東直子先生のこと
いつかきちんと文章にしよう、と思いながら数年が経ってしまいました。
私にとって、東直子先生は、こころのなかで慕う短歌の師です。
そう思うようになった、大きなきっかけがありました。
私が勘違いから歌人養成講座に入ってしまい、短歌を実作するようになったのは2020年の6月。
とにかく、短歌が好きなのだけど、どうにも思うように作れなくて苦しんでいました。
全部だめ。全然だめ。作りたいものは、こんなんじゃない。紙のようにぐしゃぐしゃに丸めて、遠くにほおり投げてしまいたい。
分かっていながら、どうしようもなかった。ただただ、苦しかった。
熟睡できず、毎日考えるのは短歌のことばかり。
その冬のこと。
オンラインで、東直子先生と大森静佳さんが選者をされる歌会イベントがありました。おふたりが選歌して、点数を入れていった歌(参加者があらかじめ出詠していたもの)への選評を紹介していくもの。
それまで「歌会」というものを見聞きしたことがなかった私にも、おもしろい内容でした。
たぶん出詠することも可能だったと思うけれど、当時の私にはそんな力量はなくて。ただ、おふたりへの質問の募集には、悩んでいたことを匿名で送ってみることに。
「短歌をはじめて数ヶ月なのですが、寝ても覚めても短歌のことばかり考えています。早朝の浅い眠りに歌が浮かんで、飛び起きてスマホにメモしたり。ですが、作っても作っても歌がうまくならずに苦しんでいます。どうしたらよいのでしょう」
たしか、こういった感じのことを書いたと思います。
質問タイムになって、私からの質問も取り上げていただくことができました。
司会者のかたがおふたりに、どうですか、とお話を振ったところ。
東先生は、おおらかに笑いながら「いいじゃない、恋みたいで」と仰いました。
いいじゃない、恋みたいで。
今思い出しても、泣いてしまう。
「自分で自分の歌を”うまくできない”と客観視できているのだから、大丈夫」
と続けられました。
大森静佳さんも、考え考え、「例えば、信頼できる人に歌を見てもらうとか…」とアドバイスをくださった。
そのとき私は画面のこちら側で、(ああ。この人なら分かってくれる)と、はっきり思ったことを覚えています。するすると流れる涙。
東先生が、神さまのように見えていました。
それから、3年近くが経って。
オンラインのカルチャースクールで、東直子先生が受講者同士の歌会にコメントをくださる講座にずっと参加しています。
いまだにリアルでお会いしたことはないけれど、勝手に師だと思って、結社を選ぶときも特定の歌人のかたに弟子入りしなくてよい塔短歌会に入りました。
東先生が選者をされている東京歌壇にも、もう3年投稿を続けています。
これまでに、どれだけ歌を拾っていただいただろう。
2020年に、はじめて新聞歌壇での採用となった1首を。
2021年には13首。
2022年に20首。
…2023年1月に1首。
全部で35首。
(いまはじめて数えて、そうなのか。としみじみ)
なぜか分からないけれど、近頃ぱったり歌を拾っていただけなくなってしまった。
短歌ブームでうんと投稿が増えたためかもしれないし、歌風が定まってきて私の歌がつまらなくなってきたのかもしれない。理由は分かりません。
以前とは違うくるしさを感じて、
投稿をやめようか悩んでいます。
やめても短歌をやめる訳ではないから、いいような気もする。
だけど。
「いいじゃない、恋みたいで」
あのとき笑ってくださった先生の声を思い出すと、まだ歌を見ていただきたい気持ちになる。
いつか私が、胸を張って自分のことを「歌人」と言えるようになるまで。
短歌への恋を見まもっていてほしいと、願ってしまうのです。
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