昔の男性は 魅力的だった?
こんな題名をつけると、引かれそう!
私の初恋(?)は 母方の伯父だった。当時広島の呉というところに 造船所があり、そこの役員をしていた。ということで、とても羽振りがよかった
伯父は船場のお嬢様、言い換えれば「いとさん」と見合い結婚し、5人の息子と末っ子に女の子がいた。 もともと伯父は女の子が欲しかったのだが 男の子が続いていて6番目にやっと女の子が出来たということだった。 伯父の妹である私の母をとても大事にしてくれた。母も5人の子持ちだったが、当時 珍しい「アメリカ博覧会」など自分の妻とこども6にんそして妹とその子5人総勢13人を連れていってくれた。その時はじめて「ミキサー」なるものを飲んだがミカンの皮が口に残って あまりおいしいものでないと思ったこと等を思い出す。時々その伯父の妹である私の母の家、つまり私の実家に泊まりに来て父と一緒に母の手作り料理で飲み明かし、二階の和室に朝までラジオを点けっぱなしにして寝ていた伯父を憶えている。私の実家は京都の長刀鉾町にあったので、祇園祭の前になると、襖を外して住まいも夏の装いになる。伯父はその季節によく訪れた。涼し気な御簾越しに見える浴衣すがたの伯父の姿に憧れた。私がまだ小学生だったと思う。訪れた伯父はがっしりした体格に生成りの麻の背広がよく似合っていた。ヒゲは濃く剃った後が顎のまわりをあおくしていた。カンカン帽をかぶり シャキッとした白い扇子を持ち 太い眉毛に大きな目は西郷隆盛を連想した。その男らしい姿なのに 欠伸をする時などパチっと一節だけ広げた扇子を口元に持って行くなど、子供の私でさえ男の色気を感じた。
クーラーなどなかった当時の男性は 夏にはカンカン帽をかぶり、必ず真っ白な扇子を持っていた。京都の暑さは特別らしく、男性でも日傘をさす人もあり義父などはカンカン帽をかぶり日傘をさし、白い扇子をひらひらさせながら ウナギの寝床なる家の玄関口に帰り着いた時、灼熱の大気を背に立っている姿は とても印象的だった。男性の日傘は主に「黒」か「こげ茶色」で柄の部分は「竹」でつくられている。プラスチックが出だしてから物に風情がなくなった。私がこの年齢になったから 昔の男性を魅力的だと思い返せるのか…?
最近、男性の日傘なるものが出だしたが、どうも世の男性方には広がらないのはなぜだろう?クーラーなるものが 道路まで取り付けられているからだろうけど、体格に違いがあるように思える。 昔の男性は肉はついていないが魚を食べていたからか、骨格がしっかりしていたように思う。最近の男性は 背は高いがどことなく柔らかい。 その柔らかい男性が黒い傘と言えど日傘をさしていたら…?
まあ、私は年寄りだから 昔の男性の方が魅力的だった!と書いたとしても皆さまは 笑って許してくださるに違いない!と、づうづうしく書かせていただきました。 若き殿方お許しのほどを!