えるレベルの学びの実践をしたいと思います。
師匠にべったりと張り付きその背中から学ぶ、といったOJTや人材育成の考え方・やり方は、時代の要請もあって各社で退潮の傾向にありますが、双方が認め合うならそれもありで、そのプロセスだからこそ得られる何かがあるのかもしれません。
<まとめ>
師が蓄えてきたものを、一滴も漏らすまいと必死に受け止める。