2084年(6)クレイジーSを着るために④

「先生、11時枠のお客様、到着が40分くらい遅れるそうです。お電話によると、電車が止まってしまったらしくて」

スタッフの中年女性が女主人に告げた言葉は意外なものだった。

「そうなの? お気の毒ね。それなら、お昼休みとして設けてある13時から14時のところに入っていただきましょう」
「わかりました。では、こちらから電話でそう伝えておきますね」

スタッフの中年女性が去ると、女主人は少女に向かってにこやかに笑いかけ、
「ということで。11時台がぽっかり空いてしまったの。もし、次の予定が差し迫っていないようなら、お茶でもいかがかしら」
「えっ、はい。あのぅ、次の予定はないんですけど、お忙しいのに、そんな、よろしいんですか」
「もちろん、よろしくてよ。こういう機会でもないと、お客様とゆっくりおしゃべりもできないし。こちらとしてはぜひ、おつきあいしてほしいの」
「はい、それじゃあ、お願いします。なんか、すごく光栄です」

到着が遅れるという客に時間変更の連絡をしたスタッフの中年女性が戻ってくると、女主人はお茶の用意をするように指示した。
そして、2メートルほど離れた別のテーブルに少女を誘導、自らもそこに移動して、ふたりで向き合って座る。
少女は思いがけない幸運に舞いあがり、気がつけば涙も止まっていた。

とはいえ――。

何を話せばよいのか、わからない。
聞きたいこと、聞いてほしいことは山ほどあるはずなのだけど。
あ、そうだ、泣いてしまった理由をちゃんと説明しなきゃだわ。

「あのぅ、さっきは突然泣き出してしまってすみません。なんていうか、ものすごくうれしくて。自分でもはっきりとはわからなくて、こういう言い方が合ってるかどうかも自信ないんですけど、努力が報われた気がしたんです」

「いえいえ、謝るようなことではないわよ。入店希望の自己紹介に書いてくれていたけど、その努力の理由には、この店の服が似合うようになりたくてという思いも含まれているのよね。こちらこそ、ありがとうございます」

その言葉にホッとして、少女は最近の悩みごとについて語り始めた。
不思議なことに、この女主人の前だと、なんでも話して大丈夫という気がして、そんな気持ちで話すうち、心のなかも整理できていき、自分でも気づいていなかった涙の理由や最近の悩みごとをかなり伝えることができた。

そうか、私、まだ自信を持てていないんだわ。
でもさっき、憧れの店の服を着て、それを作った人に似合うと言ってもらえて、努力が報われたというか、自信持っていいのかもって少し思うことができて、それで感極まったというわけね。

2084年の日本において、細いことは自信につながることだ。
しかし、いつのどの国であっても、細いだけで自信を得ることはできない。
そもそも、細さの基準があやふやだったりもする。
鏡に映る姿を見ても、絶対的な確信は持てず、それを補完するのが他者からの承認だが、それもけっこう当てにならない。
また、細ければ細いほど素晴らしい、というありがちな言い方も、所詮は誇張表現。
WHO(世界保健機関)が政府に改善を求めるくらい「細いは正義」に染まっているこの時代の日本でも「細すぎは悪」という価値観が厳然と存在している。
ダイエットを始める前の155センチ32キロはほぼ「正義」だったが、そこから5キロ減った今は「悪」寄りとなった。
それゆえ、少女は引かれたり、心配されたりすることが増え、それも自信が持てないでいる原因だ。

少女の告白が一段落して、会話が途切れると、女主人が口を開いた。

「そうね、今のあなた、昔だったら入院させられるかもしれないものね。私が初めて入院させられたのも、あなたくらいの年齢で、それくらいの体型のときだったわ」

えっ⁉

心のなかで、少女は大声をあげた。


※つづきます※

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