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行動で人を判断する

「他人を理解する」ということは、とても難しいと思っています。
長く深く関わっている人であれば、ある程度のことを想像することはできるけれど、あくまで想像の域を出ないので、理解はできていないのだろうと思っています。

でも、他人のことを「判断」することは、暮らしのそこかしこで必要だと思っています。

夫との関係が修復不能になったことで、私は「性善説だけでは生きられないのだ」ということを学びました。学んだというか、認めざるを得なくなったというか。

本当は、関わる人たちをまずは丸ごと信じたい。善意と厚意を前提として暮らしたい。優しい世界に、生きていたい。

だけど、善意につけ込んでくる人がいることを夫から学んだし、自分を支配しようとしてくる人がいることも、夫から学びました。


仕事では「行動がすべて」ということを、よくよく上司から言われています。
取引先との関係構築においても、部下の指導においても、自分の次の行動を選択するためには相手を的確に判断することが重要で、その時に判断基準となるのは「相手が何をしているか」「相手が何をやってきたか」だと。

「相手が何を言っているか」ではないんですよね。
これは、とても大切なことだと思っています。

夫は「家族のことをしっかり考えたい」と言いながら、関係の再構築について質問したLINEの返信を1ヶ月以上放置したし、「妻を大切にしている」と言いながら、私のことを妬み、敵視し、無視していました。

今は、「子どもたちの幸せを第一に考える」と言いながら、教育費を出すことを渋り、「留学など想定以上の教育費がかかる進路選択は許可しない」と宣っております。(そもそも許可される筋合いはない。)


離婚協議において、夫はこちらの生活を圧迫するような条件ばかりを出してきました。そういうことだと思っています。父親の役割くらいは果たしてくれると思っていたので、残念な気持ちはありますが、そういう人だったということです。

ありがたいことに、夫の不誠実な行動のおかげで、私は夫に対する好意どころか情までも捨てることができているので、フラットに夫の行動を見て、自分のとるべき選択を判断することができていると感じます。

性善説も、きっと一種の思い込みなんですよね。
自分と子どもたちが不利にならないよう、「離婚協議は強い気持ちで進めていかねば」と思います。


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ふじこ
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