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誰も香港のことを考えていない
1997年に香港が中国に返還されたときにも実感したが、現実には、誰も香港のことを考えていない。
それはこの立場に立った国家(あえて国家という)にとっては普通のことかもしれない。ただ一方では、誰に宣言されることなく、自然に1つの国として認知されてしまった日本という国の国民から見たら、歴史に翻弄され、自ら「香港」と叫ばない限り、香港という国がなくなってしまう立場の国民の気持ちなど、本当にはわからないのかもしれない。
1997年の変換において、イギリスは、統治国としての責任を果たしたとはいえないだろう。アヘン戦争時に中国と交わした契約は「99年の租借」だったが、イギリスはこれを「永久の占有」だと思っていたようだが、中国としては、奪われた自国の土地を絶対に奪い返すと思っていたのだろう。99年などと言う時間は、中国4千年の歴史の中では、コーヒーブレイク(もとい、昼下がりのお茶の時間)ぐらいのものだったのかもしれない。
イギリスとしては厄介な話だったんだろうが、しかし中国の攻勢に、有効な手立てもなく、面倒を避けるように香港を返還した。将来の民主化を約束させるとしていたが、その答えが「向こう50年の一国二制度」だったとすれば、これもまたイギリスの本気度を疑う。99年で失敗していて、50年がうまくいくはずがない。
イギリスにとっては、当面香港における自国の利権が保障されるということが担保されれば、別によかったのだろう。後に中国は飛躍的に経済を伸ばし、イギリスもその恩恵(毒芽)にさらされ、もはや香港の自由など忘れてしまったかのようだ。
別に香港に限ったことではないが、大国に隣接する小国ぐらい危ういものはない。香港はそもそも中国の一部だったが、99年のうちにイギリスでもない、しかし中国でもない、都市国家としての様相を確立した。東洋の真珠とも言われた繁栄を、香港人自身が信じて疑わなかった。
97年当時の彼らの言動を見ればそれがわかる。
当時日本で聞こえてきた香港人の言い分は、「イギリス人にずっと支配されてきたが、ようやく故郷中郷に戻れる」「中国人の国になれる」というものだった。おおむね庶民も、中国人の国家として自分たちのアイデンティティーが確立されると思っていた節がある。
これは表面的な意見かもしれない。だが庶民と言われる人の大半がそう思っていたのも事実だ。いやそう思いたかっただけかもしれないが。
確かにイギリス統治下の香港は、少数のイギリス人に、国家の要職をすべて押さえられ、香港人はナンバー2に甘んじていた。外国人が多く住む地区と、香港人が住む地区ではあからさまな違いがあり、英語と広東語が公用語であるが、公式文書は英語のみ。だが香港人の大半は広東語しか使えない(とはいえ、日本人よりは、ずっと英語ができる人材は多いけれど)日本人が日本という国で、日本人とだけ長く暮らしてきたのに比べれば、支配されることの鬱屈を常に抱え、その分上昇志向の強い、ぎらぎらした国民性が香港人だったと言う印象がある。
しかし97年以降、状況は一変する。
本当は香港人の多くが、心の奥底では気づいていたのだろう。だが立場上、そして希望的観測として、口に出さなかったことがある。
支配者がイギリスから中国に変わっただけ。
自分たちの立場は何も変わらない。
中国とイギリス、どっちがましなんだろうか。
一方で、97年に向けて、多くの香港人が移民したのも事実だ。
中国人の国を求める意見の裏で、黙って香港を見限る人は意外に多かった。金持ちだけでなく、普通の市民に至るまで、移民を考えた。日本で言えば、年収300万円程度のサラリーマンが移民を模索した。移民が無理でも、だったら子どもにグリーンカードを持たせようと、おなかの大きな女性たちが、知人を頼ってアメリカやヨーロッパに渡った。そしてそこで子どもを産んだ。当時国籍を出産国で定める国は多く、それを利用したわけだ。生まれた子どもはアメリカの国籍や、EUの国籍を持ち、そのまま母親の腕に抱かれて香港に戻った。もしもの時この子を起点に、一族が欧米に移住するためだ。
当時は今ほど移民の問題が表面化していなかったから、これはうまくいくと思われていた。
