大晦日に死ぬということ~国と国とに
(再録シリーズ。アメブロで8年前の大晦日に書いたものをふたつ、まとめて掲載する)
今から60年前の大晦日、久坂葉子は21歳の生涯を閉じた。その日の午前2時頃、遺作となる「幾度目かの最期」を書き上げ、午後9時45分、特急電車に飛び込んで。
「女太宰」とも呼ばれた彼女は、自分より4年半早く死んだ太宰治について、こう書いている。
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「雨の日に」
雨のふるうすぐらい日に作家が独り死にました
人がどんなにさわいでもそれは無益なことなんです
私は静かに黙っていてのこして行った作品をよみます
(略)
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また、こんなことも。
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「逝った人に」
「ねえ、誰にもきかれないように、そっと教えて下さいナ」「この道ですよ。おじょうさんの道は」とね
そうしたら私は黙って、ほんの少し笑ってさされた方へ進みます
雑草ばかりの小道でもぬかるみの多い細道でも私は黙って歩いて行きますよ
「ねえ誰にもきかれないように、そっと教えて下さいナ」
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彼女は太宰の生と死、そして作品から、彼女にしか聞けない言葉を聞いたのだろうし、その結果が、その後の生と死、そして作品だったのだと思う。
だからこそ、太宰ほどではないにせよ、彼女の文章も確実に読まれ続けているわけだ。
大晦日に死ぬということは、彼女が優れて日本的な美意識の持ち主だったことの証しでもある。
当時はすでに新暦だったとはいえ、大晦日は本来、冬の終わりの日。新春になれば、数え歳がひとつ増えるわけで、区切りをつけるにはちょうどいい。
たとえば「源氏物語」でも、光源氏の退場は大晦日。翌年には出家することを決意した彼は、今でいう「節分」のような行事に、孫の匂宮がはしゃぐのを眺めつつ、世俗への念を断ち切っていく。
ちょっと飛躍してしまうけど、桜が満開の日に、西行と岡田有希子が世を去ったのと似たようなものを、久坂葉子の死と光源氏の退場にも感じてしまう。
あとで、彼女の短い作品をひとつ紹介するつもりです。
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「国と国とに」
国と国とに境があるようにあなたとわたしのあいだにはやっぱり境があるのです。
どちらかが境をこえて一歩でもはいりこんだならきっと、争いがおこるでしょう
あなたはあなた。わたしはわたし。
それはかわらないのです。
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久坂葉子、19歳の作品。ジャンルが違うとはいえ、前田敦子の「君は僕だ」が、愛の可能性を歌ったものだとすれば、こちらは「愛の不可能性」を詠っている。
しかし、彼女は恋をしなかったわけではなく、むしろ恋愛体質ゆえに、その不可能性にたどりつくしかなかった。
21歳での自死は、それだけでもう、少女のまま逝ったようにも思えるが、実際、恋をしただけで壊れるのが少女という存在だ。
ありがたいことに、彼女は作家であり詩人でもあったから、その儚く美しい壊れ方を、文字に刻印してくれている。
今年もあと9時間弱か。60年前の今頃、彼女は何を想っていたのだろう。