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人生の振り返り(出生~小学校時代)

こんばんは。
ゆうと申します。

最近、これから先の未来に希望を見いだせないためか過去を振り返ることが多くなりましたので、せっかくの機会なんで記録として残してみようかと思い、これまでの事を振り返ってみたいと思います。

今回は『出生~小学生時代』までを書き綴ります。

私は青森県の片田舎の専業農家の長男として生まれました。
出産時は未成熟児で生まれた後も泣き声が出なく、また新生児黄疸という状態だったようで非常に危険な状態だったようです。
その後安定はしたようですが、初めから両親を心配させていたみたいでした(笑)

その後弟も生まれ、男2人兄弟(3歳下)となりました。
私が小さい頃は父が東京に出稼ぎに出ていたため、普段は母が基本的な家事とパートをしてくれていました。
田舎の農家なので決して裕福ではなかったですが、大きな不自由もなく暮らしていたと思います。
家族仲も普通って感じでしたが、父が非常に怖かったのは今でも記憶に残っています。
THE田舎のおやじって感じで口よりも手が出るタイプで常に弟と震えていたような気がします。
(家庭内暴力とかではなくあくまで教育(笑)昔の田舎ではよくある光景だったのでさほど気にしていませんでした…実際自分たちに非があったため)
余談ですが、父に記憶上最後に大きく怒られたのが、高校生の時に喫煙が見つかった時でした… あれが最後だったなー

また、私が生まれる前から実家では犬を飼っていました。
日本スピッツという犬種の雑種犬で名前をシロと言います。
私が幼いころに亡くなってしまったのであまり記憶にはないのですが私と動物との関りはここから始まったようです。

【小学生時代】
小学校も田舎の学校なので全校生徒が100人未満で私のクラスも20名弱でした。
クラス担任は、1~3年生まではK先生(女性)、4~6年生まではK先生(男性)でした。どちらもとても個性が強く、
前半の女性の先生は精神攻撃型
後半の男性の先生は物理攻撃型の先生でした。
(これも昔だから有りな教育でした…笑)

特に男性の先生は容赦なしに引っ叩くは、バットを持ってきてクラス全員に連帯責任ということでケツバットを行うような先生でした。
非常に怖かったですが、普段はとても明るく面白く生徒想いな先生で渡井の記憶上ではみんなからは好かれていたし私も大好きな先生でした。
怒られるときは決して理不尽な理由ではなく、私たちに明らかな非があるときだったし、みんなもそれを理解しておりました。
今思えばこれもいい思い出だな~と思う今日この頃です。
(今の時代なら大問題なんでしょうけどね…)

また、小学生時代での思い出としては、学業が壊滅的でスポーツもダメダメだったことですね。
一時期、通信簿で国語・算数・理科・社会という主要科目がABC評価ですべてがCだったことがあり、さすがに母親も幻滅し担任(男性)に電話し真面目に相談していたことを覚えています。
さすがの私も焦ってそれから真面目に勉強するようになって、6年生のころには主要科目でA評価がもらえるようにまでなり『人って本気になって真面目に取り組めば結果が出るんだ』ということに気づかされました。

このころから恋多き少年で、次々とクラスの女性を好きになっていたような気がします。
その中でもある好きになった子が友達と被って、お互いにそれぞれの宝物をかけてどっちが成功するかかけていたこともありました。
残念ながらどちらも玉砕という結果でしたが…笑
ちなみにこのころの恋多き少年の恋は一つたりとも成就することはありませんでした…

またこのころ、前述したシロが亡くなったということで、里親に出されていた新たな犬を迎えることとなりました。
柴犬の雑種のポロンという子です。
私にとっては一番思い入れのある子で、将来の職業にも大きく関わっていたことと思います。
とにかく!イケメンで可愛くて、最高のワンちゃんでした。
もし死後の世界がるのなら一番会いたい子です。

ちょっと長くなってしまったので、続きは別記事で書き綴りたいと思います。

ここまで読んでくださった方、駄文でまとまりがなく読みにくかったと思いますが誠にありがとうございます。

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