「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」あらすじ解説【セルジオ・レオーネ】
1984年の映画です。難解です。わけがわかりません。難解な作品はたいてい、難解にしなければならない事情があるものです。
あらすじ Ver.1
無茶な強盗を計画している友人の命を救うために、主人公ヌードルスは警察にタレコミます。
苦渋の決断でした。しかし救えませんでした。友人は死にます。35年後、主人公ヌードルスはその友人が、別名で生きているのを知ります。政府高官になっていました。別人になりすまして出世していたのです。
無常の35年でした。虚しい人生でした。(あらすじ Ver.1 終)
主人公ヌードルスは友人を善意から裏切ります。裏切って警察に犯罪計画を密告します。当然罪の意識にさいなまれます。その上密告しても友人は助けられませんでした。三人組のチームでしたが、三人共死にます。
罪の意識が加算されます。打ちひしがれてその後の人生を生きます。ところがどっこい、実は筆頭格の手の込んだだましだったのです。三人のうち筆頭格だけ生きていたのです。とんでもなく卑劣な人間です。四人チームで、二人は死に、一人は罪の意識背負って生きて、一人だけ出世する。エグいですね。
あらすじ Ver.2
幼年時代
ヌードルスはちびっこギャングです。偶然知り合ったマックスと友達になります。ある日仲間を殺され、反射的に敵を刺殺してしまいます。
刑務所に入ります。
青年時代
出所したヌードルスは、マックスたち仲間に迎え入れられます。ユダヤ・マフィアの皆で仲良く犯罪活動です。しかし禁酒法が廃止になるというニュースが流れてきます。禁酒法が資金源でした。このままでは終わりです。マックスは悩みすぎて、連銀襲撃を計画します。無茶苦茶です。ヌードルスは止めますが、聞きません。自分以外の三人射殺が必至な状況です。マックスの愛人とも相談して、仲間を裏切る密告を実行します。数年刑務所のほうが、全員射殺よりマシです。警察に電話します。しかし仲間三人は結局戦って死にます。二人の死体の顔は判別できましたが、マックスの死体は焼け焦げていました。
マックスの計画も、ヌードルスの計画も失敗です。
精神的ダメージを受けたヌードルスがアヘン窟でラリっていますと、魔の手が忍び寄ります。殺し屋が、まずヌードルスの恋人を殺し、
カタギの友人を吊し上げ、アヘン窟併設の中国劇場まで来ます。
間一髪で逃げて、仲間との共同資金を入手して逃げようとします。しかし金は誰かが持ち出した後でした。札束の代わりに新聞紙が詰まっています。仕方なくお金なしでデトロイトに逃げます。
老人時代
35年が経ちました。変な手紙を受け取ったヌードルス、自分を付け狙っているやつが居ると感じて、ニューヨークに戻ってきます。マックスたちの墓は移葬されて、立派になっていました。カギが置いてありました。ピンときて例の共同資金のロッカーを開けると金が入っています。
その後過去に縁の有った女性達を訪問して、マックスは生きている、ベイリー商務長官として出世して活動していることがわかりました。ベイリー商務長官からパーティーの招待状が来ます。出席するとはたしてベイリー長官はマックスでした。
マックスは俺を殺せと言います。お前を騙していたと。実はマックス=ベイリー商務長官は、スキャンダルでテレビを賑わしていました。ヤバい金の流用があったらしく、口封じで周りの人が次々に暗殺されています。マックス自身が暗殺されるのも時間の問題です。だったらヌードルスに殺してほしいと。ヌードルスは断ります。屋敷を出ると、止まっていたゴミ収集車が動き出して夜の闇に消えます。
入れ代わりにパーティー中の若者たちのクラシックカーがやってきて、反対方向に消えてゆきます。
ヌードルスの時代は終わりました。一つの時代が終わりました。(あらすじ Ver.2 終)
