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余談『監督業』

はじめての監督

先日、発表があり「ひみつのアイプリ」の監督(山口健太郎と共同)を務めることとなりました。

これについて語れることは今の段階でないというか、できないんですが
振り返ってみると自分、脚本業をメインとしているため、監督という仕事はたまにやるというか「やれ」と言われてやっていたりします。

はじめて「監督」と名のつく業務はゲームの総監督という仕事でした。

PS2版『BLOOD THE LAST VAMPIRE』というゲームソフトの総監督です。
こちら、アニメの映像をふんだんに使った選択式のアドベンチャーゲームのスタイルをとっていて、分岐ストーリーで展開やエンディングが異なるものです。
自分が企画に関わり、ディレクターもやっていた「やるドラ」シリーズのシステムを進化させたもので、分岐シナリオなどを手掛けていたことと、ゲームデータの割り振りや、アニメのチームから上がってきたデータや演出の意図を汲み取り、できるだけゲームに反映させるための統括的なポジションが必要となることから、両方を監督する立場になるためでした。
アニメーションパートはやまざきかずおさんがメインで作られていて、現場は高橋幸雄さんが演出として主に回していました。
僕自身、作監の中村悟さん、高橋幸雄さん、動画検査の市万田千恵子さんと机を並べて編集PCの前に陣取り、朝から晩まであがってきた映像のチェックとゲームデータにするための処理をかけていました。
同時にシナリオのフローチャート作成やフラグの管理やゲームバランスなども見ていたためかなり激務だったことを今も覚えています。

アニメの現場のこともよくわからぬまま、自分が企画の立ち上げに関わった『BLOOD THE LAST VAMPIRE』であるだけに、いい形で世に送り出したいと思いながら作業していました。

ちょっとゲームが難しすぎたこともあり、ヒットまでは届きませんでしたが、出来には満足しています。
声優の野島健児さんがまだ若い頃で、野島昭生さんと野島裕史さんと共演させられたことも楽しかった思い出です。

監督の仕事とはなにかとこの頃の自分に問うてみるならばきっとこう答えたでしょう。
「作品を世に送り出すこと」

クォリティをあげるとか、自分のやりたいことをテーマとして敷くということ以前に、この頃はゲームのチームをまとめなくてはならなかったこともあり、作品性以上に少ないスタッフで瑕疵のない納品物をあげることがマストの状態でした。
(アニメの方はそれなりに人数はいるけど、ゲームスタッフは数えるほど)

そして次に監督をやったとき、ひとつの転機が訪れました。

アニメの監督

2005年放映の『BLOOD+』がテレビアニメの初監督作品となります。更にいえば初シリーズ構成作品でもあったりします。
しかもオリジナル作品。
なのでストーリーも設定も自分から発信していく必要がありました。
アニメの現場を知ることなくアニメの監督となったため、当時の現場のプロデューサーは不安だったと思います。
(……そうではないかもしれませんが。彼の性格的になんとかなるとか、俺がなんとかすると思っていたような気もしないでもないですが)

現場を知らないために、演出チーフとして松本淳さんがついてくれました。
正直な話、彼がいなければ『BLOOD+』はできていません。
完全におんぶにだっこ状態で、僕の席の後ろに松本の机があり、背中合わせでずっと仕事していました。
なにかというとタオルを頭から被り(集中していたのでしょう)、自分の至らなさに愚痴を言ったり、こんなんじゃだめだと高みを臨む姿勢にはちょっと感動したことがあります。
この頃の自分は「50本の話を毎週届けなきゃいけないんだよな」とのんきなことを思っていたので監督がなにをするのか、どうあらねばならぬのか、まったくわかっていませんでした。

ただ、日を追うごとに、この枠にかかる期待や、作品が進むごとにファンの声がネットを通じて送られてきました。SNSなんてものが活発ではなかった頃なのでブログや投稿掲示板が主な情報源でもありました。
自分も作品に対する思い入れや、第一話の脚本を書きながら最終話のイメージなんてものを考えたりしつつ、背後にいる松本から「小夜を幸せにしたい」という声が常に聞こえてきていたので、そのことをなんとなく考えるようになっていました。
おもしろくしてやろうとか、売れるようにしようなどという余裕はまったくなく、13話を制作している頃に制作進行の子が体調崩したりして全員でサポートしたりといろんな思い出があります。ただここを乗り切ったことで不思議な団結力が出たというか、みんななにかと自分を見ては作品をよくしたいと思っているスタッフばかりだったので「あー、ちゃんとしたもの作らないと」と気を引き締めたりもしました。
ただこの頃の自分、相当怖かったそうで(自分はそんなつもりがまったくない)、たぶん余裕がなかっただけなのだろうと思います。

一年を通じて『BLOOD+』を上げたことで、アニメの監督がすべきことは「作品と視聴者に自分の気持ちを届けること」になった気がします。

その演出技法とか、エッジの利いたものとか作るとかはまったく考えていませんでしたけど、あの頃のテレビアニメにおいてというか、あのチームにおいて、普通のことを普通に芝居させること、動かすよりも止めても持つ絵、レイアウトをいかに作るか。出したキャラクターたちに意味をもたせられるかとか考えていたと思います。

