私を守るための砦~かすみ嬢の居場所(35)


 高校時代だと、私は急激に痩せた人間だったけど、今じゃもともと痩せてる人ってイメージが浸透してる。
 それが、すごく嬉しい。私は生まれながらの痩せ体質ではないし、所詮はまがい物だけど、あたかも人生ずっと低体重でいる人間のように思えて嬉しい。
 本当は、生まれつきの痩せ姫だったらどんなに幸せかって思うけど、それは無理だったもの。だからこそ、痩せていく過程で得られる達成感も喜びも得られるわけだけれども。どうしても、人は「自然」を尊び、まがい物をバカにしてるから。最初っから痩せ姫のごとき体重だったら、せめて今くらいの体重だったら、もっと食べなければ体重を増やさなければ云々……って責められなかったんじゃないかなって。
 どうしようもないタラレバだけど、現実逃避もしたくなっちゃう今日この頃。

 そういえば、摂食障害の文化的背景について書いた文章を読んでいるんだけど、面白いなぁ。
 本来は「女の子→お母さん」になることを強制されていたこと。そこに、現実逃避の意も込めて、fantasyのような微睡みのような、少女という地位を生み出したこと。
 少女なんて本当に、ひとときのしゃぼん玉のような儚い存在なのよね、と深く頷いてしまった。
 それが、現実逃避だと言うのも、わからなくはないかな。幼女のままではいたくないし、女性にもなりたくない。どちらにも属さずにいられる唯一の立場。
 そんなものを読みながら、私がこれまで好きになって憧れた人って、どこか少女らしさが残っている人だなってふと思いました。少女めいたお茶目さや可愛らしさをそこはかとなく持つ人。
 私もそうなりたい。

 それとね、知り合いに、
「そんな姿、みすぼらしい」
 って、真正面から言われて、悲しくなって。服装にも化粧にも気をつかってはいるつもりなんだけどね。
 でも「みすぼらしい」って、外見が貧弱で弱々しいことって、そういう意味でしょ。貧弱か、弱々しいのかって、にまにまする自分もいました。
 ネガティブな言葉なのにね。痩せること、それを他者から指摘されること、嬉しい時も悲しい時ももろもろあるけど、きつい言葉もプラスに感じ取れるようになれば、痩せになおさら精進できるのかしら、なんてね。

 私は、本来こうあるべき姿、って感じで痩せ姫を目指してる。
 人類が熱中してきた身体加工の歴史と絡めて考えると、また面白いだろなぁ。
 少なくとも、標準体型よりも痩せている今の自分の体型は、私のアイデンティティと言っても構わない気がします。痩せてるとは口が裂けても言えないけど、でも浮き出る骨は自分の中で唯一好きな部位で、その存在のおかげで、自分を認められてるよ、私。

 じつはあと少しで、就職に必要な勉強への参加も認められそうで、認められたらこの体型でも職に携われるってわくわくしてます。
 もろもろ条件付きの、になりそうだけど。今日も今日とて面接もどき。行ってきます。
 前回は「よくテストでこの点数取れてるな……」って呆れられたのですが、それは私の意地であり誇りであるから。点数を言い訳にされたくない。
 痩せを邪魔されないためなら何だってします。

 ささいなことならば譲れるんだけど、痩せたい気持ちは自分の根幹に関わるものだから、そこだけは決して譲れないの。
 私を守るための、私が私でいられる砦のようなものだから。


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