でもあまりに多くの香港人が各地に移住したので、それでプチ移民問題が起こった。バンクーバーは老人の人口が多く、働き手が少なかったところに、労働力として有能な香港人が多く移住した。バンクーバーの側もそれを歓迎した。来たのは高学歴で、資産もある香港人だった。これで税金も増え、バンクーバーの高齢者は悠々自適のはずだった。
しかししばらくすると、香港人たちの行動力によって、現地の人々は不自由を感じ始める。生活習慣の違いが表面化し、香港人による経済の独占が起こり、静かに暮らしていたバンクーバーの人たちは喧噪に巻き込まれる。以降、バンクーバーでは移民排斥の機運が上がってきている。
香港人の移民は南アにも及ぶ。当時南アは、世界中の移民を歓迎しており、欧米に移民できなかった香港人は、南アにも食指を向けた。しかし南アの特殊事情を考えれば、移民してうまくいくのだろうかと思ったが、実際問題は多かったようだ。
その後、香港は世界中の予測に反して、あまり変わらなかった。
中国も当時はあからさまな態度を見せず、むしろ香港から上がる外貨を期待した。そこで香港は、それまでの予想に反して、世界に門戸を開き、金融と貿易の拠点として発展した。後ろに中国という大きな市場を抱え、香港の価値はむしろ上がったように見えた。
やがて移民に出た香港人の多くが香港に戻り始める。個人で言えば、移民は非常に大変な作業で、行った先でうまくいく人は限られる。特別の能力か、資産のある人以外は、移民するということは負担が重い。拠点を築こうと単身赴任した男性は、思うような働き口が得られず、人種の差別にもあい、悶々とした人が多かった。残された妻と子も、家族の離別から来る不安と、中には経済的な問題も抱え、このときの移民の多くはあまりうまくいかなかったという結果に達した。そして多くは香港に戻り、元の生活を再開した。
だがこの失敗はあくまでも、「香港が変わらなかった」事によって起こっている。故郷がそのままなら、故郷の方が暮らしやすいと思った多くの香港人が中途半端な移民を解消して戻ったに過ぎない。もしあのとき香港ががらっと様相を変えていたら、あのとき逃げ出した香港人は誰も帰ってこなかっただろう。
そして今、香港人は、また静かに移民を模索している。
コロナ禍であろうとなかろうと、現在の中国に圧力をかけられるのはアメリカぐらいしかない。誰も中国のような国に正面からけんかをふっかけるのは面倒だと思っている。自国が危機にさらされない限り、どうやったら適当に終わらせられるか考える。これはアジアではなく欧米の国々の共通した意見だ。
アメリカはトランプ政権下で、何かしらの利益を感じて中国を非難し、その一環として香港を擁護するが、アメリカの政策は中国のみならず香港に厳しいものだ。言葉とは裏腹に本当にアメリカは香港を思っているのか。あのトランプが、そんなこと考えるんだろうか。
変換から時間を経て、イギリスでも香港に資産を持っている人間は少なくなっている。もしくは資産の運用を中国の意向に沿った物にうまく変化させ、何が起こってもその資産を守れるようにしてきている。(もしくは今慌てて引き上げようとしている)
誰も香港の資産のために、血相を変えて中国とけんかしない。そんなことをしないように、もう準備はできている。
イギリスにはそうやって自国の利益を守る時間があった。イギリスにとってはそれで十分だった。
なにぶん遠い極東の話だ。
欧米の大半の人には、香港人の憂いは、あまり実感のない話だ。ましてやコロナ禍。あったこともない、黄色人種のために心を砕く白人はいない。
このあたりは日本人とは違う。
日本は中国の縁に位置し、昔からこの大国にどんなひどい目に遭わされるかずっと考えてきた。日本を守っていたのは海だった。だがその海が昔ほど当てにならなくなってきたとき、日本はアメリカという遠くの大国の支配下に入ることにした。
日本は選択した。
アメリカに支配されるのと中国に支配されるのとどっちがましか。
日本人は歴史的に中国のやり口を知っている。だからアメリカを選んだ。
だから日本人は香港人の憂いを理解できる。だから日本人同情は本物だ。何もしてあげられないが、同情はできる。そして香港の姿が、もしかしたら将来の日本の姿かもしれないと頭の片隅で思う。
