脳萎縮で済ますのは間違ってる~かすみ嬢の居場所(20)


 昨日今日は体重が増えてないのに身体がなんか軽くて、エネルギーがあり余ってる気がしてすごく動き回ってる。
 気分がよくて、毎日のタスクができたことに達成感覚えるし、もっと走ろうもっと腹筋しようってわくわくする。
 ただ、そのわくわくのかげには、こんなに体重があるのにこんなに気分がいいわけない、もっと痩せねば痩せねばの焦りが隠れてるのよね。
 健康になった気分がしてじつはすごく嫌。エネルギーを全部使い果した状態になるのが好き。

 最近の掘り出し物は「Ana Is My Religion(私は拒食を信仰する)」ってblogです。特に「Rules」のとこは、とても共感する。たとえば、こんな感じのことが書かれてます。

 鏡の前で食べること(もしくは食べる前に自分の写真を見て、本当に本当にこの食べ物が自分にどうしても必要なものか考えること)

 私は醜形恐怖がややあるから、鏡は見られないけれど、食べる時は自分のシルエットを常に想像してしまう。
 シルエット…っていうか脚かな。私は膝下から足首まで、膝上から太腿まで太さが一緒の真っ直ぐな脚にすごく憧れてる。その理想の形を思い浮かべてるよ。私はO脚だからなかなかなれないんだけど…。私にとって、脚は痩せ姫たる必要条件のひとつなんだろうな。
 そんなシルエットの理想と現実を思うと、胸につかえのようなものができてもう食べられなくなるの。すごくきつい。Rulesなんて自分に課したつもりはなかったけど、無意識に課しているんだろうな。こだわり。

 このblogの題名は、多分私にとっては「痩せ姫信仰」って言葉がいちばんしっくりくるかも。上手く訳せなくてごめんなさい。ニュアンスだけでも伝わるといいな。

 そう、信仰だからね。
「脳萎縮しているから正常な判断ができない」わけじゃないの。だったら、こんな体重じゃないときからそう望んでいたのは何故? 痩せ姫を、痩せ姫になりたい気持ちを、馬鹿にしないで頂戴。
 痩せてさ、骨も血管も綺麗に浮き出て見えて。そうなったら、どんなにか清々しくなることか。本来こうあるべき、という姿に見えるのよね、私には。
 痩せたい理由もそうあり続けたい理由も人それぞれだし、痩せたいという意志が少し強いからといって、低体重だからといって、何も考えられなくなっているわけではないと思うよ。文章を考える頭脳があって、それを発表できる。それを聞こうともせずに「脳萎縮している」で全てを済まそうとしているのは間違ってるってば。

 そういえば、思ったこと。
 強い人の、たまに見せる弱さにどきっとする。痩せ姫になりたいって毎日頑張って頑張ってるけどどうしても出てしまう弱気。克服したい、しようって努力を重ねている人達の葛藤。
 摂食って、どっちを目指すにしてもとても孤独な闘いよね。究極の痩せ姫を目指すのも、普通を目指すにしても、心ない言葉や視線は必ず浴びせられる。他人事じゃなくてすごく苦しい。
 でも、頑張ろーね。努力はいつか絶対に報われるよって、いつも思ってる。

 私の幸せは痩せ姫だけど、人の幸せが何かってそれも人それぞれだからね。ぽっちゃりしてる人が食べ歩きが趣味!って言っても、私は体型を考えて…なんか言わないよ。なぜそれの逆ができないの…。
 それと同じで、克服のために努力する人もすごい勇気と覚悟に満ち満ちてると思う。

 痩せ姫を目指す人も克服を目指す人も、向く方向は違っても応援したい気持ちでいっぱい。克服しようとする人はそれだけで、努力の人だよ。



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