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川辺での ある風景

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「ねえ。今日はおいい天気ね。枯草が 言い匂いなんて, ひさしぶり!」 一脚の古びた椅子が、古木に声をかけました。「ご機嫌いかが?」すると、すぐそばに 立っていながら、今にも倒れそうな古木が 大きなあくびをし「ああ、気持ちのいい日だねえ。青い空が こんなに大きく広がって見えるのは 久しぶりだよね。それに、いつも音をたてて流れている川も ゆったり辺りを楽しみながら流れているようだよ。で、ミセス・チェアのご機嫌は?」「そうね。久しぶりに鼻歌でも歌ってみようかと思うくらいよ」 「ほう、鼻歌ね。どんな?」「いえ、思うだけで歌は出てこないの。フフッそれより、さっきからミューミューって聞こえるの、どこからかしらねえ。あなた 背が高いから、どこから聞こえてくるのかわからない?」と ミセス・チェアが言いました。「どれ、どれ!どこからかな~」古木は出来る限り背伸びして、辺りを見回しましたが、その声がどこから聞こえてくるのかわかりません。「どうにも、私は背が低い木ですのでねえ。その上、体が硬いものですから、辺りを見まわせなくて~。 あ! あの草むらが動いているようだよ」「え?どこ、どこなの?あ~、だんだん声が近くなって来るようだけど、、。でも、どこなのかしら?私は4本の脚はあるけれど、動かせないし、顔も振り向けないのよ。ただ、正面が見えるだけ」ミセス・チェアは残念そうに言いました。 古木が、ありったけの声で「お~い!こっちへおいで!」と草むらに声をかけました。何回かして「ああ、なんだか、こっちの方へくるようだぞ」と、ホッとしたように言いました。「そうなの?私の廻りは草が大きくて見えないわ」

人の出入りの少ない河川敷の雑草は ミセス・チェアより背が高く伸び放題。背の低い草は絨毯のように びっしりはびこっているのです。    その間の草をかき分け、ミューミューという声は次第に大きくなり、とうとうミセス・チェアの足元までやってきました。すると、いきなり「お~! ようこそ、かわいい子猫ちゃん」古木がうれしそうに言いました。そして、歓迎の枯れ葉を一枚ヒラリ!と落としました。ミセス・チェアは全身でミューミューないている子猫を椅子にのせ「ようこそ!子猫ちゃん、あなたはどこから来たの?」と聞きました。子猫は不安そうに「箱にいれられ、ここに着いたのは夜だったの」ミューミュー泣きました。「あら、そうなの?怖かったでしょう。でも、もう大丈夫。私たちがいるからね」といい「でも、お腹がすいているんじゃないかしら?」と心配しました。  すると、子猫の泣き声を聞きつけてやってきていた水鳥やカエルが「川のみずたまりなら、知ってるよ。ついておいで」と案内してくれたのです。         水だけでも飲んで子猫は安心したのか、ミセス・チェアの膝の上で うとうとし始めました。 そうしているうちに、やがて いつものミセス・チェアのおしゃべりが始まったのです。

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「私、若い頃。それはそれは 美しい学校で使われていたのよ。中学校や高校の生徒さんと一緒に、色々なお勉強をしたわ。 休み時間になると、女の子のおしゃべりの楽しかったこと。時々男の子のいたずらにも使われたけど、フフッ。そう!学園祭で美しいお姫様の女の子が座ったことも あったっけ、、。入学式や卒業式にも参加したし、先生や親ごさんの会合の場にも使われて、いろんなことも知ることができたわ。でも、その子たちは だんだん大きくなって、次々卒業していくの。うれしいんだかさみしいんだか、わからないけど、その時は 涙が止まらなかった。 何度かそれを繰り返し 何年も経つと、今度は「運動会場」に出されたわ。運動会の時は 楽しかった!応援するのに、私の膝の上に立って元気な声を張り上げていた子供達。泥だらけになった部活のシャツや帽子が 無造作に置かれて忘れられたこともあったけど、平気!へいき! 疲れた少年のお尻も しっかり受け止めたわ。あの頃は、大変だったけれどね。あ、そう、そう!途中で気分が悪くなった生徒さんも私の所で休ませてあげたっけ。 とにかく、ここに来るまで私は色々な人の少しの間の安息のお手伝いをしてきたの。 うれしかったし楽したった!」遠い日に目を輝かせながらそう言うと、ミセス・チェアはフーッと一息つくと「そう、私は 今、椅子に生まれて、本当によかったと思っているの」と静かに言いました。

