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受話器のむこうで(1)

                             
 私はドキドキしていた。 何しろこんな所に電話をするなんて!思ってもいなかったから、、。

呼び出し音が2~3回なって男性の声がした。            「はい、京都発明協会ですが」あまりにも明るい声だったので、私は一瞬声を呑んでしまった。                        「あの~、ちょっと閃いたものが、、」と言いかけた時         「あ~、係りに繋ぎますから、、」と 温和な声がかぶさった。

しばらくして、「もしもし、代わりました。担当の浅井です」と、これまたおだやかな声の女性。この発明協会のひとたちは 仕事柄かも知れないけれど、なんて 豊かな声なんだろう。                 「あの~、ハンガーなんですけど、、」「はい? あ! ハンガーですね」受話器の向こうの笑顔が見えたようだった。             「あの~、セーターとか長袖の洗濯物がどうしても、脇とか腰回りが乾きにくくって、、そこで思いついたのですが、、」            「は~い」そら、きた~と言わんばかりに前乗りの声が返ってきた。  「試作品はお持ちですか?」                   え? 試作品?                          「いえ、アイデアだけで、、」                   「そうですか~、試作品があればいいのですが~」

いや~! そんなの、作れない! 作れたらいいけど、作れない!

「あの~、下手な図面ですけど 書いてますけど、、」どうも私の返事は歯切れが悪い。                           「それなら、図面で説明してもらえばいいですよ」あっけらかんとした声で「面会予約されますか?」いきなり言われて             「あ~、行くんですか?」と答えてしまった。            「そうですねえ。来ていただいて、説明していただかないと、、どちらにお住まいですか?」「枚方なんですが、、」「あ~、そこなら大阪の方がいいと思うけど、、」と 語尾がひとり言のように小さくなったので、私が慌てた。「いえ、大阪より京都の方が分かりやすいので、私 枚方ですけど、出身が京都なもんで、、」「あ~そうなんですか」一瞬、浅井さんの声に親しみがこもる。

「ここの住所:五条七本松なんですけど、わかります?」「え~と、京阪五条で降りたら、、」私の頭の中で京阪電車が走った。         「京阪電車? いや!JR線で一旦京都駅に出て、嵯峨野線で『丹波口』で下車」「あ~、嵯峨野線ですか?嵯峨野線だったらわかります。 姉の家に行きましたから」

 そう、去年の夏、姉の入院で天橋立から来る姪っ子と京都駅で待ち合わせて 二条駅の病院に向かったことを 思い出した。          「そうでしたか。それなら、京都駅から二つ目の駅で下車していただいて、改札口を出て左へ歩いて信号二つ目を左へ」              すんなりと説明する彼女は きっとこの場所を何十回いや何百回と案内し続けているのだろう。私は頭の中の地図の上を歩いていく、左へ折れて、、で、どんな建物?それを察知したように「左手に五階くらいの建物があります」と返って来た。「何と言う建物、いえ、看板なんか、、」自信のない質問に「『京都産業支援センター』と言うのがあがっています。その二階」 あ~!わかった! 頭の中でその建物に行き着いた。 やれやれ!

 ところが日にちをきめる時、にわかに足を引っ張ることを思い出した。 私の娘は昨年の春「多発性骨髄腫」と診断され、週一度京都の病院に通っていて、化学治療後の3~4日は副作用の為に家を空けられない。     どうしょうう? 事情を話して、娘と相談してから 再度日にちを決めることにした。

 当時、コロナウイルスと言う感染症が中国の武漢からはじまり、観光大国の日本への感染拡大が 懸念されていたところだった。しかし、まだ身近に感じていない時期だったので 気を許していたのだが、「多発性骨髄腫」と診断された娘は 敏感に察知して、母に感染しやしないか?と極力 母一人での外出を懸念していた。 私は「かかれば娘もろ共」と変な度胸と覚悟をしていたので、外出を制限される事を 多少とも不甲斐なく思っていた。 図面を見せて説明し「折角 思いついたんやし、、もったいないやろう? 特許取れたら 収入もあるやん!」とうそぶいて、しぶしぶ娘の承諾を得、2月17日に予約を入れた。                      その数日後首相の「外出を控えるように」と言う発表があり、再度 私の外出は諦めるのを余儀なくされた。

            

 私は 前回と違ったドキドキ感で、浅井さんを呼び出し、受話器を持っていた。「お待たせしました。浅井は今、別の電話に出ていますので、、お聞きしましょうか?」これまた、浅井さんと間違いそうな柔らかい声だった。「あ~、あの~、17日に予約させてもらったのですが、コロナウイルスで娘が行って欲しくない、お母さんがかかったら 私誰に看てもらうの~といわれまして、、」内容は伝わっているようで、即座に同意の返事が返ってきた。「そうですね。そうしたら図面をFAXで送ってもらってもいいですよ。出来るだけわかるように、又電話で詳細をおたずねしますけど」とさっぱり言われた。「うわ~、助かります。そしたら、送らせてもらいます。あの~失礼ですが どちら様でしたっけ?」「鶴岡です」「あ~、ありがとうございます。浅井さんにもよろしくお伝えください」そこで私は受話器を置いた。

それからというもの、私は久しぶりに渾身を込めて図面を描いた。    まずはネーミングが必要との事。娘が考えた「セーター乾く君」にする。 正面はこんな形。ヒントは衣文掛けだった。              衣文掛けでは 袖の長さが長すぎる。その上、肩が潰れてしまう。    セーターは肩が潰れたら台無しだ。  やはりハンガー仕立てでないと、、それも肩の厚みや丸みが保持できるように!              脇の下を乾きやすくするには 空気が通らないといけない。それには、ハンガーの肩から袖に空気が入るように、二段回で15㎝くらいの筒をカチカチっと引き出せるようにして、袖脇を広げる。              けれど、しまっておく時は場所をとらないように、元に戻せるようにする。カーディガン等の前開きの物は掛けやすいが、セーターなど被り物には袖筒の長さが 首の形を崩してしまわないように。どれくらいあればいいか? ハイネックのセーターの場合は?                   ああ!ハンガーラックの部分を引っ張り出して、ハイネックを引っ掛けられる突起のようなものをつけなければ、、。ずり落ちないように!    と、まあ~こんなふうに! 

楽しかった。久しぶりに夢中になれた。                丁寧に太いマジックでなぞりながら、まだまだ改良の余地はあるけれど  私が発明協会に関われるなんて、、、。ちょっとウフ!と気持ちが躍る。 個人情報なんてどこへやら!                     携帯番号、そのアドレス、パソコンのアドレスを書き込んで。   

いざ! 発明協会へ!!


                      


                              



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