長々と書きましたが、これでも要領よく書いています。なんせ3時間49分の映画です。物凄く長いのです。タルコフスキーやアンゲロプロスのように、長いけど内容希薄、とかではありません。長い上に内容充実です。ですのでVer.2の長さでも不十分です。Ver.3も必要なのです。
あらすじ Ver.3
幼年時代
ニューヨークのユダヤ人の子どもヌードルスは、両親が貧しく、グレて悪いことばかりやっています。
仲間とつるんで小銭かせぎです。ある日知り合ったマックスと友達になります。
マックスとヌードルスは協力して警官を脅迫して、
酒の密売で利益を上げます。
なにしろ禁酒法時代です。酒は金になります。儲けすぎて商売敵のバグジーに襲われて、仲間の一人が射殺されます。
ヌードルスは報復にバグジーを刺殺、刑務所に入ります。
青年時代
出所したヌードルスは、マックスたちに迎え入れられます。酒の密売で大成功していました。
マックスたちはイタリアマフィアと組んだり、政治家と組んだりして勢力を拡大してゆきます。ところが禁酒法が廃止になります。マックス一家は飯の食い上げです。もうおしまいです。
進退極まったマックス、無茶な計画を立案します。なんと連銀襲撃です。連銀、すなわちFRB、アメリカの中央銀行、日本で言えば日銀です。ノーベル経済学賞もらったパーナンキさんのお仕事は連銀総裁でしたね。銀行中の銀行です。逆に言えばそこに強盗すれば、銀行強盗中の銀行強盗、ワル中のワルになります。よいのかわるいのか分かりませんが、とにかく凄い、無茶なことです。
なんぼなんでも無理筋なのでヌードルスは止めようとしますが、マックスは怒り狂って聞きません。
実行すれば普通に全員射殺されます。ヌードルスは悩んだ末に、苦渋の決断をします。電話で警察にタレコミます。数年懲役くらっても、射殺されるよりはマシだろう。しかしタレコミむなしく、仲間たちは死にます。マックスに至っては火災で燃えて黒焦げ死体で発見です。
流石に虚脱してアヘン窟でラリってしまうヌードルスですが、魔の手が忍び寄ります。
恋人のイブが射殺され、カタギの友人のファットモーが拷問受けます。敵はだれなのか不明ですが、とにかくヌードルスを探して殺そうとしています。ヌードルスはアヘン窟から脱出、ファットモーを救って、仲間の共同資金を回収して逃げようとします。
しかしロッカーの鞄の中はカラでした。共同資金はだれかが手を付けていたようです。やむなくヌードルスは金を持たずにデトロイトに逃げます。
老人時代
35年後、ヌードルスは(マックスたちの)墓地改修の案内を二度受け取ります。一度目はユダヤ教会からのものです。では二度目は? 謎です。ヌードルスは脅迫と受け止めます。どこに隠れても駄目だぞと。居場所は分かっているぞ。では脅迫しているのはいったい誰か。謎に思ったヌードルスは、久しぶりにニューヨークに戻ります。マックスたち三人の墓地は、不自然なほどに立派な墓場に移葬されていました。
しかもその墓地を立てたのは、ヌードルスということになっていました。もちろんそんな事はしていません。まるでわけがわかりません。
とりあえずカギが置いてあったので、持ち帰って例のロッカーを開けてみると、今度は鞄の中に札束が入っています。札束の帯には「次の仕事の前払い」と書いています。ますますわけがわかりません。
ヌードルスは昔マックスの恋人だったキャロルを訪問します。連銀襲撃の前にヌードルスにタレコミを勧めたのは、キャロルでした。二人は反目していましたが、マックスを助けるために一時的に協力していたのです。「ベイリー基金」によって作られた老人ホームにキャロルは居ました。
キャロルは思い出話を語ります。連銀襲撃の時、マックスはやけになって自分から発砲したのだ。だから殺された。マックスの父が精神病を患って死んだから、自分もそうなることを彼は恐れていたのだ。
キャロルの老人ホームを作ったベイリーは、アメリカの商務長官です。政治家です。しかし今現在スキャンダルにまみれて、非常に危機的な状況でした。テレビでもしきりに報道しています。
そしてヌードルスは、ベイリー長官からパーティーの招待状を受け取ります。なんの面識もないのにです。墓地改修の案内同様、謎めいた状況です。
