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「暗夜行路」解読7・追記2【志賀直哉】

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表作成

作品解析には「登場人物一覧表」と「章立て表」が重要です。「登場人物一覧表」は雑に作りました。細かいいくつもの発見はありました。

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「由とお由」は表を作らないとわからなかった。最初の「由」の出番が小さすぎて普通覚えられない。でもそこがわからないと、「アルマとサモア」も意味がわからず、夢の中の祭りもわからない。不親切にもほどがある小説構成です。

「章立て表」はこの作品に限り、まずA3で4枚作りました。一部=1枚です。

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これを4枚作って、それを1枚にまとめました。

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それをさらにまとめて、

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さらに簡略化したのが最初の表です。説明するときには簡略化したものから使ってゆきます。コロナで少々暇なので、スピーディーに作業すすみました。
本文2回読むのに1ヶ月弱、
表を作るのに1ヶ月強
それを解釈するのに1ヶ月、だいたい三ヶ月仕事でした。知的な解析作業とは言えませんが、こういうヒモづけ大量にしてあり、かつ説明の親切さが極端に薄い作品は、昭和的肉体労働でつぶしてゆくしかないだろうと思います。80年前の作品で、「日本文学史有数の作品」と言われながらちゃんと理解されていなかったのはそのせいです。最重要ポイントの「竜岡=謙作父」と「時任=時間物語」の二点を把握できないと、ただの陰気な作品となります。関連作品の「ファウスト」も「坊っちゃん」も「斜陽」も「東京物語」も「君の名は。」も解析は終わっていますので、その意味では順調でした。

作品内作品

作中登場する作品、列挙します。あらすじしか押さえていませんが、調べたい向きはどうぞ。

「盛綱陣屋」(兄弟愛)
「夏の夜の夢」シェイクスピア:(ワルプルギス系)
「冥途の飛脚」近松門左衛門:(経済系)
「本朝二十不孝」井原西鶴:(経済系)
「から騒ぎ」シェイクスピア:(浮気系)
「心中天の網島」近松門左衛門:(浮気系)
「魔王」作詞ゲーテ、作曲シューベルト:(怪奇系)
「タンタジイルの死」メーテルリンク:(これのみ不明)

解説本

本稿作成のために解説本を読みました。解説の論評です。

蓮實重彦「「私小説」を読む」より、「廃棄される偶数、志賀直哉『暗夜行路』を読む」
いつもながらの抽象論ですが、悪い論評ではありません。視点としては良いですね。「偶数」というのは「同時に提示される対句」くらいの意味で、対句を取るのは基本だからです。しかしそれでも小説の内容を読み取る努力が大幅に不足しています。ほぼ読めていない。だから読み終えても「暗夜行路」は何一つ明快になっていません。むしろ若干複雑になっている。典型的な文学系解説です。それでも「もっと読めるはずだ」という態度を持っているのは素晴らしいです。読みが不十分との自覚があります。


宮越勉「暗夜行路の交響世界」

かなりがっつり読もうという姿勢があります。好感が持てます。しかし包括的に見ようとしていません。細かい発見すると、そこに集中して細かい理屈やら図やらを製作してこねくります。だったらまず全体の章立て表と人物一覧表作成してからやるべきです。A1で謙作が後ろ手に縛られることと、A2で犯罪者が海老責めされることが対応している、という発見は秀逸です。でもそこから発展できない。全体から捉えようとしていないからです。その犯罪者が「竹取の翁」とは読めていません。
また「足が遠ざかる夢」を「性欲からの開放」と解釈しています。しかし本文読むと、足は最終的に謙作から離れてはいないのです。矛盾します。自分でも納得していないはずです。だったら解釈を考え直すべきです。「オロチとの戦い」と読めていないのです。

