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「ロストケア」解説

お読みいただく前に

超名作です。ネタバレしない程度に解説したつもりですが、危険を感じられる向きは記事を読まないでください。

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で見れます。
主演女優は長澤まさみ、

主演男優は松山ケンイチです。

以下作品の下敷きというか、理解の助けになる資料を順次ご紹介してゆきます。

京都伏見介護殺人事件

2006年の事件です。犯人は、母が認知症になり世話に忙殺されるのだが行政の十分な助けは受けられませんでした。野草で食いつなぐなど努力を続けましたが、最終的に家賃も払えなくなり、京都市内をさまよった上で母を絞殺、本人も自殺を図りますが死にきれず事件になりました。裁判長が涙を浮かべながら判決(執行猶予付き)を読み上げて話題になりました。

相模原障害者施設殺傷事件

2016年の事件です。知的障害者施設に勤務していた犯人は、やがて「障害者は殺すべき」との思想を持つにいたり、退職後施設に侵入して入居者たちを次々に殺害しました。
犯人は「財政危機だから足手まといを殺さなければならない」と理由付けしており、経済クラスタの間ではその間違った現状認識が話題になりましたが、似たような経済理解をしている政治家、役人、学者、マスコミ人は現在でも大量に居るはずで、世間的にはさのみ間違っているとは言い難い。少なくとも、前述の京都伏見で犯人の生活保護を断った市役所担当者は、根底では本件の犯人と共通する経済理解をしているはずです。

東京物語

1953年の映画、監督は小津安二郎です。詳細はこちらご参照ください。

現役世代が老人にどう接するべきか、という設問で本作と共通です。「東京物語」では老夫婦が海に向かって座っています。

本作では、親の介護から開放された女性が、新しい恋人と海を背にして座っています。

天国と地獄

1963年の映画、監督は黒澤明。

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主題は階級問題です。ラストで被害者と犯人は向かい合います。

本作ではこうなります。ただし検事と犯人という組み合わせです。

楢山節考

深沢七郎の原作が2回映画化されています。ただどちらもさほど面白くない。あとの方はカンヌも取ったくらいなんですがね。
内容は姥捨山です。よほどお暇な方はご覧ください。

1961年・木下恵介監督

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1983年・今村昌平監督

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高瀬舟

1916年発表の森鴎外の小説です。

島流しにあう罪人を運ぶ高瀬舟の中で、役人が罪人から話を聞きます。

罪人は貧しい生まれでした。両親はなく、弟と二人で懸命に生活していました。しかし弟は病気になりました。ある日自宅に帰ってみると、弟は血まみれになっています。聞くと、働けなくて兄に迷惑をかけるのが嫌で剃刀で死のうと思ったと。しかし死にきれていないからとどめを刺してくれと。
兄は弟を不憫に思って剃刀を引き抜き、絶命させます。その罪で兄は島流しになります。

役人は、果たしてこれが罪なのだろうかと思います。なんだかお奉行様に聞いてみたくなります。「次第にふけてゆくおぼろ夜に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った」

とても短い作品ですので、本作鑑賞後にぜひ一度お読みください。

一家心中的価値観

今は少なくなりましたが、昔は一家心中事件が結構ありました。親が事業に失敗する。それで自殺をするのですが、一家道連れで自殺する。家族全員で車に乗って海に飛び込む。なんで小さい子供を一緒に殺さなければならないのか、私は理解できていなかったのですが、考えてみればそれが日本の伝統でした。

鎌倉時代の事件で言うと、比企能員の変、畠山重忠の乱、和田合戦、いずれも最後は負けたほうが一族集まって全員自害しています。小さい子供は親が殺したのでしょう(訂正、畠山、和田は一族集まって自害ではないですね。思い込みでした。三浦一族や平禅門の乱は一族集合しているようです。失礼しました)。それら戦いの勝者であった北条一族も、最後は新田義貞に攻められて、同じように全員自害しています。

前項の森鴎外が描いた阿部一族も、

江戸時代初期の事件ですが、一族郎党全滅しています。それが良しとされた。落語でも、

一緒に逝くのが良いこととされています。鴎外はおそらくこの演目知っていますね。「高瀬舟」に似通っている。京都伏見の事件の、夫婦バージョンとも言えます。

昔はそれくらい家族の絆が強かった。賛美するつもりはありません。逆に言えば世間様がそれくらい冷たかった。家族で結束するより他はなかった。強い結束の結果「家族の命は自分のもの、自分の命は家族のもの」という価値観になった。

軽い命

一所懸命という言葉がありまして、武士は自分の領地を守るために命を捨てる、自分の領地を保証してくれる権力にも命を捧げる、という意味です。つまりは命よりも土地のほうが重い。命が軽いというより土地が重いのです。だから自分も戦では簡単に死ぬし、その土地を一族で保持できる見込みがなくなった時には、一族集まってあっさり全員死ぬ。封建時代の人の名前からも、その価値観は伺えます。

名前はだいたい、部族名+家族名+個人名です。大+中+小です。順序は文化によってまちまちですが。
例えば「源(みなもと)」は部族名です。「足利」は家族名です。尊氏は個人名。部族名は日本では基本源平藤橘のどれかで、部族名の最後に「の」をつけます。しかし普段は「源尊氏(みなもとのたかうじ)」とは名乗らず、足利尊氏と言います。平政子(たいらのまさこ)とは名乗らず、北条政子だけになります。正式な手紙になると「平ノ」を書いたりもするようですが。

この家族名の足利、北条というのは元来は地名なんですね。武士の家族名は地名がかなり多いです。佐藤、鈴木のような地名由来ではない苗字も無論存在しますが。
お隣の韓国ではこの家族名に該当するものがない。足利、北条がない。源平藤橘の部族名で生きています。それは封建時代がないからです。封建時代があるところでは、人間存在が土地に一体化して、地名を苗字として生きて、土地を失うとなると死ぬ。自分も家族も土地の派生物になる。だから命がやたらと軽くなる。

斯波と大友

松山ケンイチが演ずるのは「斯波宗典」

長澤まさみが演ずるのは「大友秀美」

という名前です。

斯波というのは変わった苗字ですね。室町将軍の足利氏の支流が斯波氏です。斯波というのは岩手県盛岡近辺の地名だそうです。室町時代には三管領筆頭、つまり幕府を動かす立場にあった名門です。北条一族を滅亡させた新田義貞を打ち取ったのも斯波氏です。一時は三か国の守護大名でした。その後縮小して尾張一国の守護になっていましたが、最後には新興勢力の織田信長に追放されます。だから斯波宗典は古い封建勢力の象徴とも言えます。

対して大友氏は九州で勢力を拡大しまして、大友宗麟はキリシタン大名になりました。つまり大友秀美は外部の価値観を導入した日本の象徴とも言えます。新しい価値観を導入すると、古い価値観は必然的に打ち捨てられる運命にあります。劇中ではそれが、彼女の父親として表現されています。

斯波と大友は対立しますが、最後には認め合います。彼らが直面していたのは、貧富、新旧の壁を越えた、人類普遍の苦しみでした。

二人の演技は、絶賛に値します。最近の日本映画は脚本もカメラも演出も優れていますが、俳優陣が特に素晴らしいですね。知的な、抑制の効いた、しかし劇の内容を十全に表現出来ている素晴らしい仕事ですので、是非ご覧ください。


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