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人生谷だらけ。(生きる事は、過酷だ。) 第1章


私の母が、まだ小さい時に、
   祖母から聞いた話し。
 
これは、私の母がまだ幼い時の
記憶と私の人生を書いたものです。

母は、昭和15年終戦の時に生まれそれまでは、当時の満州。
今の中国に疎開していました。

戦争が終わると引き上げ船の船で、人々は日本へ向けて出発していました。

道中まだ幼い母は、
身体が弱かったそうで、
呼吸が止まると言う事が多々あり
「もう、駄目かも知れない」と
言われることもあったそうです。

偶然、船に乗り会わせた人から、
「高麗人参を食べさせて見たら」と、言われ頂いきました。

そしたら、
「嘘みたいに元気になった。」と言う話しを母から聞かされました。

母も幼い時の話しなので、
祖母から聞かされたのだと
思います。

やがて船は、山口県下関市に、
着いたと聞いています。

これから、病弱だった母は、
祖母と親戚の家で生活する事に
なりました。

祖父は、九州男(クスオ)といい
ます。
祖父の九州男は、引き上げ船で
亡くなったと聞いています。

何でも頼まれると、すぐ行動して
あげたり人のお世話をしてあげたりする優しい人だったようです。

祖母と幼い母は、親戚の家で生活する事になります。

祖母は「生活費を入れなければ」と思い建設会社の住み込みの、
ご飯炊きの仕事に着きました。

幼い母を親戚に預け
働きに行く事になります。

それから母は、親戚の叔父さん達と暮らすようになります。

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