悪く書きましたが、これら2冊は読んで損はありません。

鎌倉武士

志賀直哉の妹は実吉敏郎という海軍軍人と結婚しました。実吉敏郎の弟が実吉捷郎です。

実吉捷郎がマンの構成理解力が高かったのもよくわかります。志賀は相馬藩家老の孫ですが、実吉捷郎は薩摩藩藩士の孫です。
相馬藩も薩摩藩も、鎌倉時代から幕末まで存続した数少ない藩でして、いわば武士中の武士たちです。立場は官軍と賊軍で違いますが。実は明治後両藩は交流のようなものをしています。

西郷は渋沢の議論にあっさり敗れるのですが、論破した渋沢がその態度に西郷ファンになります。
実は志賀直哉の祖父が二宮尊徳の高弟ですので、西郷さんに頼みに行ったのは志賀のお祖父さんだったのかもしれません。いずれにせよ(作者も書いている通り)「暗夜行路」の祖父とはえらく違う立派なお祖父さんです。祖父の考え方の半分が尊徳から教わったものと考えると、「暗夜行路」は単純計算で八分の一が二宮金次郎由来の作品です。一部分「経世家」の書いた小説、とも言えます。そういうところは素晴らしいのですが、なんぼなんでも愛想がないので一般読者には理解しづらい。

幕臣だったか誰だったか、「商売人たちが会話しているのを聞くと品の良い言葉遣いで、自分たちの乱暴な言葉が恥ずかしくなる」というのをどこかで読んだことがあります。武士は言葉を惜しむのです。だから親切な言語習慣そのものが欠落している。話さないというより話せない。西郷さんも放っておくとなにも話さない人ですが、志賀も作家のくせにそうです。だからすべての要素は表面的に読めばバラバラで、関連なさげなエピソードばかりになります。たとえ内部で緻密に紐付けされていても、エピソード同士が無関係に感じられるのです。おそらく懇切丁寧に流れをつなげることに抵抗感があった。そっけなく話さなければならないノルマのようなものが島津、相馬という最も濃い武家たちにはあったのでしょう。

他の武士系の作家というと、幸田露伴は幕臣ですが茶坊主の家系ですので少し饒舌さがありますね。正岡子規は志賀と雰囲気似ていますが、志賀よりは少し騒々しいです。鴎外は御殿医の家系ですから厳密には武士ではなく、漱石も名主なので侍ではありません。彼らより家庭文化としてストイックなのが志賀です。三島も永井玄蕃の末裔ですが、流石に年代離れすぎていてその雰囲気ありませんが、刃物振り回したのはなんか遺伝子残っていたのかもしれませんね。しかし鎌倉武士特有の身も蓋もないところは三島にありません。子規に少しあり、志賀に多くあります。

志賀の母は、作品通りで伊勢亀山の藩士の家系ですが、同じ伊勢の松坂の商人の家系の出が小津安二郎です。小津が志賀を大変尊敬していたのは、伊勢の文化の共通性もあったと思います。小津は「暗夜行路」の後半をまとめて読んで衝撃を受けています。地味な話なんですが、確かに小津映画よりは若干派手かもしれません。江戸時代、小津家から出たのが本居宣長ですから、小津は国学の教養は習わずとも持っています。アマテラス・スサノオ話ということは(下手をすると作者以上に)直感的に把握できたと思われます。だから衝撃を受けるほど理解できた。

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小津はやがて「暗夜行路」作中の「時間物語」を取り出して尾道を使った「東京物語」を作り、「東京物語」はさらに尾道を舞台にした大林宣彦の「時をかける少女」や「転校生」として受け継がれ、「時をかける少女」の時間物語と、「転校生」の入れ替え物語が最近の「君の名は。」の直接の親となります。物語の物語が連綿と続きます。

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豊かですね。私たちは豊穣な文化を持っていると思います。今ネットで「君の名は。 海外の反応」と検索すれば、すぐ記事が出てきます。後継作品ですから、本居宣長も、漱石、志賀、小津、太宰たちも、どこかでその記事を読んでいるんじゃないかという気がしています。子孫の作品の世界での評価が気になって、偉そうな顔して、実は内心ハラハラ、ドキドキ、しながら読んでいるんじゃないかと思います。

(「暗夜行路」解読・終)


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