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小説:神様はクレームを聞かない 【2000字ジャスト】

「昔さぁ」と私は言った。
「なんかの記念?なんだろあれ。わかんないけど、SLが走ったことがあったのね」
「SLってなに?下ネタ?」と彼女は言った。
「下ネタが走るってなに?逆に。SLは、えーと、蒸気機関車?」
「へー」
「興味もないからとくに見に行ったりもしなかったんだけど、部屋でぼーっとしてたら、遠くから汽笛が聞こえてさ。汽笛って、ぽーーってやつね」
「それぐらい知ってるよ!」
「お、おぉ。汽笛知っててSL知らんのか」
「汽笛って呼ぶのは知らなかった」
私はツッコまずに話を続けた。
「その遠くから聞こえた汽笛の音が、すっごく嫌いな音だなって思ったんだ」
「ふーん。なんで?」
「なんか、誰かがどこかに行こうとしてる音だなって感じがして」
「さみしいね」
そう言って彼女は、ナゲットのソースの余りをフライドポテトにつけた。

季節外れの蝉が鳴いていた。
もう誰もいないことに気付いていないのか、それとも気付くわけにはいかないのか。
鳴くしかないのだろうな、と私は思った。
そんな時期に生まれてしまったのだからしょうがない。
どうこう言ったって生まれなおせるわけじゃない。
神様はクレームを聞かない。
ぬるい初秋の夕暮れに、蝉はただ一人で鳴き続けていた。

「あーそういえば」と彼女は言った。
シェイクは溶けかかっていた。
「こないだバス待ってたらさ、ベンチに手袋あったのね」
「忘れ物?」
「だろうね。んでその手袋が、ヴィヴィアンでさ。うわもったいな!と思って」
「もったいねー」
「ね。んで一瞬、ほしいな、って思っちゃって。いやもちろん盗んでないよ?おいそんな目で見るな。ほんとに盗んでないから」
「一緒に行ってあげるから。ね?自首しよ?」
「ほんとやめて。いやそういう話じゃなくて。知らない誰かの使ってた手袋って、なんか抵抗あるなと思って」
「あー」
「古着は好きだけどさ。手袋って、なんかリアルじゃん」
「手は、いろいろするからなぁ」
「ね。手袋はいろいろ触るじゃん?下手したらちんことか」
「それはない」
「ないよね。なんでちんことか言っちゃったんだろ」
「え、たまってるんですか…?」
「たまってない。敬語やめて。おいガードするな。身を守るな。襲わないよ」
「ごめんねちんこなくて」
「ちんこあったら一緒にいねーよ」
私たちは一緒に、へへへと笑った。

私は小さな頃、よくおかしなことを言って祖母を困らせた。
両親が共働きだったので、私は学校から帰ってくるといつも祖母と一緒だった。
その当時の私には、世界はよくわからないものだらけだった。
死というものが理解できなくて、毎日のように死にたくないと言っていた時期があった。
そのたびに祖母は、変なことを言うんじゃないと私に言った。
祖母の表情を見て、死というのは触れてはいけないものなのだなと感じた。
その顔は恐怖に似ていた。

「カラオケでも行く?」と私は言った。
「カラオケは、でも行く?で行くとこじゃないんだよなぁ」
「どういうこと?」
「溜まりに溜まったなにかを歌でしか解放できない!ってときに行きたい」
「あーちょっとわかるなぁ」
「でしょ?」と彼女は言った。
「じゃあどうしよっか」
「カラオケでも行く?」
「行くか」
私たちは空が落ちてくるほど歌った。

どんな名言も説教もいらない。
走り方を知りたいんじゃない。
どこへ走ればいいかを知りたい。

夜の校舎の窓ガラスを壊すのもすべてカメラが見ている。
だから私たちは実在しない窓ガラスのようななにかを壊すはめになった。
それに大人は気付いていない。
目の前で実在する窓ガラスが壊れないならどうでもいいらしい。

青春なんてくそくらえだ。
不条理な抑圧に対する怒りを青春なんて言葉で片付けようとするな。

「帰れそう?」と彼女は言った。
「うん」
「いつでも連絡ちょうだいね」
「じゃあね」と私は言った。
彼女は手を振りながら、歩いて行った。
どうして彼女は、帰れそう?と聞いたんだろう。
彼女にはなにも話していないはずなのに。

私の横を、桜色のバイクがけたたましく通り過ぎた。
私はその色を見て、保育園の頃に着ていたスモックを思い出した。
そのスモックについた、クレパスの汚れを思い出した。
そのクレパスで描いた、敬老の日の絵を思い出した。
私はなぜか、祖母の隣に花火とひまわりを描いた。
その夏の印象の詰め合わせだったのだろう。
花火とひまわりを見分けるのは困難だった。
私は誰かに絵を見せるたびに解説することになった。
そういえば祖母だけが、花火とひまわりを見分けてくれた。

私はさっき解散した彼女を追いかけた。
彼女は走ってきた私を見て、もちろん驚いた。
「どうした?あたし殴られる?金は借りてないぞ?」
「ちがう」と私は言った。
「どうしたの?大丈夫?」
「ありがとう」
「うん」
「ありがとね」
「いいってことよ」
彼女は私の頭を撫でて言った。
「やっと泣けたじゃん」

翌朝、祖母を乗せた車が長すぎるクラクションを鳴らした。
それはまるで、いつかの汽笛のようだった。

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