生で豚肉を食べない僕たちは、美女からのメールを無視する僕たちは、新型コロナウイルスにかからない。
政府からの方針が示され、「新しい生活様式」を守って暮らすことが求められ始めた。
感染者数がピークアウト(頂点に達した)ことがデータに現れ始め、ようやく「新型コロナウイルスと共存しながらゆるゆると経済活動を始める準備」に取り掛かったということなのだろう。奇しくも、同じ時期にノーガード戦法とっていたスウェーデンも「ピークアウトを迎えたらしい」(https://news.yahoo.co.jp/articles/0acc9cfdbfddb81a6ae7930d0bd93c58944c4acb)という報道があった。この「ノーガード」のスウェーデンもまた、
・集会は50人まで
・人と約1.5m離れる
・美術館,博物館,スポーツイベントは中止
・シニアホーム面会禁止
・具合が悪い人、シニアは自宅待機
・高校と大学はオンライン授業
といった対策を示している。そしてこれらの対策はおそらく、ピークアウト後も続けるだろう。この行動変容を「新しい生活様式」と呼ぶのなら、全世界的に同じ「常識」が生まれるということなのだと思う。
常識は常に生まれ、人間の行動を変えていく。変容によって行動の制限をされれば、自由を侵害されたと感じるかもしれないが、その切っ掛けは別段、新型コロナウイルスという存在に限らない。例えば平成24年7月から食品衛生法に基づいて、牛のレバーを生食用として販売・提供することが禁止された。 これは、ある焼肉店で提供された牛の生レバーを食べた客5人が腸管出血性大腸菌O-157で死んだからだ。
国はその事態を受け、牛のレバーを安全に生で食べるための方法を模索した。しかし完全に安全な策が見つからなかったため、やむなく「牛のレバーは生で食べない」という新しい常識が生まれたわけだ。
新型コロナ以前から、我々は自己責任の渦の中で様々な選択肢を提示され、それを選びながら生きている。そこには常にトレードオフの関係があり、意識的・無意識的にリスクとリターンを天秤にかけている。
生で牛レバーを食べると死ぬかもしれないけど、可能性はかなり低いらしいし、美味いから食べる!という選択肢も、今の世では自己責任。だけど昔から「生で食べるな!」と言われてる豚肉を生で食べようと思う人はあまりいない。さらにいえば、豚肉を生のまま食べると美味いのかどうか?、試してみようと思うことすらないと思う。これは「常識が定着したかどうか」の、年月の違いなのではないか。
僕たちは、生で豚肉を食べない。(昔からそう言われてるから)
僕たちは、長時間の路上駐車をしない。(緑のおじさんが出現する前は停めてたかもだけど、駐車禁止で挙げられるリスクが増えたから)
僕たちは、電話で「オレオレ!」と言われても金を振り込んだりしない。(そんなの詐欺だって!常識でしょ!?)
僕たちは、知らない美女からメールが届いても無闇にリンクをクリックしたりはしない。(そんな怪しいリンク踏めるか!)
つまりは、美女からのメールを無視できる僕たちは、新型コロナウイルスにかからない。
めんどうくさがりながらも「新しい生活様式」が定着した頃に、新型コロナウイルスによる健康被害は、豚肉による食中毒くらいのレア度になっているのかもしれない。
唯一条件が違うのは、新型コロナウイルスは牛レバーや美女からのメールのように、個人の自己責任の範囲だけでは済まないということ。1人が対策しなければその人の触れたもの、訪れた場所から拡散・感染させるリスクもあるし、それが一定条件を満たせばクラスターを生み出すリスクすらある。でもそれすらも、絶対数が抑えられ、個々人の意識と行動が変われば、かなりの確率で抑え込めるんじゃないかな。
願わくば、みんなで気兼ねなく卓を囲んで飲んだり食べたりするリスクが、無視できるくらいに低くなる世界が来ることを。
ワクチンと治療法の確立で、万一かかっても命は落とさない世界が来ることを。
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