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【自己紹介】10年間地元で中学校の先生をしていた平凡な男(33)がルワンダに来たので、せっかくだからブログを書くことにしたって話。

こんにちは。
JICA海外協力隊として、アフリカのルワンダで活動しているTakumaです。

まずは、僕のnoteを読みに来ていただき、ありがとうございます。

本記事では、僕がどんな人間なのか皆さんに知っていただけるよう、自己紹介をしていきます。ぜひ最後まで読んでいってください(^^)
 

▶ 筆者「Takuma」の基本スペック

右「ちょっと職務質問させてもらっても良いですか?」  左「えぇっと…サンタさんです。」

まずは僕がどんな人間なのか、基本スペックをさらけ出していきます。

<名前>
Takuma
<生誕>
平成生まれが同級生にいる昭和生まれ
<出身>
北海道
<経歴>
義務教育修了後、地元の高校へ進学 → 地元の大学へ進学 → 地元の中学校で勤務 → 地元の中で転勤 → ルワンダの田舎の村にある小学校で勤務
<資格>
中学校教諭(理科)、小学校教諭、図書館司書教諭、英検準2級
<好き>
読書、散歩、映画鑑賞、もずく酢
<嫌い>
特になし
<日課>
ラジオ体操、トイレ掃除

どうですかね。
もうパッとしたところが何もない、圧倒的凡人感。
凡人の極み。
凡人 of the 凡人。
The king of the 凡人。
もうそこまで言うと逆に凡人じゃないんじゃないかって気もしますけど、本当に大した実績もなく、何とな〜くここまで生きてきてしまった感じです。

ただ、僕の人となりを知ってもらう上で「注目してほしいとしたらココ!」という部分を、あえて太字にしてみました。ここからは、その太字部分について少し深堀りしていきます。
 

* 地元を愛し、地元に愛された男

僕は物心付いた頃から、ずっと北海道の地元で生きてきました。
子どもの頃遊んでいた場所も、学生として勉学に励んだ場所も、社会人になって働き出した場所も、すべて地元。小さい頃からずっと地元に育てられてきたし、逆に僕が地元を育てたと言っても過言ではないでしょう(こういうの言いたいだけです)。
地元は良いですよね。住み慣れた場所、安心できる人間関係、安定した仕事、この先ずっと変わらない環境で生きていく…

実はそれ、僕にとってはコンプレックスでした。

もちろん、地元が嫌いになったわけではないし、上記のような良さも本当に心から素敵だなと思います。地元で生活していれば、方言や食生活などの文化の違いで戸惑うこともないし、家族や友達にも会いたい時にすぐに会えます。
中学校の先生としても、地元の地域性や卒業後の進路の情報も把握しやすいし、何なら「先生が子どもの頃は…」と、生徒に語ることができるというメリットもあります。

ただ、いつからかは分かりませんが、うっすらと「自分は外の世界を知らない、いわゆる ”井の中の蛙” なんじゃないか」と感じるようになっていました。そんな ”違和感” のようなものを感じていながら、僕は持ち前の行動力のなさで、これまでずっと「今のままでいいや」と自分に言い聞かせ、"それ" を隠しながら過ごしてきました。
しかし、あること(詳しくは後述)がきっかけで、何か「変化」がほしいと思うようになり、「地元を離れて外の世界に行く=JICA海外協力隊への挑戦」という選択をすることになったのです。

ちなみに余談ですが、昔「名探偵コナン」のアニメで「氷の上に立つように」という曲がEDに使われていました。

うわ、懐かし。
…それで、この曲の歌詞に

宇宙船が目の前に降りたら
(中略)
きっと友達だって残し
地球を旅立つの

という部分があります。
この曲を聴いていた当時は、「いや、宇宙人危険じゃん!そんなとこに乗り込んだら何されるか分からんし!身体改造されてキメラみたいになって地球の敵として地球人と戦わされるかもしれないじゃん!友達も家族も地球に残して未知の宇宙船に乗り込むとか、キチガイかっ!やっべぇな!!」と思っていました。

でも、多分今なら僕も乗り込みます。
 

* 英語を愛し、英語に愛された男

「JICA海外協力隊になったってことは、かなり英語できるの?」
これは、なかなかの頻度で聞かれる質問です。
結論としては…微妙です。
英語自体は好きだし、今よりできるようになりたいとも思っています。

