昨年までの風景(19)
白秋に添水の音響く詩仙堂
あれは 私達がまだうら若き女子大生の頃、友人と二人で詩仙堂に行くことになった時だったか…。
京都の人が「叡電」と言って親しんでいる叡山電鉄の「一条寺」という駅で降り、10分位緩い坂道を歩くと小高い場所に瀟洒な古木の門に出くわす その門を見上げると「詩仙堂」と掲げられていた。その門をくぐり 石段を数段あがると、その先に庵のような詩仙堂はあった。
「詩仙堂」と名付けられた由縁は 狩野探幽による中国36詩仙の肖像を掲げた「詩仙の間」があったからだそうで、詩仙の間から見える庭は 唐様庭園と言われているという。私達が座して眺めると 畳の間を縁取るように鄙びた縁側があり、白い小石が敷かれているその周りをこれまた縁取るように緑の低木が植えられ、背景に雄大な比叡山が広がっていた。京都という場所は余り広くなく盆地なので、「借景」と言って自然の山や樹木をあたかもこの庭の一部であるかのように利用する造園法を取り入れているところが多いらしい。そして、あの緑の低木の中に有名な「ししおどし」なるものがある。比叡山からの湧き水が ちろちろと竹筒を満たした時、竹筒がひっくり返りカーン!と 庭に設えられた苔むした石を叩く「ししおどし」である。 ちろちろカーン! ちょろちょろか~ん! 古き良き時代にあった獣たちとの共存していく生活が なんとも心長閑で愛おしい。詩仙堂を訪れる人は その音を聞きに来る人がほとんどだったと言っても過言ではない。
白秋に添水の音響きおり詩仙堂
ひとまず癒された気持ちで、私たちは「曼殊院」へ向かった。比叡山西の懐にある天台宗門跡寺院として存在している曼殊院には 杉と楓にかこまれた本堂があり、枯山水の庭園には「八窓軒」という茶室があった。私達はこの庭を目前に静かな気持ちに浸っていた。 その時一瞬 チロリン! 涼やかな音を聞いた。「え?なんの、虫の声?」私は驚いた「今、聞こえた?」「うん、あれはマツムシや」こともなげに友人は 答える。しかし 私は感動した。 おおいに感動した。童謡の歌詞に「あれ、マツムシが鳴いている チンチロ チンチロ チンチロリン」というのは知っているが、今迄本当のマツムシを聞いたことがなかったから… いいえ、こんな澄んだ涼やかな虫の声を聞いたことがなかったから… もう一度聞けないか? 私は耳を澄ませた。しかし それっきりだった。
あれから、何十年もして その話を彼女にした。「あの時の感動は 今でも はっきり憶えているけど、おぼえてる?」と聞いたら「憶えてへんわ~」とさらり!と返ってきた。「私 花はスキやけど、虫の声は…」との返事。 人によって感動することが 全く違うんだなあ~とつくづく思った。
私は「音」に反応する。そして、最近、それを言葉にすることにとても興味をもっている。が、彼女は 残念ながら「オノマトペ」という言葉も「初耳だった」とのことだった。