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ファンクは怪しい方がいい

「ファンク」という音楽の発生と黒人差別には強い繋がりがあるらしい。

当時、黒人といえば「白人の幸せな召使い」であり、「頭が悪く」、「とても優しい」存在である、とされてきた。例えば、映画で黒人が出ていたら、おおよそハリーポッターのドビーのような役回りをしていたようだ。

「白人ではなくても、黒人の心は美しいんだ。人間として素晴らしいんだ」と白人は叫ぶ。

差別とは、軽蔑ではなく哀れみなのだと思う。

それと同じように、黒人のビートといえば「スウィング」であった。

当時、黒人の独立がマルコムXやキング牧師によって政治的に叫ばれる中、音楽として叫ばれたのがこのファンクという16ビートの「黒人らしくない」音楽だった、とのことである。

今で言うところ、24時間テレビで障害者の方々が「可哀想な人々」として取り上げられる中、乙武さんみたいな人生最高に楽しんでいる方が出てきたような感覚だったのだと思う。

そんなことは置いといて、怪しいファンクこそ至高だと思うが、どうだろうか。

正直、俺はジェームスブラウンを聴いた時、明るすぎて何も刺さらなかった。「まぁ勉強として聴くか」くらいで、一応名前は知っていたくらいだった。

俺がファンクを好きになったきっかけはジェームスブラウンではなく、その後ろでベースを弾いているブーツィーコリンズの楽曲だった。

ブーツィーコリンズを知らない人間に説明すると、派手な格好に、派手な星型のサングラスをかけ、派手な星型のベースを弾く、とにかく派手なやつだ。恐らく、"ファンキーなキャラクター"として頻繁に描かれているのは、ジェームスブラウンよりむしろブーツィーコリンズなのではないだろうか。

重く気怠い、二日酔いのようなビートに、ブーツィーコリンズの色気のある、というよりスケベな声が乗っかって、まるで売春をする社長のような怪しさが漂う楽曲に、俺は一瞬で虜になった。

ジェームスブラウンが竹内力のような豪快さを持っているとすれば、ブーツィーコリンズには、古田新太やリリーフランキーのような、独特の魅力があった。

俺のような旅館に行ったら一旦押入れの中に入ってみたくなるようなタイプの人間にはその魅力が心地よいのだ。

他にも、スライ&ザ・ファミリーストーンというバンドがあるが、これも"暴動"以降の方がしっくりくる。
スライ&ザ・ファミリーストーンの初期は、ファンクというか、ソウルに近いような、明るくパワフルな楽曲が多かった印象だが、There's a Riot Goin' On(暴動)というアルバム以降、何処か影のある、まるで祭りの後のような静けさが印象的な楽曲が多くなる。

先ほど、ブーツィーコリンズを「スケベ」と表現したが、スライの暴動以降は、例えるなら「やさぐれ」だ。

ブーツィーコリンズが古田新太ならば、スライの後期はCUREの役所広司だ。音に哀愁と孤独が漂っている。

陽キャのファンクも楽しいが、どうしても怪しいファンクの方が俺にはしっくり来るのだ。

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