絶滅の鳥 〜岡本真帆『水上バス浅草行き』から
岡本真帆さんの歌集『水上バス浅草行き』。
サイン本を予約購入して、読み終えてから日にちが経っている。
読後さいしょに好きだと思った3首については、こちらのツイートを。
その後読者ハガキを出すためプラス2首を選んだ、うちの1首がじわじわと思い出されて。
1番は変わっても、この歌がすきな気持ちは変わらないだろうな、の歌。
絶滅の鳥の姿で現れるものはなんだろう。
神さまかもしれないし、自分の内なる意識かもしれない。
いちばんほしいことば。
主体が自分でわかっていて、でも自分でわかっているだけではもう立っていられなくて、他者のことばで「聞く」ことを切望しているように思える。
守りたいわたしが失われてしまう前に。
そして、思い浮かべた正岡豊さんの1首。
『四月の魚』に収録されている大好きな歌だ。
こちらの歌では、自分(主体)からぼろぼろの孔雀が出てくる。
自分のなかの弱いもの、尊いもの、今まさにくずおれてしまいそうなものを自分自身がたすけられずにいる。
ふたつの歌を読んで、そんな風に思う。
ぼろぼろの鳥、といえばどうしたって思い起こされるのが高村光太郎の『ぼろぼろな駝鳥』。
これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
壊れてしまいそうな、かけがえのないものにあてられたひかり
それは時間が経つほどに、浮かびあがってくるのだと思う。
【2023.4.25 追記】
短歌の無断引用についてTwitterで問題提起があり、『水上バス浅草行き』の奥付けにも無断引用を禁止する旨の文言があることを知りました。
いったんはこちらの記事を非公開にいたしましたが、作者さまの許可がありましたのでふたたび公開いたします。