ありがたいお誘い
前略、今日はすがすがしい秋晴れですね。一昨日89歳のご婦人のドライブに誘われて奈良に行ってきました。「行って来る」と報告した時、あなたは思わず「大丈夫?」と心配してくれたわね。ありがとう!無事奈良から帰ってきましたよ。
と、私は心配してくれた友人にメールを打った。
私も何回か誘われてその度に何やかやと言って渋っていたけど、究極ご婦人に「いや?」と聞かれて「安全運転なら!」ということで決行になりました。
「よく、まあ あなたも勇気あるよね!」なんて言われたけれど、家族には言わずに楽しんで来よう! と決めました。
今は、お誘いくださったご婦人を信じてよかった!と思っています。
現在89歳のご婦人も来年1月のお誕生日で90歳におなりになる。 そこで免許証を返納されることを決意された最後の機会を 私にあてがってくださったのだから…。
ご婦人も「そりゃ~、あなた 私の方がたいへんよ!命を預けてくださっているんですもの」と、おっしゃる。 そりゃ~そうでしょうとも!
覚悟を決めた二人のドライブは それはもう、楽しかった! 心配かけている友に悪いと思いながら…。
そのご婦人は運転歴60年という、元々は英語の先生だったらしくしっかりしたお声で話される。結婚して子供を育て上げ子供が独立してしまって一人で家に居る退屈さに飛び出して、奈良大学の歴史社会学科の聴講生になったとか…。その間もお茶を続けておられ現在でも着物をご自分で着付けて、車を運転してお茶会に出られるとのこと、 「だから、車の中で裾を端折って白足袋に靴を履くんですの。着物を着るのもわたくし自分で着ますから、ほら! 背中で両手が繋げられますのよ」 ほんとうだ! あっけらかんと笑いながら背中で左右の手を握手しているご婦人の姿を目の当たりにして驚いた。
関西の方なのに 話し言葉が関東のイントネーション、どうしてかなあ?とおたずねしたら、「わたくしね、愛知県の岡埼の出なの。 あそこはもう、関東の分野なんですかねえ。関西にどれだけ長く住んでいるかわからないのにイントネーションが変わらないのよ」
わかります、わかります! 7年半関東に住んでいた京都出身の私が 大阪に転勤になって一週間で京都弁に戻ったんですもの…。
「わたくしね、主人よりスピード出すので孫たちがわたしの車に乗ってくれませんの!」曲がりくねった山道を大型のトラックとすれ違いながらスイスイと運転され、「ほら、もう奈良に入ったわよ」
「は~、それで奈良のどこへいかれるのですか?」「もちろん、公園よ」
奈良ホテルの近くに夫の親友が居てたんですが… どの辺だったかなあ?と思っているうちに 土塀を通り越し緑ゆたかな公園の中の細い道にスイッと入ったと思ったら、車寄せ一台分しかない狭い駐車場に入り「ここよ」とこともなげにおっしゃり、何回かハンドルをきり返しながら「ちょっと、あなたそちらを見ててね」と言われたので「はい、こちらは大丈夫、オーケーです」と短い首を精一杯のばした。前方に古い大きな瓶が3っ 白壁に並べて埋め込んである。それが車止めだった。
「ここなのよ」「え?」「[馬の目]っていうお食事処! 降りていいわよ」「はい」重たい車のドアを押し開けた先に鹿がいた。鹿は座ってくつろいでいたようで、ゆったりと草を食んでいるのか口を左右に動かしながらこちらを黒い目でジッと見つめている。 「ウハ、鹿がいる!」思わず感動して さけんだ私に「当然でしょう、奈良公園ですもん!」と返って来た。ああ、そうだよね!ここは奈良公園の中だったんだ。と改めて自覚した。車のドアを閉めるとそこここに 鹿の姿が見えた。みんなドアの音にびっくりするでもなくのんびりと自分の世界に陶酔しているようだった。
