生きるべき人生
Life of truth
目に見えるものを捨てるのはたやすい。
ゴミ袋を買って、燃えるゴミか、燃えないゴミかを選ぶだけで済むからだ。面倒ならば、いまはそういうことを代行してくれる業者だっている。けれど、見えないものを捨てるのは本当に難しい。
それは実体も質量も持たないはずなのに、目に見えるもの以上に自分の人生のスピードを鈍くする。そして、見えないものを捨てることは自分自身にしかできないのだ。でも、だからこそ、捨てるべきは「見えないもの」なのだと思う。これまで続けてきた馴れ合いや、習慣、情や未練や執着や幼稚さといった「目に見えないなにか」。
削ぎ落としていった後に残るのは、どんな姿の自分だろうか。こんなことを考える。さまざまなしがらみに絡め取られて、自由が利かなくなっている人生を、思い通りに運べたらどんなにか軽やかだろう。その願いは果たして無理難題だろうか? 自分自身の人生を、自由自在に生きることは夢か幻か?
いま、生きるべき人生を生きるのだ。そのために躊躇はいらない。俺たちの人生はかけた時間と同じだけの価値しか受け取ることはできない。永遠に続く人生はないから、実は、人生には一毫の猶予だってないのだ。あなたの人生を灰色にしている、絡まった鎖を根っこから断ち切らなければならない。血が流れ、痛みに顔を歪めても、それだけの価値がそこにはある。
自分の人生の「見えないもの」を捨て去り、断ち切るためのタイミング。もしかしたらその踏ん切りを手に入れるためにこういう節目はあるのかもしれない。
新年。
この地球の上で人間だけが、今日で何かが終わり、明日から何かが始まると決める。そんな人の営みを、僕はいとおしいと思う。
【地域情報誌フジマニvol.124(2017年1月)掲載の編集長コラムからの転載です】
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