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この世の理(ことわり)

the reason

一日が24 時間しかない決まりなら俺はその密度を限りなく濃くしたい。

これは、22 才くらいの頃、自分が書いた文章だった。

思えば、その頃の自分は一人暮らしを始め、テレビのない、朝6時からデスクに向かう生活を始めたばかりだった。まだまだ青臭いながらも、時間が有限で、若さこそが最大の武器で、その若さを何に変えられるかが勝負だと思っていた。

あれから、十年。

順調に積み上げをしてきたように見る人もいるけれど、順風満帆かと言われれば嘘になる綱渡りの毎日で、むしろ困難ばかりの連続をどう切り抜け生き抜くかを学んだ、そんな十年間だった。

20 代前半の自分には、上司も部下もいなければ、同じように起業をした仲間もいなかった。自分と同じ境遇を共有できないから、友達と飲んでも、親兄弟に愚痴っても、結局砂をつかんで立ち上がるのは自分の意思でしかなかった。犯したリスクはすべて自分で負うしかない。そんな現実に苛まれ、後ろ向きになったこともある。けれど、そんな後ろ向きになっている時間さえも有限で、どんな境遇に立ったとしても、どんなに人のせいにしたとしても、自分の人生は自分にしかリスクを負えない。それがこの世のルールであり、理なのだと気づいたときに、ようやく覚悟ができた。

まだまだ続く綱渡りの日々。
無駄な時間を過ごしてしまうことは、今はまだそれだけでリスクだから、興味のないことや気の進まないことや他人の人生に振り回されるわけにはいかない。冷たいとか、付き合いが悪いと言われても、それはもう仕方がないことだと思う。

そんな自分の夢は、生活レベルを落とすことなく、友達や家族と過ごす時間を手に入れること。まだ、道は半ば。

【地域情報誌フジマニvol.121(2016年10月)掲載の編集長コラムからの転載です】

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