初めて学校の授業で英語を習い始めた中1の時は、それはもうビビるほどできませんでした。単語テストで「Lemon」すら書けませんでした。
今だったら米津玄師の楽曲を聴く権利が剥奪されてます。

しかし、2年生に進級した途端、なぜか突然できるようになりました。原因は不明。もう英語に愛されていたとしか説明のしようがないです。
60点満点の定期テストで59点をとって悔しがるレベルでした。ちなみに「Lemon」を「Remon」とスペルミスしたことによる減点でした。
今だったら米津玄師にレモンの輪切りを目に押し当てられてます。

なぜか英語ができるようになっていた僕は、さほど勉強もしていないのに、勢い余って中2のうちに英検準2級を取得するまでに至っていました。

しかし、英語に愛されていたのはそこまででした。
中学時代の成績から、「自分はデキる」と完全に勘違いしていた僕は、高校に入ってからそのレベルの高さに恐れおののくことになります。
僕が進学した高校には、幸運なことに青い目&金髪で、まさに「外国人」というイメージ通りのネイティブスピーカーの先生が常駐していました。
その先生と英語で会話をする中、調子に乗っていた僕は、「Lemon」をあえて巻き舌で「るるるぇもん」と発音しました。カッコつけてました。
そしたら、シンプルに

「 No. 」

と言われました。
いやぁ舌が筋肉痛になるんじゃないかってくらい全力で巻き舌したのに。
とても恥ずかしかったです。
今だったら米津玄師に100%濃縮還元レモン汁を喉に流し込まれ、うがいさせられてます。

とにかく、それ以降「自分は大したことない」という、これまで世界から隠蔽されていたとしか思えない真実にたどり着き、調子に乗ることをやめて粛々と生きるようになったのでした。

ちなみに、大学生になってから、何を思ったのか久々に英検を受けようと思い立ったことがありました。その時に「準2級の次は順当にいけば2級だけど、今更2級なんて受けてもどうせチョロいだろうから、飛び級で準1級受けたるぁ!」と思って、準1級に挑戦しました。

結果、合格ラインにかすりもしないで落ちました。
 

* トイレを掃除し、トイレに掃除された男

これは、僕が今まで読んだ本の中で最も影響を受けた一冊である「夢をかなえるゾウ」に出てくるゾウの神様、”ガネーシャ” の教えに基づいています。

あ、とても面白く読みやすい本なので、まだ読んだことがない人は、ぜひ読んでみてください。この本は、2年に1冊くらいしか本を読まなかった僕が、読書を趣味と豪語するキッカケになった本の一つでもあります。ちなみに、この「夢をかなえるゾウ」シリーズは2022年現在、1〜4まで出版されています。

さて、本題に戻りますが、この ”ガネーシャの課題” の一つに「トイレを掃除する」というものがあるんです。それがなぜ大事なのか、ガネーシャは次のように語っています。

「トイレを掃除する、ちゅうことはやな、一番汚いところを掃除するちゅうことや。そんなもん誰かてやりたないやろ。けどな、人がやりたがらんことをやるからこそ、一番喜ばれるんや。(中略)好きなことをするのも大事やけどな、それと同じくらい大事なんは、人がやりたがらんことでも率先してやることや。仕事できるやつらは全員そのこと知っとるで」

「夢をかなえるゾウ」より

もうね、初めてこの本を読んだ時は衝撃を受けました。
この言葉を見たときも「んたすぃかにいぃぃー!!(訳:確かに)」と、腹式呼吸でしっかりめに息を吸ってから叫びました。
僕は、今でもこのガネーシャの言葉に2億%賛同しています。なので、もはや僕の言葉と思ってもらっても差し支えありません。
それくらい心酔しているので、僕はこの ”教え” を守って、トイレ掃除を日課として毎日意識的に行っているわけなのです。
まぁ今はどっちにしろ一人暮らしなんで、「誰もやりたがらない」というか、そもそも物理的に「自分以外やる人がいない」って話なんですけどね。


▶ "意識不明" の30年間

…え、こいつ大丈夫? キーボード押されっぱなしでPCの画面「っっっっっ」ってなってるけど。

* あなたは "意識不明" になっていませんか?