ヌードルスは次に昔の自分の恋人のデボラを訪問します。デボラは女優として成功するためにヌードルスと別れてハリウッドにゆきました。そして本当に成功していました。ベイリー基金の老人ホームの記念写真には、デボラが映っていました。デボラはベイリー商務長官と関係がありそうです。
デボラはニューヨークでクレオパトラの公演をしていました。
楽屋に行って問い詰めると、ベイリー商務長官と同棲していることを認めます。そして楽屋の外に出て驚きます。ベイリー商務長官の息子が居ます。若い頃のマックスと同じ顔です。
つまり、ベイリー商務長官=マックスなのです。マックスは生きていたのです。生きてデボラに子どもを産ませていたのです。どうもヌードルスは完全に騙されていたようです。35年前の連銀襲撃事件はなんだったのでしょうか。マックスはベイリー長官のパーティーにゆきます。
ベイリー邸に入ります。はたしてベイリー商務長官はマックスでした。マックスはヌードルスにピストルを渡し、俺を撃てと言います。
ロッカーの金は俺の殺害報酬だ。35年前お前をだまして、お前の金と女を奪った。復讐しろ。どうせ(汚職絡みで)組織に口封じのために殺される。だったらお前に殺されたい。しかしヌードルスは乗りません。
「長官、俺の話はもっと単純だ。親友が居た。いい友情だった。ただ二人とも不運だった」
ヌードルスが屋敷の外に出ると、ゴミ収集車が停車しています。
ゴミ収集車がエンジンをかけると、マックスらしき人物が屋敷から出てきます。
やがてゴミ収集車が動きだすと、人物は消えます。屋敷に戻ったのか、車に乗り込んだのか、ゴミとして投げ入れられたのか、判然としません。
ゴミ収集車のバックライトが暗闇に消えかかると、いつのまにか別の車のヘッドライトに入れ替わっています。
若者たちの乗るクラシックカーでした。
先程マックスの息子がクラシックカーで楽しそうにしていましたから、それかもしれませんし、そうでないかもしれません。楽しそうな若者を乗せた車がゴミ収集車と逆方向に消えます。一人佇み、無常を感じるヌードルスです。
(あらすじ Ver.3 終)
やっとあらすじ終わりました。読んでいただいた方、お疲れ様でした。ここで残念なお知らせがあります。実際の映画では、時系列がグチャグチャなのです。こんな風に説明いたしましたが、
実際に映画を見るとこうなっています。
普通はわけがわからなくなります。時系列整理してもやはり難解なのですが。
三度目の不正直
ベイリー商務長官=マックス、というのがこの映画のタネ明かしですが、それでも謎は残ります。そもそも大手間かけてヌードルスを呼び寄せる必要はありません。マックスが勝手に自殺すればいいのです。でもマックスは、
1、ヌードルスの居場所を突き止める
2、ユダヤ教会からのあやしげな案内書を送る
3、マックス(と仲間二人)の立派な墓地を作っておいて、墓地をヌードルスが立てたかのようなプレートを設置、プレートにはあやしげなカギが引っ掛けてある
4、カギで昔のロッカーを開けると大金の入ったトランク、次の仕事の報酬前払いと書いてある
5、ベイリー基金の老人ホームには、わざわざ女優として成功したデボラの写真が掲げてある。入所しているキャロルは、(作中デボラという名前を口にするくらいだから、必ず知っているのに)その女優を知らないと言いはる
6、なぜかヌードルスの元にベイリー商務長官のパーティーの案内書が届く。
7、デボラはパーティーにはゆくなというが、なぜかタイミングよく楽屋にベイリー商務長官の息子も来る。息子はマックスそっくり。
と、ヌードルスを自分の部屋におびき出すための仕掛けを大量に施します。手間のかけすぎです。
マックスは元来、死んだフリが得意技です。作中で2回実行しています。
1回めは密造酒輸送の際、河に落ちてわざと浮かび上がって来ません。ヌードルスは友情から慌てます。実はちゃっかり舟に上がっています。
