近頃 思うこと
<読後感> 一冊(遠雷とミツバチ)で、お腹いっぱいになる恩田陸 モザイク模様で編みこまれた村上春樹 それに比べて カズオ イシグロは なんと深い薄墨色の世界か
<CDを 聞き終えて> さだまさしのトークはこんなに 楽しいのに、なんでこの人の曲はこんなに寂しいのか。いや、寂しいのではなく、人の心の根源にある郷愁を刺激するのか。 これこそが、人への愛を紡ぎ出すことになるのだろう。 そして 今、まさにあらゆる音で 何かを試し、実験し 探りだし探り当てようとしている木太聡(あきら)。 同じ音の表現者として、又あくなき音の哲学を探る両者の違いは「冷徹な」までの木太聡と人の根源まで遡るさだまさしの両者は 一見、違う方向から探っているようだが、ルーツは同じなのだ。と私は思う。
文学と音楽は表現こそ違うが、同じルーツ。文学と音楽 すなわち「文化」は人の孤独を救う。
人は互いに認め合っても、同一化することは出来ない。高齢者になればなるほど、自覚した自分の文化を持つことが必要である。そのことが人の孤独を楽しみに代えるのだ。と、私は思う。
40才にして気づき、50~60才で努力し、70才以後小さな花として開き始める。80才以降は その実を子孫に伝え残す時期なのだ。と思う。 その「実」とは? 「愛」である。
私の場合、12才で気づき、60才まで流され、65才~現在まで努力のINGである。まだまだ、これからも精進するのみ!
孤独の人ではなく、孤高の人でありたい。と、私は願う。
<私の70歳> 野に放たれた 蝶のように 私は 自由になった あらゆる束縛から 解かれ 私自身の 羽で飛び回る 「和」という花粉を 身につけて 人と人、そして 人と自然の友愛を 「あ」「うん」の呼吸で 理解しあえる「絆」を結ぶため 「友愛の絆」という花を名づけるために
しかしながら、時として
良きことも悪しきことも この世では天邪鬼なり 毘沙門天
を覚悟しておかなければならないこともあるのでは、、、? と、最近 つくづく思う日々でした。