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白いマスクの女性(ひと)

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大谷町駅のリンドウ書店の前から出る送迎バス。            松田は中松病院の送迎バスの運転手をしている。もう かれこれ5年の勤務になろうか、中松病院と大谷町駅の30分の往復。大谷町駅から出発して、世津川団地を通り抜け 中松病院が経営している高齢者施設「泊楽園」を迂回して中松病院まで。その往復送迎を一日4回請け負っているボランティア。  単調だが それなりの神経を使わざるおえない病人をのせての30分間。 それでも5年前と打って変わった巨体になっている自分に 松田は苦笑するしかなかった。

大谷町駅周辺は 程々に人通りがあるものの、昭和に開発された緑の多い世津川団地。  世帯数はかなり収容できるが このご時世のこと、空き家の件数も多く 賑わうはずの団地は静まり返っていた。しかし、道幅が広く木々は年月を背に大きく育ち、団地そのものは古くなっているものの それが返ってノスタルジアの観が加わり、なかなかの景観をかまえている。  その団地の奥まった小高いところに「泊楽園」はあった。        眺望がよく入居者には まさに天国のようなところだと松田は思う。しかしこういうところに入居できるにはお金がかかる。「俺なんか、、」と松田はいつも思いながら駐車場に入り、そこから乗って来る人がいない限りすぐに出発した。

 緑豊かな団地の通りを抜けると 世津川の流れに沿って走ることになる。狭い川で流れもなく、今ではコンクリートで囲われた壁に沿ってほんのわずかな水が 音もなく流れているだけだが、その川に沿って見事な桜並木が 続いていた。松田はそこを走るのが唯一の楽しみだ。曲がりくねった狭い道も、ハンドルさばきが軽くなる。満開の桜の季節は もちろんのこと 若い緑の葉が茂るも良し、秋には衣替えするように 少しづつ色鮮やかに黄色や赤に変わる並木が なんともいえず松田の心をつかむ。

高齢者の利用が多い中、白いマスクをした女性が利用し始めたのは 数か月前だったか?  月一回 第3水曜日の午後、決まった時間の送迎バスを利用する白いマスクの女性。 水曜の午後と言うこともあって、駅から乗る人が一人しかいない時もある。送迎バスのドアを開けると、いつも「こんにちは」とボンネットにぶつけないよう頭を下げながらくぐもった声で乗り込んでくるので、運転席の松田は顔をみることがなかった。が、バックミラーで見るかぎり、映るその人の髪は長く肩までカールしている。髪形から判断すると 若いのか? しかし、シルバーヘアーなのだ。 年齢はわからない。若くはないはずだ。もしかして、患者? 病院の送迎バスを利用しているのだから、、。運転しながら、松田は推測した。

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ある夏の日、一度だけマスクをしていない時があった。松田が出発時間を確かめ、バスのドアを閉めようとした。その時、「あ!コロコロが~!」と叫ぶ声が聞こえた。 患者の中でコロコロが引っ掛かりそうになったらしい。松田は間一髪のところで ドアボタンを押さずにすんだ。慌てて振り返ると、白いマスクの女性が コロコロを移動させてくれ「もう大丈夫」というように松田に笑顔を向けてくれていた。 一瞬のことだったので 出発することに気がいってしまってすぐ発車したものの、彼女のその時の「もう安心していいですよ」と言う笑顔が脳裏に焼き付いた。 その笑顔はなんとも魅力的だった。「きっと、この人は若い時 きれいな人だったに違いない」 瞬時に松田は確信していた。年齢は往っているものの、清潔感があった。 高齢者にとって、清潔感を保つのはなかなかむつかしい。       「清潔感こそ、その人を美しく見せる」と松田は思った。        しかし、どんな生活をしていれば、こんな清潔感をだせるのだろう?

それ以来、松田は第3水曜日の午後一番の大谷町駅を待つようになった。 月一の午後12時55分発 中松病院行きのバス停。  白いマスクのその人は 必ず送迎バスが駅のロータリーに着くと同時くらいにリンドウ書店あたりから バスのドアの前に現れる。 「月一の午後?」松田は思い巡らせた。「午後というのは予約だな。何科だ?午後は予約診療、、と言うと、あ、緩和ケア?それとも、入院患者の家族?」気になるにつれ、話かけるきっかけを掴もうとした。

この前のお礼もかねて 一番に乗り込んできたその人に、コンビニで買ったアイスコーヒーを渡したことがあった。「あら!いいの?」とマスクの上の目がキラリとした。そして、すぐにコーヒーの缶を軽く持ち上げるようにして「ごちそうさま!」と言った。マスクの下から発せられる声は 以外と親しみをこめて返って来る。松田は ニカッと笑って首を縦に振った。   それで 十分だった。 しかし、話は続かなかった。

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秋が始まる前の残暑は 厳しい。そのころから、白いマスクの人は乗ってこなくなった。「どうした?」松田はマスクの女性を気にかける自分がいるのを苦笑した。 待ち望む気持ちは 送迎仲間の酒の席で 相方に話すことになった。相方は興味深げに茶化し半分、相づちを打ちながら「どれどれ」と今度、マスクの女性が乗ってきたら 教えてもらうことになった。

かくして、冬の木立が風に揺らぐ日、白いマスクの女性がリンドウ書店から現れた。相方に知らせるにも相方は 別のコースを走っている。     中松病院に到着した直後、相方に知らせる間もなく彼女は病院に消えていた。「なんや!早う言うてくれんと!」と言う相方に「あの人は最終の大谷町駅行きのバスに乗るから、、」と相方を慰めるように松田は言った。

午後3時50分中松病院の最終出発の送迎バスに合わして薬局から姿を現した彼女。やはり白いマスクをしていた。    松田は相方を促した。  白いマスクの女性は 送迎バスに乗り込み座席に腰をおろすところだった。すかさず松田は運転席に滑り込んだ。同時に相方が開け放れたドアに顔を突っ込んだ、その時 座り心地を試している白いマスクの女性と目が合った。目がきれいだった。切れ長でいて瞳が濡れている。思わず「ほんまや~」と相方が言った時、「きれいやろ~」と松田も叫んでいた。その光景に驚きながらも、瞬時に察知したマスクの女性が口を開いた。「マスクをしてるからやわ~!マスク 外したら、口裂け女かもしれんよ~」と。       松田と相方はドッと笑った。もちろん、白いマスクの彼女もマスクの下で笑っていた。  それはなんとも妖気な、いや、陽気な人と確信できる白いマスクの女性の声だったから、、。

しかし、それ以来白いマスクの女性は 姿を現さなかった。

                    完

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