上記のように、僕はこれまで北海道の地元から外に出ることもなく、10年間そこで中学校の先生として働いてきました。
そんな中、よく友人や同僚、教え子に聞かれるのが
「なんで先生になったの?」
という質問です。

高い志をもって努力の末に教師になり、バリバリ現場で活躍して子どもたちのために尽力している。そんな人格者である先生が、世の中にはたくさんいます。僕がこれまで関わってきた先生方も、みんな本当に尊敬できる方々でした。
しかし、僕が先生になった経緯は、実はちょっと違います。

「あぁ〜憧れの学校の先生に、なりたいな。ならなくちゃ。絶対なってやる。」

みたいな、マサラタウンにさよならバイバイしたサトシくんのような熱い思いをもっていたわけではないのです。

感覚的には、「気付いたら先生になっていた」というのが一番近い気がします。僕は、高校や大学受験のときも、コレという決め手があってその進学先を選んだわけではありません。

大学は、当時「自分の偏差値でも行けそうだ」と思ったから受験したんです。
大学に入ってからも、そこがたまたま「教育学部」で、周りの友達はほぼ皆「教員採用試験を受ける」と言うから、僕も一緒に受けたんです。
試験の結果、幸いなことに採用してもらえるということになったので、そのまま先生になったんです。

もちろん、そこに至るまでに一生懸命努力はしました。先生になってからも、できる限り自己研鑽はしてきたつもりです。
それでも、「こうなりたい」という意識が先にあってから行動したのではなく、行動することになってから「こうあるべき」という意識が芽生えた感じです。

大学受験や就職に限った話ではなく、僕の人生はこんなことばかりです。
自分の本当にやりたいことも分からず、ただ流れに身を任せていたら、いつの間にか ”そう” なっていた。この状態を、僕は ”意識不明” と呼んでいます。
僕は正直、30歳頃まで ”意識不明” でした。
能動的に「選択」してきたのではなく、受動的に目の前にあるものを「指定」してきただけです。
 

* 別の味のラーメンが食べたい

「そんな無責任な状態で10年間も先生やってたのかよ!」って言われそうですが、もちろん適当に仕事していたわけではありません。先生という仕事自体は、やりがいや感動できる場面も多々あって好きだし、生徒との毎日の何気ないお喋りも楽しいです。実際、自分に向いている仕事だと、心から感じています。

しかし、その感覚が本当に正しいかは分かりません。
だって、他の仕事に就いたことがないんですから。

味噌ラーメンしか食べたことがない人は、味噌ラーメンが世界一美味しいラーメンだと思い込んでいるでしょう。でも、世の中には醤油ラーメンだって塩ラーメンだって、とんこつラーメンだってあります。それらを食べてみれば、もしかしたら「あ、やっぱ塩ラーメンの方がうまいわ」って感じるかもしれません。

これもガネーシャの教えの一つです。
僕の場合、意識不明でたまたま口にしたものが味噌ラーメン(先生という仕事)だったというだけで、別の味のラーメン(別の仕事)を食べてみれば、案外しっくり来るのかもしれません。

最初に味噌ラーメンを選んだことに後悔はありません。味噌ラーメン、好きです。でも、せっかくだったら別の味のラーメンも食べてみたい。
そのためには、自分から ”意識して” 別のラーメン屋さんに行ってみる必要がありました。
だから、今は味噌ラーメンを食べることをしばらく控え、別の味のラーメンを食べてみることに決めたのです。

僕は、別の味のラーメンを食べるために、ある日 ”意識不明” の状態から目覚めたのです(冷静に、ちょっと何言ってるか分かんなくなってきました)

では、なぜ僕は意識不明の状態から突然目覚めたのか。それは、ある「一言」がきっかけでした。


▶ 「君は、ずっと今のままで良いの?」

ヘイヘイ、標識が4つもあるのに何も書いていないじゃないか!…え、自分で書けって?

