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睡眠不足
眠れない夜、はよく言うが、
私の場合は眠れない朝、である。
4時過ぎから目が覚める旨は昨日の日記に書いたが、
朝は何をしているかというと、こっそり詩を作っている。
——いや、この言い方はよろしくない。作っていた。
元々対面で言葉にするのが苦手だった。
吃音気味の過去のせいか、正しい言葉を発しないと罰を受ける家庭のせいか。それは定かではないが、発したが最後、胃の重くなるのを感じていた。
「間違いを、おかしてはいないだろうか?」
私にとって吐き出す言葉は決して自由たりえなかった。
書き出す言葉はどうだろう?
書き出す言葉は自由だ。
誰に宛てるでもないから、自由に書き出してよい。
と、思っていた。
ずいぶん昔に詩や散文を仲間内で見せる遊びをしていたわけだが、これが中々どうして、全て世辞だと思えた。実際そうだったのかも知れない。しかし自由に書かれたその言葉は、私の剥き出しのこころそのものな訳だ。
世辞なんていう、嘘に塗れたおべんちゃらを浴びるくらいなら、書かなければよかったと後悔した。
明るいうたなど書けやしない。
こころが深い場所にいるのだもの。
蕭条たる風が吹き抜ける、
かなしくさせるうたばかり。
そんな自分に嫌気がさして、ここ数年の朝は無為な朝だ。何も書かぬ、何も思わぬ。
昨日の夜、そんなさみしいうた達を引っ張り出してみた。自分で言うのもおこがましいが、綺麗だと思った。さみしさは美しく、孤独は朝の雪のような輝き。
それでもそれが伝わることは決してない。綺麗なものはそこにあるのに、大勢は陽に輝く雪の上を踏みつけるだろう。「ねえ、何もないよ」と。
あるいは、人によっては枯れゆく睡蓮かもしれない。
あるいは、すり減ったドアノブ。
あるいは、お山のトカゲの若い色。
あるいは、蝉の抜け殻。
あるいは、河原の石。
あるいは……
それらが綺麗であると、万人に伝えるにはどうしたらいい。月明かりの影に歩む取り残された蟻の子を、うつくしいとどう言えばいい。
私には未だその方法はわからない。
まだまだかもなく不可もない、透明な朝は続きそうだ。
以下Twitterに載せたもの。
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