奴らの唱える「Give me money」に、どう対処すべきか。
よくある”発展途上国のイメージ”の一つに、道すがら「Give me money」と言ってくる人が多い、というものがあるのではないかと思う。
実際、ルワンダにもそのような人たちは、やはり一定数いる。
そして、そのような人々の様子を観察してみると、本当に困窮していそうな、いかにも身なりがみすぼらしい人もいれば、特段貧しい感じもしないのに、外国人を見つけたらとりあえず呪文のように「Give me money」と唱えるようプログラムされている連中もいる。
では、実際に面と向かって「Give me money」と言われたら…
どうするのが良いのだろう?
さて、この「Give me money」問題に際し、ボランティア業界では”実際に施しをすべきかどうか”という議論が、幾度となく繰り広げられてきた(と思う)※。
ということで、気を取り直して”この問い”に対する僕の回答を示したい。
問 「Give me money」にどう対応するか?
答 「アメをあげる。」
そう、僕は「Give」をすること自体は基本的に良いことだと思っているが、要求通りにmoneyをあげることは滅多にない。
その代わり、candyを惜しみなくあげるようにしている。
多分、大阪のおばちゃんよりも高頻度で他人にアメちゃんをあげている。
もはや別に「Give me money」とか言われなくても、目が合った子ども達には片っ端からアメをあげる、アメ配りおじさんと化している。
というのも、エンカウントしてすぐに「Give me money」を唱えてくる連中の中には、枕詞として「I'm hungry…」を添えた上級呪文を唱えてくる奴もいる。
「だったらお金そのものをあげるより、食べ物あげた方がいいじゃん」となるわけだ。
だから、実際アメ以外の食べ物や飲み物を分け与えることもある(僕の食べかけ/飲みかけだけど)。
また、聞くところによると、こういう子どもたちの裏には、子どもたちに「Give me money」の呪文を仕込み、その辺に解き放ってお金を集めさせてくるという汚い大人がいることもあるそうだ。
その場合、実際に「Give me money」を唱えてきた子にお金をあげても、その子の懐にそのままあげたお金が入るわけではなく、後ろに控えている汚い大人に搾取されることになってしまう。
まぁ「それはそれで良いのでは?」という意見もあるかもしれないが、とりあえず今回その議論はしないでおく。
これは僕の個人的な感覚だが、お金そのものをあげるのは何となく気が引けるものの、食べ物をあげることは割とハードルが低い。
なので、僕は普段からポケットに大量のアメを詰め込むようにしている。
僕は基本的に持ち物を少なくしたい派なのだが、外出時に必ず持ち歩く携行品の”四天王”は、
鍵
財布
スマホ
アメ
となっている。
いつか、誰も「Give me money」と言わなくても済むような世界になればいいなとは思うけど、現状この呪文をこの世から根絶することは到底できそうにない。
だけど、少しでも彼らに答えたいという気持ちを具現化しようとした結果、僕は「アメをあげる」という結論に至った。
コレを古の時代から実践し、完全にそのイメージを定着させていたなんて…
大阪のおばちゃんは、偉大だ。
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