2024.01.02 Makarska (HR) - Neum (BiH)【クロアチアツーリング5日目】
チェックアウト
自然に朝早く目が覚めてしまった。睡眠が足りないが、朝6時にチェックアウト。
朝食は近くのベーカリーへ。1月2日からは平日なので通常営業。ここは24時間営業のようだ。1.5Lの炭酸水と朝食のパンを買った。しばらく店も少なそうなので飲み物は多めに買っておいた。
街を走る車も少ない中、まだ暗いが90km離れたボスニア・ヘルツェゴヴィナのNeum(ネウム)に向けて出発。この日は道中で1回、国境を通過する。自転車で陸路国境を通過するのは初めてなので楽しみだ。
古い町並みの旧市街から少し離れた高台に大型ショッピングセンターや家電量販店がある。
Makarska - Tučepi
Makarskaの町を出る。
振り返るとMakarskaの市街地が見える。
この辺りはカーブ連続区間で、制限速度も30km/hに抑えられている。クロアチアはヨーロッパ諸国の中では比較的、制限速度は低めに設定する傾向があるようだ。
Tučepi
少し明るくなってきた。ここはTučepiという町。人口1,819人(2021年)
Podgora
国道は高架橋でPodgoraという町を回避する。人口1,181人(2021年)
一旦国道を離れて海まで下りてみる。HNK Hajduk Splitはサッカーチームの名前。クロアチア国内にも各地の都市ごとにサッカーチームがあるようだ。
朝7時頃から営業しているカフェもあるようだった。店の中が明るい。
土産物店・レンタカー・たばこ店・おもちゃ店・インターネットカフェを兼ねている?よくわからないお店。
高台からPodgoraの町を一望。
国道8号に合流。
カーブが緩い箇所では制限速度も80km/hまで上がる。同じ道路でもカーブや民家の有無など道路状況によりしっかり制限速度を上げ下げしているのが良いポイント。交通量が少ないため車もスピードを出しており、急カーブ部での無理な追い越しも見かけた。
標識の裏を見ると製造したメーカーのシールがあった。Dubrovnik市内にある企業(Signalizacija Dubrovnik d.o.o. https://www.signalizacija.hr/)が製造している。
この企業のサイトにはクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの標識の規則が説明されているので、もしこの2国をドライブ・サイクリングする機会があれば見てみるといいのかもしれない。この記事を読んでいる人でそういった人はほとんどいないとは思うが…。
山の上にも細い道路のようなものが見える。
Drašnice
Drašniceという村が見えてきた。人口286人(2021年)
国道を下りて集落の中を走ってみることに。建物がきれいなSTUDENAC MARKETがあった。
隣の集落まで近道をしようと、国道に戻らずに細い道を抜けることに。
走っていくと未舗装路に変わった。車の轍があるので入っても問題なさそうだ。
クロアチアでは国境付近など、観光地から離れた場所ではユーゴスラビア紛争の頃の地雷が埋まっていることがあるので、人が入った形跡のない場所は注意が必要だ。外務省ホームページにも以下の記載がある。
8時を過ぎて太陽が出てきた。この日は1日中晴れの予報だ。
Igrane
30分ほどかけて未舗装区間を走破し、隣のIgraneという人口420人の小さな村へ。
細い路地を通って海に向かう。
急な坂を下っていった。
海にはたくさんの船がある。冬の朝で人は少なかったので波の音だけが聞こえる。
ここもリゾート地の綺麗な街並み。
Živogošće
Živogošćeという村で見かけた自転車ツーリング向けの観光マップ。自転車に乗っている人を殆ど見かけないのだが、夏の観光シーズンだと多いのだろうか。
犬や猫も見かける。
景色のいい区間を青空の中、通過する。海沿いとは思えないような風景。
ある程度の標高までは木が生えているのだが、日本の山と比べると少ない。
Drvenik
直進はDubrovnik、右折はDrvenik(紛らわしい…)
Drvenik方面へ左折。
ここも観光地化が進んでおり、街並みは石畳の舗装など景観に配慮したものになっている。
Hvar島方面のフェリー乗り場。チケット売り場はすぐ横にあった。
ここも高い山と海に挟まれた狭い場所に民家やホテル・商店が立ち並んでいる。
この日の波も穏やか。
瀬戸内海航路のフェリーといっても違和感がない。
港から先も少し道が続いていたので走る。海と近いため路面も濡れていて、砂も多い。
ロータリーになっていて行き止まりのようだ。
石に立てかけて撮影。
Ploče方面へ。
細い道を走り続けて国道に向かう。
岩がむき出し。
Zaostrog
国道に戻ってきた。DrvenikからZaostrogという村へ。
何もない場所に突如、大型スーパー "Plodine" が現れる。
ここのスーパーは珍しく惣菜を売っている。昼食は全部で4ユーロ。安かった。ちなみに店内は万引き防止の為なのだろうか、買い物しないと出られないようにゲートが設置されていた。
イートインがあったので景色を眺めながら食べていた。
山奥にも民家を見かけるが、道はあるのだろうか?