初の劇場アニメの監督

『BLOOD+』以降、実は次の監督の仕事が決まっていました。
とはいえ、これは監督という形で関わることなく、シリーズ構成という形で参加することになりました。
それが『RD潜脳調査室』でした。
もともと士郎正宗先生から別タイトルでのプロットをI.Gが委ねられており、それを石川が僕にと提案してきたのです。ただ内容が複雑なことと、会社事情もあり、監督を別の方にお願いして自分は設定考証や構成に専念したい旨を伝え、オリジナルSF作品としてスタートさせました。
とりあえず企画が動くと僕が動く流れはこの頃の会社と僕の関係性もありました。
その後、いくつかの脚本、構成仕事を経るうちに、かわった企画が舞い込んできました。
それが『ルー=ガルー』でした。
SCANDALというガールズバンドがデビューした頃で、正直言うと当時はあまりうまくなはかった彼女たち(今はスゴイけど)と作中に出てくる四人の少女たちをリンクさせたWEBアニメで展開できないだろうか――という感じでこの企画が動き出しました。
原作はぶあついあの京極夏彦先生のものでした。それをWEBの連続アニメで90分くらいのボリューム感で仕上げるという条件だったのでいろいろ変えないといけないこともわかっていました。
脚本を自分で書くよりも誰かに任せて自分は絵コンテに専念したいと思い、当時『獣の奏者エリン』で書いてもらっていた後藤みどりとハラダサヤカさんにお願いしました。現場もトランスアーツさんだったこともあり、このスタジオをよく知る総作監に石井明治さんをお願いしてもらいました。キャラも箸井地図さんにお願いしたりと気心しれたメンバーで構成してます。
ただまあ、いろいろ状況がかわったりして結果的に劇場作品となるわけですが、これがまた大変。
構成から絵コンテから組み直しと書き直しでしんどかった思い出があります。
また長尺というものは本当に難しく、全体のコントロールがこんなに大変だったとは――というのが僕の反省材料になってます。
ただ絵コンテをひとりで書き上げたことで、画作りに対するいろんな経験値があがったことだけは実感できました。
唯一、自分が一番やりかった場面をスケジュールの都合でばっさり落とさざるを得なくなったことが今も心残りとなっています。

この作品、興行的にはたぶんよくなかったのでしょうけれど、僕自身はやりたいことはできた作品でした。
「あきらめることも監督の仕事のひとつ」というのがなんとなく身にしみてわかったりもしたものです。
粘ることも仕事のひとつなんですが、予算と期間と人員とを見て、なにを優先すべきかジャッジすべきは監督の仕事のひとつであり、納品させることは使命なのだと感じています。
「うん、これでいい」は監督しか出せない判断なのです。
この一言でスタッフの人生狂わせることもできたりするのです。

監督として

他にも細かな作品(3DS用のアニメとかWEB向けのアニメCMとか)の監督仕事をちょっとずつ受けたりしつつ時が流れていきました。
劇場版『DEEMO サクラノオト』の総監督は、脚本を書き上げてから依頼されたもので、現場からは「いてくれればいい」という避雷針みたいな役割だったのですが、結果的に絵コンテを1パート書いたり、仕上がりの部分などでのイメージのディレクションなどはかなり意見を出していたと思います。

これ以降、監督ってなんだろう……と思いつつ、そもそもアニメを自分は作りたいのだろうか?などと思いつつ仕事を続け、WEBTOONの漫画のネーム原作をしてみたり、WEB小説を書いてみたりと少しアニメから距離を取っていたりもしました。

そこに今回の話がきたので、再びアニメの監督仕事をすることとなったわけで、自分になにが求められてこの話が来たのだろう……と思いながら受けました。
こちら、細かいことはそのうち機会があればどこかで語れればと思います。

ただ今の自分は脚本参加していた『ガル学』の制作を通して、Girls²やLucky²のファンたちが彼女たちを見つめるキラキラとした表情に救いのようなものを見つけました。

ああ、これだ。

『BLOOD+』のファンもそうでした。
『BLOOD#』という小説のサイン会で「ファンの子のほとんどが御婦人ばかりだろう」と思っていた中で、ひとり緊張し冷や汗を流しながら僕にサインを求めてきた男子がいたことが今でも忘れられません。DIVAのファンだということを言葉を震わせながら、彼がなんとか僕に語りかけてきた言葉がささっています。

ファンのためにアニメ作らないとなぁ……と。

とはいえこの世界、いろんなしがらみがあるわけで。
クライアントだったり、現場だったり、様々な状況だったり。
なので僕自身は基本に立ち返り、師匠かもしれない押井守おじいちゃんから押井塾の頃に教わった言葉を胸に刻んで監督の仕事をしています。

「プロデューサーは騙しても客は騙すな」
「やりたいことは作品の下にすべりこませろ」
「作品にはお前のモラルが問われる」

全部、「あんたがいうか!」とカウンターで返してやろうかと思ったこともありますが、でもやっぱりこの三つに加えて
「作品は監督だけで作るのではなく、現場の成長とファンの声で育つもの」だと思っています。

ひとまず今は目の前の仕事をこなしながら日々を過ごそうと思います。

――以上、本日の余談でした。
次回をお楽しみに。



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藤咲淳一
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