多くの人は知らないが、日本はほんの一時期香港を支配していた。香港は韓国や台湾と同様に日本の植民地だった。台湾と日本の関係性と同じく、香港と日本はどこかでつながっている事を感じる関係だ。それは同じ中国という化け物を見ている現実があるからだ。
韓国はその一方で、(同じ化け物を見ながら)違う選択をした。中国に寄り添うことで身を守ろうとしている。とてもうまくいくとは思えないが、実はこれも、日本と同じ発想から出ていることを忘れない方がいい。
化け物相手に食われないために、尾を振るのか、もっと大きな化け物を探すのか、その選択の違いは、それほど大きな違いではない。
最後に、マカオだ。
澳門はあまりにも小さい地域なので、最初から全くスタンスが違う。
彼らもポルトガル領であったことから香港と立場は同じだった。でも選択は最初から違っていた。澳門は全く中国に反発しようとしない。澳門は元々3人の支配者がいたそうで、その3人が順番に総督府を納めていた。現在は違う人がなったようだが、それでもやることは決まっている。
本土である中国との連絡を密にする(人脈を得るという意味)そして中国で何が起こったかをいち早く知る。そして対策を速やかにとる。
サージもコロナも、澳門ではあまり被害が出ていない。その理由は中国で何が起こっているかをいち早く知り、最大の準備をしたからだ。彼らはそれを声高にやらない。中国に従うふりをしてうまくやる。台湾のように反発もしない。黙ってこそっとやる。
澳門は、始めから中国に対抗しても意味がないという意見が大半だった。闘って勝てる相手ではない。澳門は人口も少なすぎて、生活物質もライフラインも中国に押さえられているので逆らえない。
逆に小さすぎるから、黙って従えば、中国はプロパガンダとして、そこそこの恩恵を落とす。現在も香港を見せしめにするために、対抗するように澳門に力を入れ、経済対策を行っている。より澳門が豊かになるようにしている。
中国にしてみれば、一国二制度の成功例は澳門だ。
端から見ると澳門は意気地なしに見えるかもしれない。でも日本人なら理解できるはずだ。澳門人のメンタルは日本人に近い。本当の自由とか、基本的人権とか言っても、日々の生活が穏やかでなければ何にもならない。中国にも中国なりの自由はある。政治活動に規制があっても、豊かさがあれば日々の生活は幸せになれる。食う物がなければ、自由を叫んでも死んでしまう。
目下澳門で困っているのは、本土からの移民が多いことだ。
ルールを守らない、常識の通らない本土からの移民の数が多すぎて、澳門の静かな生活は犯されつつある。でもまだ澳門人は黙っている。そのうち本土人が澳門化することを待っている。賢く、静かに、生活することになれてくれることを待っている。
そうなれば澳門は成功だと思うが、結果はまだ誰にもわからない。
もしかしたら、澳門からも静かに人がいなくなるかもしれない。
そのときはきっと日本に多くの移民が来る。
多くの澳門人は日本人に近いので、意外にうまくいくかもしれない。人口減少にある日本において、澳門人が静かに馴染んで暮らしてくれることを密かに願う。彼らの望んでいる生活は、日本という、なんとなく自由があるのかないのかわからない国においては、意外と実現するかもしれない。
誰も香港のことを本気で考えてはいない。本気で考えられない。どうしようもないからだ。
97年を知っている日本人としては、香港で若い人たちが大きなデモを繰り返している方が驚異的だ。ついに香港で自国の問題を自分たちのこととして声を上げる世代ができたことだ。だが中国相手にはたぶんうまくいかないだろう。大きな中国相手には、他国からの手助けがないとどうしようもないが、それは期待できない。
彼らはやがて行き詰まり、そして静かに香港を去るかもしれない。同情的な隣国は、それを密かに受け入れるかもしれない。
しかしそうやって国民がいなくなる香港にあって、普通なら国民の流出を留めるために国は何かしら妥協案を出すものだが、香港の政治は香港人が行っているわけではない。だから人がいなくなっても何も思わない。人がいなくなったら、中国人を移民させればいいだけだ。穴はすぐに埋まる。
そして人工は補充され、香港はそのまま変わらない。
でも実際には本土人の増えた香港は変わってしまうだろう。
香港はなくなってしまうだろう。
香港と澳門の姿を知るのは、今の世代が最後かもしれない。