食べ終わったので再び走り始める。道路も空いていて走りやすい。
Podaca
ここはPodacaという地区。
急な登り坂が現れる。
ここだけを切り取ると山岳リゾート地にも見える景色。
Brist
Bristという村へ。
対岸の離島も見える。
Gradac
国道の下(海側)にはGradacという集落があるようだったが、先を急ぐためパス。
郡境
ここまでがSplitsko-dalmatinska županija(スプリト=ダルマチア郡)で、ここからDubrovačko-neretvanska županija(ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡)に入る。郡の境目とはいっても広い駐車場があるだけだった。駐車場ではミニバンに乗ったポーランド人家族が休憩していた。県外ナンバーではなく「国外ナンバー」を付けた車が普通に走っているのは日本と違う点。
ベンチもクロアチア国旗をイメージした配色。
ここから先は海沿いの地形が険しすぎるためなのだろうか、国道8号は海を避けて標高100mほどの峠を越えて、Pločeという町に向かう。このPločeは大規模な港湾やクロアチア海軍基地があり、人口1万人に満たない町(2021年時点で8,220人)でありながらもクロアチア国内で重要な都市の1つ。
海のすぐ近くに建物がある。
Baćina
ここから峠越えが始まる。Pločeまであと10kmほど。
少し前まで海の近くを走っていたのだが、海が遠ざかっていく。
上り坂が続く。
山越えの道の途中にも民家があり、バス停もあった。
Baćinska Jezera(バチナ湖)が見える。湖畔にはキャンプ場もある。
ズームすると湖面の鳥も撮影できた。
湖の向こうにも集落があるようだ。
Pločeの市街地に向けて急坂で一気に下っていく。
Ploče
Pločeの市街地へ右折。
海が見えてきた。
港湾施設のクレーンが見える。
Pločeは人口規模の割に団地が多い。軍や港湾関係者の家族が住んでいるのだろうか。
人口1万人に満たない町ではあるがサッカー場が整備されており、サッカーに力を入れていることがわかる。
13時半にPločeの市街地に到着。
ガラス張りのPort Mallというショッピングモールもある。
古い車にクリスマスの飾りつけ。
ショッピングモールには駐輪場もあるのだが台数は少ない。起伏の激しい町なので自転車の利用はあまり想定されていないのだろう。
Müllerという雑貨、生活必需品、菓子、おもちゃなど様々なものを売っていて、日本でいえばドン・キホーテのような店。
最上階には衣料品店もある。
ガラス張りの店内は明るい。
ガラス越しに町並みを撮影。
6階~7階建ての建物が並んでいる。
天気がよく、気温も15℃程度と暖かかったのでPort Mallの横の公園でソフトクリームを食べて休憩。
Pločeの港湾地区を見に行く。
貨物用の鉄道がある。
クロアチアの国道425号(自動車専用道路)は港と高速道路を繋ぐ役割の路線となっている。自転車通行可能なNeum方面の国道8号へ向かう。
国道425号の下を走る国道8号。日本で「国道425号」といえば酷道で有名な路線なのだが、クロアチアの425号は逆に高規格道路のようだ。400番台の道路は「空港・港湾~高速道路」のアクセス路線が割り当てられている。Wikipedia英語版のHighways in Croatiaのページに詳しく載っている。
今回の旅のゴール、Dubrovnikまでも100kmを切った。
広々とした農地が広がる。クロアチアのアドリア海沿岸部では珍しい平地(ネレトヴァデルタ)だが、都市は発展していない。
クロアチアのアドリア海沿岸では最大の河川、ネレトヴァ川。
Ploče - Klek
橋の長さは417m。
遠くに山麓の町が見える。
平坦な道が続き、直線に近い道路のためペースが上がる。今まで景色が綺麗すぎて思うように進めていなかったが、ここで回復運転を図る。みかん直売所が並ぶ中を走っていく。
車も80km/hを超えるようなスピードで追い抜いていく。
対岸にあるKominという村。
みかんの直売所が増えてきた。みかんが有名なところといえば、自分の住んでいる愛媛県でもここまで直売所が並んでいる風景は見たことがない。
Mostar (BiH), Metković方面の国道9号が分岐する。
Neumまであと20km。他の地名はクロアチア国内だが、Neumだけはボスニア・ヘルツェゴビナ領のため "BiH" (Bosna i Hercegovina) と書いてある。国境を超えるのが楽しみだ。
クロアチア沿岸部では珍しく長く続いた平地も終わり、ここからは国境に向けて上り坂となる。内側車線が登坂車線で外側が追い越し車線。
町が遠のいていく。しばらくは民家のない区間が続く。
変わった形の農地があった。
駐車スペースにはカエルの口に入れるゴミ箱。目が怖い。
LINEで「今どこにいるの?」と聞かれたので「クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境付近」と答えておいた。
16時20分、日没。
