昨年までの風景(20)
育った地元のアクセントの力は すごい!と 思ったことがある。
結婚してすぐに 千葉県に住んだ。松戸市に7か月、習志野市に7年。子供もすっかり関東弁の中で育ち、私もやっときれいな関東弁で話すことが出来るようになったところで、大阪への転勤が決まった。
娘が小学5年生、息子が小学一年生になる春だった。
京成電車で「大久保」駅を離れる時 娘の学校友達が3~4人 走り去る電車を追っ掛けて手を振ってくれていたことを 思い出すと、映画のシーンを見ているようで 今でも胸が熱くなる。
入学式をすぐ近くの小学校で迎えた息子が 初めての授業を終えて帰って来た時の事、私は気配を感じて玄関まで出向いた。すると、息子は友達が出来たようで「ぼくのうち、ここやで~」とすっかり関西弁になっていることに思わずニヤッと笑ってしまった。 息子の順応性に驚きながらも ホッとする私がいた。
ところで、私は?
大阪市と京都市の間にある当時流行った開拓住宅地。そこに毎週「河村屋」さんが 御用聞きに来てくれていた。「河村屋」さんは 元々酒屋さんだったのが 「ピーコック」という比較的何でもそろう店が 自転車で坂道を往復しなければならず、皆さんのご要望に沿ってお酒はもちろんのことお米、各種調味料、灯油など おおよそ重たい物を何でも配達してもらえるので 当時は随分助かった。
初めての御用聞きの時 あれやこれやと始めて住むこの近辺の情報を教えてもらって、とてもありがたかった。 そして、その1週間後「河村屋」さんが御用聞きに来て 色々注文していると、不思議な顔をされた。 「え?なんで!」私もなんのことやら分からず「?」の顔をしていると、「河村屋」さんが 注文書の紙と鉛筆の手を止めて 「確か、奥さん関東から 引っ越して来られたんですよね?」と 「そうですよ!千葉県から…」と 答える私の顔も「?」が消えない。 二人の不思議な顔が互いにまじまじ見つめ合う。すると、「河村屋」さんが 「いや~! 先週、たしか関東弁やったのが、今回関西弁やったんで~」と頭を掻きかき笑った。 そこで、ハタ!と 気が付いた。 「あ~!私、出身が京都なんで… いや~、一週間で戻った?」と聞くと 大きく頷く「河村屋」さん、「へ~、7年目でやっときれいな関東弁がしゃべれたのに 1週間で戻ったん? えらいもんやねえ」と笑い合った。
生まれ育って身についた関西弁のイントネイションは7年かけてやっと身につけられたと思った関東弁のイントネイションを あっと言う間に吹き飛ばしていたのだった。