「なぜJICA海外協力隊になろうと思ったのか?」
このお題は、他の隊員の方々に話を聞いても、それぞれの人生経験や価値観に基づいた能動的な ”意識" が感じられて、本当に面白いお題の一つです。

僕の場合は、「なぜJICA海外協力隊になろうと思ったのか?」と「なぜ ”意識不明” の状態から目覚めたのか?」の答えはほぼ一致しています。
 

* 人生最大の遠出

詳しい経緯は割愛しますが、僕は30歳の時に、縁あってアフリカの「ガーナ」という国を訪れる機会に恵まれました。
僕はそれまで、そんなに積極的に海外旅行に行くタイプの人間ではありませんでしたが、「アフリカに行く機会なんてそうそうないだろう、これは人生最初で最後、人生最大の遠出だ!」と考え、思い切って行くことを決意しました。

ガーナ旅行中は、見たこともない植物や味の想像すらできない食べ物などに触れ、たくさんの刺激を受けました。また、現地で活躍されている協力隊の方々と食事に行く機会もあり、たくさんの面白い話を聞くことができました。

そして、僕はそこで一人の「シニア海外協力隊」の方に出会いました。
確か、彼はもともと中学校の理科教師で、定年退職をした後で協力隊となり、現地の子どもたちに理科を教えるためにガーナに来たのだと言っていました。
奇しくも僕と同じ中学校教師(ちなみに僕も専門は理科)。

その時はたくさんの価値ある話を聞かせていただいたのですが、それ以降は一度もお会いしていません。
連絡先も知りません。
それどころか、ぶっちゃけ名前も忘れました。
でも、この会話は覚えているんです。

彼「あ、君も中学理科の先生なんだ!」
僕「そうなんですよ。」
彼「なかなか大変な仕事だよね〜!分かるよ、俺も長年勤めてきたから!」
僕「そうなんですね。」
彼「でもアフリカで先生やるのも大変だよ〜!」
僕「そうなんですか。」
彼「うん、でも楽しいよ。本当、ガーナに来て良かったと思ってる。」
彼「ところでさ」
「君は、ずっと今のままで良いの?」
僕「…え?」

もうね、衝撃でした。
人生で初めてチーズ蒸しパンを食べた時くらいの衝撃を受けました。
チーズ蒸しパンって、なんであんなに美味しいんですかね。
高校生の時は、昼休みになった瞬間、ダッシュで購買まで買いに行ってました。
ココア味的なやつもありましたが、やっぱりノーマルの黄色いやつが好きです。

さて、この問い(チーズ蒸しパンがなんであんなに美味しいのか、じゃない方)に対し、焦り散らかして言葉につまらせた僕は、
「まぁ…良くはないッスね。」
という、なんとも歯切れの悪い答えを絞り出しました。

その後の会話はあまりよく覚えていませんが、彼はそんな慌てふためく僕の様子を見て、何も言わずに笑っていたような気がします。

こうして、僕は帰国した次の年、なんやかんや考えて、JICA海外協力隊の春募集に応募しました。そして、幸いなことに合格することができ、晴れて協力隊としてルワンダに派遣されることとなりました。
まぁこの辺りの話も、詳しく語れば「実はそれまで発展途上国の支援には全く興味なかったって話」や「この経験を先輩に話したら自分の考えと180度違う答えが返ってきたって話」もあるのですが、それはまた別の記事でお伝えします。
 

* まとめ

さて、少し長くなってしまいましたが、本記事でだいぶ僕のことについて知ってもらうことができたのではないかと思います。

人生は何がキッカケでどう転ぶか分かりません。
ほんの3〜4年前までは、まさか自分が地元を離れ、アフリカで生活することになるなんて思ってもみませんでした。

でも、そんな「変化」があるからこそ、人生は面白い。
今は心からそう感じています。

"意識不明" だった "井の中の蛙" は、ようやく井戸から這い出し、外の世界に出て "別の味のラーメン" を食べる始めることができました。
(色々詰め合わせたら、いよいよ意味不明な文章になってきました)

とにかく、ふとしたことから人生に「変化」を求め、新しいことに挑戦してみた結果、今では誰かに伝えたい、共有したいと思えることが多くなりました。
noteでブログのようなことをやってみようと思ったのも、一つの「変化」です。
これから、そんな僕の「変化」の行く末を、ちょくちょく記事にまとめていきますので、良かったらぜひ他の記事も読んでみてください。

よろしくお願いします(^^)




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