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昨年までの風景(11)

ピエロと犬

もう何十年も前のこと、バザーに出すものを物色していた時「ピエロと犬」の鉛筆画が出てきた。「こんなん描いてたんやな~」と思えど、当時はピエロだけのデッサンだったはず、ピエロの涙と犬は後で描き足したことを思い出した。どうして、一粒の涙と犬を描き足したのか?

 油絵 クロッキー 鉛筆画いろいろ通っていたが、一番楽しかったのは クロッキーだった。短い時間で 一気にモデルを捉えて線で描く面白さがあった。 恐れ多いことだが、ゆくゆくはピカソのような線を描けたら!と、憧れていた。元々、京都の中学校の美術部の先生が 京都のお寺の襖絵を案内しながら墨絵の魅力を教えてくださったのがきっかけで、その後、我流でよく墨絵を描いていた。一筆描きのように、一気に対象を捉えて線で表現できたら…と、いつの間にか線描表現に憧れていた。 結婚して千葉県に住んでいた時、墨絵の通信教室をはじめたが、子供が小さかったせいか、墨絵を始めるまえの精神統一の時点で挫折した。だって、精神統一をして いざ筆を持ち上げようとしたとき、幼稚園児の男の子が 数人ドタドタと泥のついた足跡をつけて上がり込んでくるのだから、これは 中断せざるを得なかったと 記憶している。「今は 始める時じゃない!」と! 

 クロッキー画の教室にはじめて顔を出した時、モデルが裸婦なのに驚いて木炭の手が動かなかった。が、何回か向き合っているうち、婦人のなだらかな曲線を捉えて一気に木炭を走らせるのが何とも快くなった。 服を着ている人もいいけれど、裸婦はその人の曲線を通して 何か訴えてくるものがある。だから、痩せている人よりふくよかな婦人の方がいい。そして、整った顔立ちの美人より 少し形の違う顔立ちの人の方が、内面を描けておもしろい。と、思った。 

 私はどういうわけか ピエロを描くのが好きだった。モデルがどういう人かわからなくても、ピエロの衣装を着けているだけでテンションがあがる 何回か描いていくうちにピエロの衣装の下の人間も見えてくるような気がした。が、そんなことを気にせず描き続けていて、気が付いた。出来上がったピエロが自分の姿と重なっていることを・・・ 

 人生の道化師! ホント、そうかもしれない。

「今」の寂しさや哀しみを紛らわせるためにピエロは 心を隠しておどけてみせる。私は おどける迄いかないが、私も皆もがんばっている。しかし、私のそばには おかげさまで必ず癒やしてくれるものがいた。妖精だったり、動物だったり・・・

 そこで、私はピエロの絵に描き加えた。

一粒の涙と一匹の犬を・・・  

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