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「ミセス・チェア、あなたは どうしてここにいるの?」膝で眠っていたはずの子猫が、まん丸な目で言いました。ミセス・チェアは突然の問いかけに驚いたようだけど、気を取り直して子猫に言いました。「そうねえ。いろいろな所でつかってもらって、、、そして、、、」ちょっと間があいて「使い方が分からなくなったので、私をここに置いたのだ。と思うわ」と力なく言いました。古木はどうしてミセス・チェアがここに来たのかを知っていましたが、何もいわずに黙って目をショボショボさせていました。そして言いました。「わしは 年老いたから、もう 若い芽も出せない。けれど、ミセス・チェアがここに来てくれたから、寂しくなんかない。かえって、なんだか元気が出てきたようじゃ」それを聞いたミセス・チェアがニッコリ笑って「そうね。私も 古木さんがいてくれて、お話し相手が出来て救われたわ。それに、子猫ちゃん、あなたが来てくれたので賑やかになって、うれしいわ」と子猫をやさしくなでました。

それからの日々は、蛙や水鳥の案内で 子猫はいろんな所に行き、蝶々や虫と遊び、食べ物も自分で探せるようになりました。

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 真夏の陽が照り付ける日には、ミセス・チェアは座席の部分で日陰をつくり、雨の降る日は屋根になり、小春日和には膝の上でお昼寝を、夜はベッドになって子猫を守りました。

そうしたある日、ガキンコ コキンコと 古い自転車が悲鳴をあげながら、一人のおじいさんがやってきました。そして、椅子の上の子猫ちゃんを見つけると、自転車を草の上に放り出し、ソオーッと子猫に近づきました。  怖がる子猫をにこにこしながらじっと見つめ、そして、そっと両手で抱き上げ頬ずりしました。痩せこけた頬骨と伸びたヒゲが痛かったので、子猫はミューとなきました。その様子を見ていたみんなは驚きました。歯が抜け落ちて真っ黒なおじいさんでしたが、こんな優しい目で笑う人を見たことがなかったのです。そのおじいさんは 向かい側の河川敷に ひとりぼっちでテント暮らしをしていたのです。テント暮らしは、笑うのはもちろん、話し相手もなく言葉さえも忘れていくような毎日でした。ですから、かわいい無邪気な子猫と出会い、時間を忘れてしまったかのように遊んでいました。   おじいさんにとって子猫は本当に愛するものとして、青いテントに連れて行きたくなりました。   子猫は迷いました。古木とミセス・チェアとの楽しかった毎日。 おじいさんが どんな人なのか知らないけれど、この笑顔にはかなわない。     ミセス・チェアが子猫に言いました。「私達は大丈夫。おじいさんと一緒に行っておあげなさい。そして、おじいさんの笑顔をたくさん見届けていらっしゃい」

そうして、子猫はおじいさんの腕に抱かれて、ガキンコ コキンコと金属音をならす古い自転車で連れていかれました。

 その夜は 月がとても大きく美しかったので、ミセス・チェアと古木は 向かい側のブルーシートの小さなオレンジ色の灯を 見つめていました。 しばらくして、古木はミセス・チェアの涙が光るのを見たように思いました。古木はミセス・チェアの気持ちを察し、そっと寄り添いました。   けれど、ミセス・チェアは 淋しくて泣いていたのではなかったのです。 汚れて使い物にならない椅子として、捨てられたように河川敷に一つポツンと置かれたミセス・チェア。刈り取られない河川敷の雑草は ドンドン育ちついに草に埋もれてしまったミセス・チェア。でも、すぐそばに枝葉をつけていない古木が一本。年々 枯れ木になっていくなか、唯一の友人でした。その上 仔猫が来てくれたことで、しばらくの間だったけれど、安息のお手伝いが出来、それが とってもうれしかったのです。          そして、ミセス・チェアは「こんなになっても、まだまだ 椅子として、いかようにも使えるのよ」と 胸を張っていこうと 改めて思うのでした。

                         おわり



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