2回めは連銀襲撃事件です。真っ黒焦げなので顔はわかりませんが、仲間の顔は十分わかりましたので、普通はマックスだと思います。しかし替え玉を使っていて、本人は生きていました。警察とグルの大狂言でした。
ですから今回も同じことを仕組みました。マックス=ベイリー商務長官は、スキャンダルの口封じのために命を狙われています。
暗殺から逃れるための確実な方法は、先んじて暗殺されることです。ヌードルスに暗殺してもらえれば、そのニュースが流れれば、もうマックス=ベイリー商務長官は安全です。別の名前で人生を再開できます。もっとも本当に死んでしまったら無理ですが、この時マックスがヌードルスに渡した銃は、マックス自身が用意したものです。どんな仕掛けがあるかわかったものじゃありません。
というマックスの意図を流石にヌードルスは察しましたので、暗殺の依頼を断ります。「無罪を祈っている。生涯の努力が無にならないように」
言い換えれば「おい、また死んだフリして別人になるんじゃないぞ」です。
マックスは卑劣です。しかし本作は、マックスの卑劣さを言い立てる映画ではありません。
フロント企業
ヌードルスもマックスも、ユダヤマフィアです。途中でイタリアマフィアと知り合いになります。フランキーと、ジョーです。フランキーが、
ジョーを紹介します。
ジョーは「宝石店勤務の保険屋の女房」の話をします。キャロルのことです。
ジョーの勧めで宝石店でダイヤ強盗をしたのち、マックスたちはジョーたちを射殺します。
それがフランキーの命令だったからです。マックスもフランキーに逆らえないのです。フランキーも非情な男ですね。
宝石店の女キャロルはのちに保険屋と別れて、マックスの愛人になります。愛人になると部屋に玉座をこしらえて、マックスをおだてあげます。ヌードルスは反発します。
のちに連銀襲撃計画を聞いたキャロルはヌードルスに、(互いのことが嫌いだが)ここは協力してマックスを助けようと持ちかけます。
ヌードルスにタレコミをさせたのはキャロルなのです。そのキャロルはジョーの知人、つまりフランキー人脈です。イタリアマフィア人脈です。イタリアマフィアが、ユダヤマフィアのマックスを玉座に据えるのです。
労働組合がらみの事件で、マックス、ヌードルスと政治家がいっしょになった時、禁酒法撤廃以降の大きな戦略を立てようとするマックスに反発して、ヌードルスは部屋を出てゆきます。まずいと思ったマックスは後を追いかけるのですが、
そのビルにすれちがいでフランキーが来ます。
ここでのフランキー登場が、本作理解最大のポイントになります。
マックスがマフィアビジネスを拡大したいと考え、それをキャロルがおだてあげていたのは、フランキーの意志が背景にあります。しかしヌードルスがガンです。ビジネスに無理解で手に負えません。といって戦闘力は最も高い。やっかいな存在です。ですから連銀襲撃事件を演出して、他二名もろとも切り捨てにかかった。他二名は気の毒ですが、かなりのバカキャラとして描写されています(ケーキ辛抱たまらん事件、赤ちゃん番号メモ紛失事件等々)。切り捨てても損害ナシです。
となると、冒頭の連中の出自が明らかになります。映画冒頭まずヌードルスの愛人のイブが殺されます。
殺し屋はヌードルスの居場所を探っています。続けてファット・モーが吊るし上げられます。
中国劇場(アヘン窟併設)に居るはず、と聞き出します。この連中は、フランキーの手下、イタリアマフィアなのです。
殺し屋が中国劇場で女性の乳房を銃で弄ぶシーンがありますが、これは連中がスケベ=イタリア系ということの暗示です。
となると老年時代の現在、マックス=ベイリー商務長官を暗殺しようとしている連中も、イタリアマフィアのはずです。マックス=ベイリー商務長官は、成り上がったというより、イタリアマフィア&ユダヤ政治家&労働組合などの連合の中で、神輿として担ぎ上げられているだけ、ただのフロント企業なのです。マックスは卑劣ですが、可哀想な部分もあるのです。
歴史家セルジオ・レオーネ
