夢はかなえるものではない

「人生が変わる1分間の深イイ話」を見ながら、ベッキーはやはり、体(というか、メンタル)に悪いと感じた。
この人の、ポジティブでなくちゃ、という強迫的ですらある感性には、それが悪気のないものだとわかっていても、ついていけないものが。昨日の場合は、それを紳助が絶賛したりするものだから、ある意味、気持ち悪かった。ワタミの社長と評論家の宮崎某が、夢を計画的に実現した話をしていたのにも、違和感、覚えたし。妄想フェチの羽田美智子に、慰められ、癒されたものの、彼女がそこにいなければ、チャンネル変えてたかもしれない。

計画的に実現するのは、夢じゃなく、目標です。夢はかなうことを願いつつ、かなわないところによさがある。
堀辰雄が随筆「姨捨記」のなかで「日本の女の誰でもが殆ど宿命的に持っている」と記した、
「夢の純粋さ、その夢を夢と知ってしかもなお夢みつつ、最初から詮めの姿勢をとって人生を受け容れようとする、その生き方の純粋さ」
というものは、これからどうなっていくのだろうか。

もっとも、ベッキーのような人がいる一方で、堀辰雄的ヒロインのような感性を持つ人も、若い世代にはまた増え始めてる気がする。おそらく、バブル期を象徴した「ドリカム世代」が悪しき感性のピークであり、もう一度、日本の女性は、原点回帰していくのではないか。
と、願望をこめて、締めくくってみる。


(初出「痩せ姫の光と影」2010年7月)


羽田美智子のどんな言葉に癒されたのか、今となっては思い出せない(苦笑)ただ、この時期からさらに十数年前、ある痩せ姫に「羽田さんみたいな女性、好みですよね?」と言われたことがある。そのときはピンと来なかったが、その後、彼女の言動や生き方を眺めながら、たしかにそうかもなと思うようになった。
なお、引用した文章は、堀が「更級日記」に触発され、書いたもの。彼はそこに「愛の不可能性」と日本の女の夢や生き方の純粋さを見いだした。痩せ姫はまさに、そんな傾向を色濃く持つ存在だと僕は感じ続けている。





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