前方に中国企業、中国路橋工程が建設し、2022年に開通した自動車専用の橋Pelješki most「ペリェシャツ橋」が見えてきた。全長は約2,400m。
Neumに用のある人は少ないのだろうか、多くの車がここは直進していくようだった。ここから先のNeum方面は旧道のような位置づけの道路になり、道路の番号も国道8号から国道236号に変わる。
インターチェンジを下りてここから国道236号へ。
Komarnaという村にある展望駐車場で橋を眺めながら休憩していると、現地の道路管理者の道路パトロールの車がやってきた。「Dubrovnik方面に行く場合、ここの橋は自転車では通れないよ」と教えてくれた。(元々通る予定はなかったのだが)
「これからNeumに行って泊まる予定です」と伝えたところ、「Neumなら真っすぐ行って、しばらくしたら出入国審査のゲートがあるからそこを通るとすぐだよ、頑張って!」と励まされた。
交通量は激減。Neumの町まで孤独なサイクリングになったが、これもまた良い。
日本の瀬戸内海沿いの景色、といってもあまり違和感がなさそうだった。岡山県の日生~片上(備前市)にどこか似ているような気がする。
この辺りも別荘地として開発されているようだ。しかし今ではメインの道が旧道となってしまったため、人も車も見かけない。
国境通過
田舎道に明るく輝くのは出入国管理施設。橋が開通してここを通る人はかなり減ったが、ボスニア・ヘルツェゴビナはEU未加盟であり出入国審査は行わなければならず、出入国管理施設も橋の開通以前とは変わらない。
Klek - Neumのゲートでクロアチアを出国、ボスニア・ヘルツェゴビナに入国。日本人の99.9x%がおそらく一生で一度も経験しないであろう、「自転車に乗って国境を通過」する。
上り線と下り線それぞれの管理施設は互い違いに設置されている。
冬の夕方17時に1人で自転車に乗って国境を通過する東アジアの国(1万km先)から来た20代男性だったが何も怪しまれず、出入国の手続きは1分で終了。聞かれたのは以下の内容。
Are you (自分の名前)? - Yes.
Do you have any alcohol / cigarettes? - No.
Where do you want to go? - I want to go to Dubrovnik via Neum.
無事国境を通過し、ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗と愛車を一緒に記念撮影。
入国管理施設とはいっても高速道路の料金所のような建物で、国を越えたという実感はあまりない。これも国境を回避する橋が開通する2022年以前はかなり混み合っていたのだとか。
ボスニア・ヘルツェゴビナ入国
わずか20kmの海岸線の国で知られるボスニア・ヘルツェゴビナを走る。世界の海に面している国の中で2番目に海岸線が短い(1位はモナコ)。
国が変わるので道路番号も変わる。国境~国境までの道のりは9kmしかない。
ヨーロッパには国境に各国の制限速度の説明が書いてある標識がある。ここも例外ではなく設置されている。市街地50km/h、郊外80km/h、自動車専用道100km/h、高速道路130km/hという規則。
下には別荘地が見える。
Neumの市街地が見えてきた。2013年時点の人口は4,653人。
Neum
ボスニア・ヘルツェゴビナの公用語はボスニア語とクロアチア語とセルビア語。そのうちセルビア語はキリル文字を使用するため、標識にも併記されているのだが、黒く塗りつぶされている。なぜなのだろうか。
左はボスニア・ヘルツェゴビナの内陸部につながる。
Neumのレストランでは海鮮料理とノンアルコールビールを注文。25兌換マルク(2000円)だった。
VISAのステッカーが貼ってあったのにもかかわらず、会計になると「30マルク以上じゃないとカードは使えない。ATMで下ろしてくるように」と言われ、お金を下ろしに行ったのだがATMが故障していた。仕方なくカードでの支払いを許してもらった。
クロアチア資本のスーパーがあるが、価格はクロアチアに比べてかなり安かった。スーパーの客はなぜか韓国人が多かったのだが、ツアーか何かだろうか。
スーパーの前に猫がいた。
Neumのコンビニ兼ガソリンスタンド。エンジンをかけたまま車に鍵をかけず店に入る人もいて、治安の良さを感じた。ガソリンは2.5マルク(200円)でクロアチアよりも安い。
店の前で「안녕하세요(アンニョンハセヨ)」と話しかけられた。韓国人かと思ったようだ。聞いてみると韓国から来た家族のようだった。人口4,000人ほどしかいないヨーロッパの小さな町でアジア人に会うというのはとても予想外だった。
予約した宿に向かう。
物価の安いリゾート地として開発されており、大規模なホテルもある。
宿に向かって下り坂が続く。
宿に到着
宿に到着。3人用の広々とした部屋がBooking.comで予約して1泊6,000円ほど、とても安かった。
ベランダに出ると夜景が綺麗だった。
ニュースの下のテロップも能登半島地震に関する速報で、「日本軍(自衛隊のこと)が被災地に到着した」と書いてある。
この日の宿はキッチンもしっかりとしたものがあった。