セルジオ・レオーネ監督は基本的に、歴史的な物語を作ります。「ウェスタン(原題Once Upon a Time in the West)」はラス・ベガス創生史ですし、
「続荒野の用心棒」は南北戦争を描写しています。
黒澤の「用心棒」に触発されて西部劇を作り始めたのですが、それ以前は「ロード島の要塞」などの古代史劇ものを手がけていました。
本作も「ワンス・アポン・ア・タイム」、つまり、「むかしむかしのことじゃった」、アメリカの昔話です。歴史的な物語です。
映画の冒頭はイブが射殺されるシーンです。バックに小さく音楽が流れています。「God Bless America」という曲です。愛国歌です。
非常に音量小さく、聞き取りづらいのですが。有名な歌唱はこちらです。
この曲は映画の最後あたり、ゴミ収集車がゆきすぎて、反対方向から若者たちのクラシックカーが来る時にも流れます。こちらは大きめの音量です。
同じ曲が最初と、ほぼ最後に流れる。この曲はベトナム戦争を描いた映画「ディア・ハンター(1978)」の最後に印象的に歌われる曲でして、
アメリカの愛国精神を高揚させる歌です。この歌で第二次世界大戦も、朝鮮戦争も、そしてベトナム戦争も戦いました。そして禁酒法廃止の1933年から35年後の1968年、映画の最終的な時間は、ベトナム戦争まっさかりの時期です。1968年1月に「テト攻勢」が行われます。北ベトナムの反撃で、全戦役の天王山でした。ここからアメリカ軍の転落がはじまります。マックス=ベイリー商務長官のように。
レオーネ監督の意図を汲み取れば、以下のようになります。禁酒法廃止からアメリカはアンダーグラウンド勢力が結集して、神輿を商務長官にするまでになった。本来の自分達でない、でっち上げられたエゴにのっとられた。そのエゴが太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争を戦った。間違っている。アメリカは本来のエゴに立ち返るべきだ。
ヌードルスは中国劇場併設のアヘン窟に浸ります。しかし、中国劇場と言いながらちょっと変なのです。
演じられているのは京劇ではなく影絵、ガムランの伴奏もついています。つまり、インドネシアの番組です。ということは、中国でもなく、インドネシアでもないアジアを表現したかったのだと思われます。つまり日本、朝鮮、ベトナムです。
嘘の嘘はまこと
ラストで、ゴミ収集者と若者たちのクラシックカーが通り過ぎたあと、付け足しのように時間は青年時代に戻ります。
ヌードルスはアヘン窟にたどり着き、アヘンを吸い始めます。苦しそうな表情でしたが、やがて薬が効いて、ニンマリ笑います。
これが映画のラストです。大量の議論を呼んだラストです。
このあともう少しすれば、イタリアマフィアが恋人イブを殺しに来ます。それは映画の冒頭です。この映画は「豊饒の海」のごとくループ時間になっているのです。だとするならば、アヘン窟以降の時系列イベントは全て、ヌードルスのアヘンによる夢の可能性も出てきます。その解釈を採用するなら、マックスは生きておらず、ヌードルはだまされていないとなります。解釈により虚実がくるりと入れ替わります。本作は虚実皮膜の間にある作品なのです。
前述のように冒頭のイブ暗殺シーンには、小さく「God Bless America」が流れているのですが、じつはこの曲、イブ暗殺の1933年の時点では誰も知らない曲です。作曲は1918年ですが、一般に知られるようになったのは1938年以降です。主人公の恋人の死さえも虚実不確かなのです。冒頭からしてそうですから、以降全編に渡って虚実不確かなのです。ラスト直前のゴミ収集車とクラシックカーもそうです。
ゴミ収集車の近くに来たのは、マックスなのか、そうじゃないのか。どこに消えたのか。
クラシックカーに乗っているのは今現在のマックスの息子なのか、あるいは(1968年から見た)過去の青春の亡霊なのか。
本作はわかりにくい作品というよりも、わかりにくく作っている作品、虚実入り乱れるように作っている作品なのです。そのことはわざわざワンシーン使って説明されています。
