症状という宝物「掌中の珠」~かすみ嬢の居場所(14)
あっこれ可愛いなぁ、って思って試したスカート。
でも、そういうのはゴム製のものが多いから、かろうじて骨盤の腰骨に引っかかるくらいの幅で、そんな風に着るとダサく見えちゃう。なので、着るものはワンピースか腰紐が付いてるスカートに限られる。
もっとおしゃれしたいなぁ。
だけど、ポイントは腰紐ってとこ。ベルトだと新たに穴をあけるなど、力と手間とが必要になるし、余った長い部分の扱いに困るでしょ。腰紐は二重に巻いても変に見えないし、大きく蝶結びするとかで調節できるから、まだいい。
ぎゅって締めるとひだが大きく波打って綺麗に見える素材のスカートだと、腰紐つけててよかったなぁって惚れ惚れする。全体的にひだを寄らせるのは難しいけど、そんなことに最近はハマってるよ。
何が言いたいかって、痩せると着られない服もできるけど、それは太っていても同じことで。でも痩せたからこそのおしゃれも楽しみもあるから、いいよねってお話。
そんなお話をもうひとつ。
鎖骨の内側に思いっきり指が入って、手を指と掌を折りあわせるようにして摘まんで骨を感じるのが好き。変な癖だから自室でしかしないけどね。でも鎖骨、もう少し指がぐわって入れてたはずなのに入れなくなってる。
誰かに認めてもらいたくて認めてもらいたくて痩せようとして今も痩せようとしてるけど、現実は残酷だよ。
痩せにくいときは痩せを望み、だけどキープに近い状態にしかならないくせして、痩せて体調を崩したらキープを望んでしまう自分の心の弱さが情けないです。
痩せの弊害など予想以上に起こることなど百も承知で、なお痩せようって思えたなら、その力はとても強いって信じてるの。
先生は「自分の心の声を聞いて」っておっしゃるけれど。私の心の声は「痩せたい太りたくない痩せなきゃ、あれ食べたいでもだめよ、だって痩せたいんでしょ泳いで走って運動して痩せるためには不可欠なんだからさぁ」って、そんな声しか聞こえないよ。今を無理に変える必要性もわからないよ。
痩せに向かって努力している自分なら認めてあげられるよ。嫌いにならないであげられるよ。
吐いたほうが痩せるってのはわからなくもなくって、食べたように脳も騙されるし食べ物以外の何かもいっぱい外に出ていく感じがするから。浄化されてる気分で。
小さいときは何だって夢をみられた。宇宙飛行士になりたい、お医者さんになりたい、お花屋さんになりたい…って。年をとるごとに選べる範囲は縮まって縮まって、とうとう今の私に選べる夢は、痩せ姫として誇りを持つことか、何も出来ない人間として惨めに死んでいくことしかなくなっちゃった。
せめて、いつか痩せ姫として生きられるかもしれないって希望くらい持たせてよ。
摂食障害者の症状は、患者にとっては宝物である。掌中の珠である。
そんな表現を見つけた。
この「掌中の珠」という表現がいい。痩せ姫にぴったりの表現。
痩せ姫は、痩せを慈しんで大切に守り育てているから。痩せ姫を目指す私も見習ってひっそりと育てている最中だから。そう思うと頑張れる気がするの。いつか育ちきってほしい。それと引き換えになら何だってするよ。
だめだ、最近本当に寝なきゃ体力も気力も回復しない。泳いでも歩いても走っても家帰ったらそのまま倒れるように寝なきゃ学校にも行けない。なんでこんなに弱いんだろう。
本当の痩せ姫様は、寝るのにも体力がとられるから寝られないって聞くよ。今の状態を超えたら、また少し近づけるのかな。まだまだだなって気持ちと、もう少し頑張らなきゃの気持ちとごちゃごちゃ。