あの冬の私
小学校低学年の頃、
冬になると二回に分けて学習発表会が行われていた。
2.4.6年が先で、その一ヶ月後くらいに1.3.5年生。
でも、1年生だった私はその制度がわからなくて。
同じ階にいる二年生は合唱や楽器の練習をしていないのに、自分たちは何もしていないのに学習発表会が迫っているということにとてもドキドキとして、「先生、私たちは練習しなくていいの?」「先生、私たちは発表しないの?」とヒヤヒヤしながら聞いたことがある。
先生は、きっと毎年こういう子供がいるのだろう。あー、はいはい。という顔をして何かを言った。なんて言われたか覚えていないけれど、その時の先生の顔ははっきり覚えている。
知ったかぶり と、 察する
を覚えたのは、きっとこの時だったと思う。
こういうことを繰り返して、きっと人は大人になっていくのだろう。覚えてないことが、多いけれど。
なんて事を思ったのは、
川上未映子 あこがれ
を読んでいる時。
本屋で「何か私に選んでおくれよ」
と同居人にお願いしたら、この本を持ってきてくれた。
表紙にはサンドイッチを持った男の子と、ジャム瓶を持った女の子とがまっすぐ此方を見ているイラスト。
あら可愛い。
買ってすぐ、読み始め。
第一章 ミス・アイスサンドイッチ
第二章 苺ジャムから苺をひけば
第一章は、小学生のぼくの話。スーパーのサンドイッチ売り場の目が印象的な女性が気になって「ミス・アイスサンドイッチ」と名付け、夏休み中通うぼく。ミス・アイスサンドイッチの絵を描いたり、寝たきりのおばあちゃんに彼女の話をしたり。とにかく気になってしょうがない。けれど、ある日彼女が売り場で客に罵られるのを聞いてしまって、クラスで彼女の悪口見たようなものを聞いたしまって、なんとなくスーパーに通えなくなってしまう。
でも、彼女のことばかり考えるぼく。
私は、この、ぼくの見る世界がすごく好きで。
昔の自分の見てた景色を思い出したりする。通学路とか、すっごく思い出した。視点がギュンとあの頃に帰った感覚。途中、ヘガティーという女の子が出てきてヘガティーにミス・アイスサンドイッチの事を話したり、家に遊びに行ったりするのだけど、言葉から生活感と懐かしい香りがしてきてとてもページをめくるのが楽しい。アルバムをめくってる時みたい。
第二章は、一方で、ヘガティーの話。
少し成長した、けれども小学生のヘガティーとぼくが出てくる。第一章でも出てくる、ヘガティーのお父さんの話。ちょっと大きくなった2人の行動力たるや...他にも第一章でチラリと出てきた登場人物が割と出てきて、成長とともに視野が広がってきたことが感じられる。また、ちょっとしたところから書かれてない何年かを感じるから、想像が捗って楽しい。捗りすぎてむしろページが進まなかった。ふふ。
あこがれ
というタイトルからあるように、ぼくとヘガティーのあこがれの話なのだけど、その対象は多くの人に当てはまるものではないのでは思う。のだけれど、対象はそうなのだけれど、きっと多くの人はこういった気持ちを通ってきたんじゃないかなぁ。少なくとも私はそうで、そして忘れていた。
忘れてたくせに、結構今の私に影響してるなぁ。なんて思ったり。
2人の物語なんだけれど、私の多くのことが自然に掘り起こされているような本だった。
心地よし。
掘り起こされるのどうの、
は、読む人によっての感覚だろうけど。
けど、それを置いといても心地の良い一冊でした。
あ、同窓会前とかに読むといいのかも。
なんて。
実家に帰る、前だとか。
前回の本屋さんのダイアナもだったけれど、優しく懐かしい、抱っこされるみたいな本でした。
面白かったー。