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隣家の人達

隣の家が壊されていく。がんじょうな鉄骨と壁、どうしてこんなにも頑丈な家を建てたのか…

おじいさんとおばあさんが居て息子さんが一人。新築した時から一人息子さんが出来るだけ手を入れなくても済むように、おじいさんは頑丈な家を建てた。

一人息子は結婚をし、二人の娘が出来た。お嫁さんは大人しい無口なひとだった。おじいさんおばあさんから言えばかわいいお孫さんだ。長女が生まれた時から、おじいさんの可愛がりようは傍目からみても微笑ましく感心するばかりだった。長女が2才になった時次女が生まれた。 長女は生まれた時からおじいちゃんおばあちゃんの愛を一身に浴びていたはずが次女の方へもいく。と、言うわけで長女はかなり意地悪だったそうだ。

おとなしい無口なお嫁さんが急に亡くなった時、二人の娘は小学校の低学年だったと思う。それからというもの、おじいさんとおばあさんが 二人のお孫さんを手塩に掛けて育てた。若くして妻を亡くした息子は自分の娘に「お前らおじいちゃんとおばあちゃんに育ててもらえ」と言い残して、さっさと新しい人を見つけて出て行ったそうだ。そのことは随分後で長女さんから聞いた。 その彼女が幼い頃「ピアノを弾いてるお隣のおばちゃんみたいになりたい」とおじいさんから聞いた時は 天にも昇るうれしい気持ちにさせてもらった。 その後、しばらくしておじいさんは孫にピアノを買った。

そして時は流れ長女は大学で法律を学び、次女は栄養士になった。おばあちゃんは癌で亡くなりおじいちゃんはパーキンソン病になったが、病院に入るまで、ふたりの孫に食事の準備をするためだろうか 台所から大きな声で演歌をうたう声が聞こえて来ていた。 あれは 寂しさと自分を励ます為の歌だったことは 私には痛いほど分かっていた。そして、おじいちゃんのパーキンソン病が進むと孫たちが通勤しやすくなるよう 駅前のマンションに移られた。

2,3年経ったある日、その家の裏の方から「空き家になっている家の雨戸が少し開いているのが ちょっとづつ広がって来てるみたいで気持ちが悪いの、ちょっと見に来てくれへん?」と、電話が入った。私が裏の家へ伺い 庭へまわると、我が家からは見えない広範囲の隣家の庭が 広がっていた。「ほら、あの二階の雨戸、少し開いてない?」と裏の奥様は気味悪げに指をさす。私が見たところほんの少し開いている「雨戸の鍵かけてあるはずやろ~?」とヒソヒソ声。「一階の掃き出し窓は少しずつ開いて来てるのが、わかるんよ。ね! あの開いている雨戸の隙間から玄関まで見通せるでしょ!そんなんありえ~へんやろ?」 言われてみると、なるほど…

裏の奥様は「怖い!」とおっしゃる。そこで、私は長女さんにメールをした「わかりました。今日警察に相談してみます」としっかりした返事があり、会社がひけてからの遅い時間にお巡りさんと一緒に来られた。懐中電灯を持ったお巡りさんが 玄関の鍵をあけて中に入るも何もなかった。という。

一軒落着か!と思った矢先、震度3の地震があった。そして、又裏の家からの電話で雨戸があちこちこち少しづつ大きく開いている。とのこと、又もや裏の家に訪れ 前と同じように見ると、ホントに 開いていた。警察に電話をして見に来てもらう。すると「誰か、浮浪者が住んでるかもしれんな」と、警察官が言った。 そして、騒ぎは大きくなった。

夜8時過ぎ、8名の警察官が集まった。「浮浪者が裏へ逃げるかもしれん!」と、裏の家にも2名の警察官が対置する。 「奥さんたちは家の中へ入っとってください」ちょっと目をひく刑事さんらしき人が言った。「そしたら、行くで~!」の一言で、8名の警官が隣の玄関めがけてなだれ込んだ。

私と隣の長女さんは 固唾を飲んで耳をすませ 音だけで状況を判断しようとしていた。どれくらいの時間がたったのか…しばらくすると、何か大きな声が聞こえ ざわざわと人が私の家の前に集まるような気配がして、ピンポ~ンとチャイムが鳴った。

慌てて玄関へ走り出ると、刑事さんらしき人が でっかい声で言った。 「だれも 居りまへんわ~」

刑事さんによると「おそらく、雨戸が古くなって施錠がしっかりできてへんかったんと違いますか~。それで、何らかの振動で少しづつ開いてきたんと違いますかねえ。変なのが入ってなかってよかったですわ。地震もあったでしょう?それに、風でも動きますからねえ」 私達ふたりと裏の奥様は 胸をなでおろした。

その騒動をきっかけに「ご近所迷惑になるとの事で 売りに出すことになった」と報告があり、隣家に片付けの業者が入り、すぐ「売り物件」という旗が立った。その直後、台風が接近すると言う事で 早々に旗は撤去された。

翌年の春、隣家が売れたということで おじいさんとお孫さんが家を見に来られた。その時 若い男性も一緒だったので 不審に思っていると次女さんの婚約者だという。この秋にも結婚するという若者に「おめでとう!おじいちゃんと00ちゃん(長女)をよろしくね!」と言うと 若者はにっこりと首を縦に振った。

その後 おじいさんが施設に入る前に一人で 思い出の詰まった懐かしい家を見に来られた。その時私は ウンウン頷くおじいちゃんと「お互い元気で長生きしようね!」と握手したことを思い出す。

それからどれくらいの月日が過ぎたか覚えていないけど、もう師走の声がかかった頃だと思う。突然、長女さんからメールが入り「東京に転勤になりました。おそらく永住になると思います。突然ですが今日の夕方おうかがいしてもいいですか?」とのことで、「お待ちしてます」と返事した。

その日の夜8時頃、彼女は訪れてくれた。長女さんは とても美しく成長していた。懐かしいおじいちゃんたちと生活した家を最後に一目見ようと 訪れたのでは?と想像した。懐かしさのあまり私も彼女も泣いていた。そして自然とハグをしていた。フッと後ろに人がいるのに気がついた。それを察知した彼女が「去年春 結婚したんです」と言った。温厚そうな背の高いその人に私は又もや「そう、よかったねえ。00ちゃんを幸せにしてあげてね」と言っていた。なごりおしい師走の慌しい別れだった。

その隣家が壊されていく。頑丈な鉄骨と壁、どうしようもなく解体の作業はがたがたとガリガリと音立て、土煙を放水で押さえこれで3日目だ。作業員は4名親方は日本人だが後3人は外国の人だった。言葉がわからないのだろう挨拶しても返事は返ってこなかった。この炎天下、母国を離れ過酷な労働に付いている人の尊さに 私は生協で購入したジュースを差し入れした。  3時の休憩前、ショベルカーの音が止んだ時を見計らって「今日は何人?」と聞く。すると親指を折った手の平が示され「あ~、4人ね。暑いから水分とってね」といって4個の冷えたジュースを渡すと、つたない発音だが「ありがとうございます」の言葉と 最高の笑顔が返ってきた。

そして、また新しい家が建ち新しい人と新しい繋がりができるのだろう。 私の中にふんわりあたたかいものが 湧くのを感じた。 


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