「いらっしゃいませ!」ひなびた麻の暖簾をくぐるようにして引き上げながら白い割烹着の体格のいい主人が出迎える。白髪のご婦人は「ご無沙汰してます。覚えてらっしゃる? もう、2年も空いたかしら? コロナでねえ~」「ええ、覚えていますよ」マスクの下の満面の笑みが見えるようだった。
粗目に織られた麻の暖簾に枯れた墨筆で「お食事処 馬の目」という文字が 大きく踊っているようだった。
中に入ると古民家に手を加えられたか漆黒の太い柱に壁、そこに棟方志功の大きな版画が大胆に掛けられていた。そして、欄間にはびっしりと並べられた蕎麦猪口の数々、坪庭のある瀟洒な造りのお食事処にふさわしい素朴な床の間の短い掛け軸の「花」という一文字がまた私の心をつかんだ。
「ここの若いご夫婦は九州の出らしいんだけど、いつも同じ食器で出てきたことがないんよ。お料理もご夫婦の手作り創作料理なんでしょうねえ。ま、楽しみましょう」
それからどれくらいの時間が過ぎたのか… 私たちは珍しい素朴なお料理に舌鼓を打ちながら、よくしゃべった。どんな話をしたのか、かいもく記憶にないけれどお部屋貸し切りで、どんな大きな声で話して笑っても二人っきりでとても楽しかった。 「あら、もうこんな時間よ!」 ご婦人の声に 私たちは夕日が落ちそうな時間までいたことに気がついて、帰り支度をした。
「ありがとうございました。また、どうぞ!」「ええ、ええ、この度もおいしゅうございましたよ。この方がお友達を連れてきたいと…」と、私を手で案内する。私も即座に「ええ、ぜひとも!お店のお名刺あります?」と乗り気になって言う。若い飾らない女将さんが店の名刺をふっくらした両手で差し出されたのを「また、来ますね」と笑顔で受取った。玄関を出た先までご夫婦で見送っていただいて車に乗ろうとした時、出迎えてくれた鹿を思い出し目で探した。と、前の場所から少し移動したところであの鹿がゆったりと口を動かしながらつぶらな瞳で「もう、かえるの?」と言ってくれるようにこちらをジッと見つめていた。
あとは平城京の街中をゆっくり走らせながらご婦人が案内してくださる。 「これが近鉄奈良駅ね。あれが奈良県庁よ。おおきいでしょう?」 「おおきいですねえ。私の学生時代に奈良から通っていた友達の実家が奈良町で骨董屋さんをしてられ、一度連れて来てもらったことがありましたわ もう随分前のことですけど…」
「奈良は広いですよね。車で移動しないと、もう疲れちゃって…。あの大きな赤い門が朱雀門」「そうですねえ。出来てどのくらい経ったんですかしら?」「そうねえ、ずいぶん前でしょうよ。もう10年以上になるんじゃないかしら?」「その出来たときの祭典にお友達と来たんです。奈良はそれ以来なんです」ゆっくり走り去る車窓に切り取られた朱雀門の姿を懐かしい想いで見送った。
そして、帰宅路の途中で「仙寿庵」という和菓子屋さんに立ち寄り、仏壇に供える和菓子を買い「気の毒だけどスーパーに寄ってくださる?」とのことで白庭台にある"kinsho"というスーパーマーケットに立ち寄った。
やはり矍鑠たるご婦人は心根がちがう! スーパーマーケットの籠を私が持とうとすると、「これはわたくしの訓練ですから…」とご自分で持たれるのだ。 さすが!と私は感心した。
何から何まで本当にありがとうございました。コロナでずっと家の中だった私には ほんとうに久しぶりの外出だった。
あれから数日すぎたけれど、お疲れになってないのかおたずねするにも この私が疲れてしまってこの記事を書くのに何日かかったのか…?
ご婦人のスケジュールは11月初めに九州の娘さんのところへ一週間、行かれるご予定。ああ、なんと11歳年上なのに…。 私は完璧にシャッポを脱いだ。