作中、マックス一味は警官を脅すために赤ちゃん入れ替え犯罪を実行します。首の番号票を入れ替え、言うことを聞かなければ正しい番号を教えない、と脅迫するのですが、じつは番号を書いた紙を紛失してしまっています。もう誰が誰だかわかりません。因果応報マックス自身ものちに入れ替わることになり、物語の真偽も入れ替わってなにがなんだかわけがわからなくなります。その真偽の不確かさは、「アメリカ自身」という言葉にも反映されます。もうアメリカは、どれが本当の自分かわけがわからなくなっているのではないか。鑑賞者は映画のわけのわからなさに多少のストレスを感じますが、ストレスを感じる観客が多いほど、レオーネの戦略は成功していると言えます。
本作はユダヤ人を悪者にします。その映画をユダヤの牙城のハリウッドで製作します。タブーに触れるのです。だから時系列倒置にしたのでしょう。安全のためにわかりにくくしている。他の時系列倒置の難解な映画も、たとえば「市民ケーン」は、資本によるマスコミ支配というタブーに触れますし、
たとえば「ゴッドファーザー2」もアメリカの原爆投下の非人道性を告発します。
いやもしかして、レオーネは本当に触れてはならないタブーに触れたのかもしれません。レオーネ監督は心臓マヒで急死します。結局本作が遺作になりました。なにか悪いことを想像したくなります。一服盛られたのではないか。そしてレオーネ本人は、いかにも心臓マヒで死にそうな肥満体型なのです。一服盛られなくても心臓マヒしそうなのです。ああどこまでも、虚実の入り乱れることです。
余談
時系列倒置作品を調べたくて本作読み解いてみましたが、この程度の解釈でもえらく手間がかかりました。大作でした。赤ちゃん入れ替えのシーンでは、ロッシーニに乗ってロッシーニオペラ的演出を上手にやっています。たいした力量です。
ロッシーニオペラのサンプルとして
どうぞ。演目はシンデレラです。日本語字幕はありませんが所詮シンデレラなので、筋はわかります。フォンシュターデは可愛いですし、演出とカメラはべらぼうに上手いです。レオーネ監督、おそらくこのビデオ見ています。
レオーネ監督本来の作風は、非常にハイレベルな絵作りと美術でして、とんがっていない庵野秀明とご理解いただきたいのですが、本作は演出密度を追求したあまり絵の完成度は少し落ちています。加えて頻発するカメラ移動がややスムーズさに欠けており、画面そのものはレオーネにしてはあまり心地よくありません。でも音楽が効果的ですね。
印象的な笛を吹いているのはザンフィルというパンフルートの名人です。
ツィター一台で映画一本まるまる持たせたアントン・カラス
同じくギター一台で名を馳せたナルシス・イエペス
そういう系譜ですね。別にパンフルート一本というわけではありませんが。
「グレートギャツビー」的な禁酒法時代の贅沢シーンもあります。
マックスの正体不明さは、「闇の奥」クルツと相通じます。マックスは松枝清顕のごとく生まれ変わります。
最初の大儲けは(ライン河ではないですが)川、
そしてなにか困れば水辺にゆくか、あるいは水の中に突っ込みます。
加えて連銀襲撃計画です。通貨発行権奪取です。つまり本作は「ニーベルングの指環作品群」として構想はされていたはずです。
(追記・書いた後で気づきましたが、1933年はルーズベルトが大統領になり、FRBが金本位制を離脱した年だったようです。でしたらよりいっそうニーベルングですね)
レオーネ監督当初の予定通り、3時間×2本の構成になったら、より主旨がはっきりしたと思います。もっとも長すぎて見終われるかどうか私には自信がありません。編集の過程で「ニーベルングの指環」から離れていると思いますので、私の判断では作品群に編入はいたしません。それでも三島「豊饒の海」には非常に似ていると思います。読んで参考にした可能性は、7割くらいはあると思います。もともと黒澤映画に触発された人ですから。
時系列倒置の研究は稿を改めて論じます。
本作の時系列倒置の分析です。