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壁にぶち当たって心がしんどい時ときに見返す用

※サムネは何も関係ありません。壁にぶち当たった時用のお酒ではありません。

「これどうすりゃいいんだよ…」と思えるほど難解かつ高い壁が出てきた経験、皆さんもあるのではないでしょうか。

聞いたことあるのが、壁は乗り換えられる高さの壁しか現れない。そして壁に見えるそれは大きな段差、だそうです。
なぜなら壁の高さはその人が属する社会的立場や環境によって相対的に変動するからだそうです。
例えば日本のトップである首相が責任持って解決すべき課題が、一個人である私に舞い降りてくることはまずない、と言ったところでしょうか。

つまり今所属しているコミュニティで発生しうる壁しか存在しなく、それを乗り越えた先で気づくのは、(大小異なるが)またもや壁に見える段差が目の前に存在するということだけなのではないか。

人生とは階段を登り続ける、この世を生きるための本質はこの一言に集約されるのかもしれない。

とは言え、壁にぶち当たった瞬間は心がしんどい。ましてや気分るんるんで歩いているときに突然壁にぶつかったときは頭がカチ割れた気分にすらなるかもしれない。あくまで比喩だけど。そのくらい心だけでなく全身で痛みを感じる時もある。

私もここ数ヶ月公使ともにしんどいなあと思う時が最近あるのだが、そんな時にこんなショート動画を見つけた。
https://youtube.com/shorts/NEpUlE2FMTQ?feature=share


「面白くなってきたんじゃないかあああああ!?!?」


急な大声につい笑ってしまったのだが、試しに呟いてみた。

いい。大声でもう一度唱えてみた。

「面白くなってきたんじゃないかあああああ!?!?」

体が熱くなる。手元が動く。

我ながら何を書いているんだろうと思うが、ぜひ皆さんも試していただきたい。
言葉として発することで声が脳内に反芻し、「今は面白い状況」だと本当に脳みそが騙されているのかもしれないと感じるほどである。

自身にとって課題が見つかる状況とは人から指摘されたり、できないことを自覚する瞬間であり、それは理想と現実のギャップに凹みつつもそこから自分をどうコントロールして動くかの分岐点にでくわしている状況とも言える。

人にやれと言われて買ってもらったゲームよりも自分でやりたいと思って買ったゲームの方が一万倍やる気が出るだろう。

今の状況を「買ってもらったゲームをやる」のではなく「自分で買ったゲームを遊ぶ」に脳内の認識を切り替えさせてあげるだけで、目に見える景色は180度変わってくる。

自分で自分を操作して最適解を見つけることができる壁にぶちあたることはまさに「面白い」状況だと感覚的にもロジック的にも理解、納得することができる。
そんな催眠術を気軽に自分自身にかけられる言葉は、外部から摂取できるどんなエナジードリンクよりも効用がありそうだ。


もし将来新たな壁を発見した時に、再度気持ちが落ち込みかけたら見返せるように書き留めておきます。では。


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